見出し画像

笑いすぎて電車で読めない芥川賞作品「破局」

読んだ本:遠野遥「破局」(文藝春秋2020年9月号掲載)

これがいい感想なのかどうかは分からないけど、とにかく始終、面白かった。耐えきれず声を出して笑ってしまったところもあって、途中から電車では読めないと判断して、家でだけ読んだ。そのおかげで心置きなく笑いながら読むことができた。

元ラグビー部(高校までなのか、大学でも少しはやっていたのかは分からない)の慶應大学(と思われる)の4年生、陽介が主人公。自分が所属していた高校のラグビー部コーチを任され、日々筋トレを欠かさず、直前に控えた国家公務員試験の準備に余念がなく、政治家を目指す美しい彼女・麻衣子がいて「単位を落とさない」陽介。礼節を弁えた行動を心がけ、女の子には優しく、上を目指して努力しないものや規範を守らないものに厳しい視線を送る。
ストーリーとしては、そんな陽介が恋愛では、性欲旺盛で積極的な灯の誘惑に流され、プライドが高く頭の良い麻衣子から復讐を受け、ラグビーの方では、試合を勝ち進められるようなチームしてやりたいという思いに応えてくれない学生たちに「たぶん自分が一番強くないと嫌なんだよ、だからいまだにここに来てイキッてんの」と言われているのを聞いてしまう。そして公務員試験の結果はいかに・・・という、取り立てて特別なこともないものだ。

でも、とにかく面白い。
小説の魅力というのが
1、ストーリー
2、世界観
3、登場人物の魅力
4、文章
5、構成
の5つあるなら(今適当に出したからもっとあるかもしれない)、
この小説の魅力は、2、世界観とそれを作り出す4、文章だと思う。

例えばまず最初に笑ったのは、ラグビーの練習後、監督・佐々木の家にご飯を食べに行くため車で移動中の場面。

車が止まり、左を見ると服を着た白いチワワがいた。私が知らないだけで、チワワはみんな白いのかもしれない。
 チワワは四本の短い足をせわしなく動かしながら、前方の確認を怠り、私の顔をじっと見ていた。車の窓ガラスが、私たちを隔てている。私が見るからチワワの方も私を見るのだろうと考え、前を向いた。前の車は四角く、大きな鼠のぬいぐるみがやはり私を見ていて、ナンバープレートに「ち」と書かれていた。横を見ると、チワワはまだ私を見ていた。そのうちに車が動いたので、チワワはすぐに見えなくなり、私はもうチワワの心配をしなくて済んだ。

陽介の理路整然とした思考を体現する硬質な文章で表現される、チワワ、鼠のぬいぐるみ(ミッキーのこと・・・?)、ナンバープレート。この数行だけで、「チワワ」が7回も出てくるのはわざととしか思えないし、ナンバープレートが「ち」なのもずるい。そして最後「私はもうチワワの心配をしなくて済んだ。」っていうのは全く意味分からないけど、陽介を嫌いになれない何かを含んでもいる。

彼が人の目を気にし、規律に従うことでしか行動できないヤバい奴、と割り切れないのは、チワワのシーンだけではない。陽介は祈る。突然知りもしない他人のために祈り、挨拶をしただけの警備員のおじさんに迷惑をかける奴が現れないことを祈り、事件の被害者のために祈る。しかし、その祈りは彼自身の論理的な思考によって「意味のない行為」として流されてしまう。
それは彼自身の悲しみについても同様で、突然降ってきた雨のため灯を凍えさせぬよう暖かい飲み物を探しに行ったが見つからなかった場面はとても印象的。

私は灯に飲み物を買ってやれなかったことを、ひどく残念に思った。すると突然涙があふれ、止まらなくなった。
 なにやら、悲しくて仕方がなかった。しかし、彼女に飲み物を買ってやれなかったくらいで、成人した男性が泣き出すのはおかしい。私は自動販売機の前でわけもわからず涙を流し続け、やがてひとつの仮説に辿りついた。それはもしかしたら私が、いつからなのかは見当もつかないけれど、ずっと前から悲しかったのではないかという仮説だ。だが、これも正しくないように思えた。私には灯がいた。灯がいなかったときは麻衣子がいたし、その前だって(中略)悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ。

この場面、一昔前の小説なら、「ずっと前から悲しかったのではないかという仮説」に辿りついた時点で、さらに泣き崩れ、そこになんでかよく分からんけど、可愛い女の子がやってきて抱き締めくれる・・・みたいなオチになるようなところだけど、この小説の主人公は、この仮説を理路整然と否定する。そして自分の感情そのものが間違いなのだと否定する。そこには、強がりも無理やり感も見当たらない。「悲しくないことがはっきりしたので、むしろ涙を流す前より晴れやかな気分」なのだ。強固な世界観、だ。そしてこの世界の先にある景色が、私たちは気になって仕方なくなる。

作者の経歴をみると、陽介って作者自身のことじゃないの・・・とか思ってしまう節もあるけど(私は文春で読んだので、受賞の言葉とか読むとますますそう思ってしまう。というか、受賞の言葉がもう、なんていうか、すごく面白くて(いい意味で)いい!)、そういうのを超えて、陽介自身の性格を表現するための文章からこぼれ落ちている言葉(例えば「私たちの間には彼女のくたくたになったトートバックがあり、こうしていると、まるで私たちふたりの飼い犬のようだった。」とか「灯とぎんたまの間には妙に打ち解けた雰囲気があり、まるで幼馴染みのようだ。」とか)もあって、やっぱり作者はあくまで作者だなとちゃんと思えるようにもなっている。いい小説だな、と思いました。

けど何より、ほんと面白い。めっちゃ笑った!


追記:一番好きな登場人物は膝です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?