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【研究大会まとめ】幼稚園と小学校が遠い

どうも、主任やまもです。

幼稚園教諭をしたり、大学で講義をしたり、主任やまもの園内研修室を運営したりしています。


9月11日に教育研究大会がありました。

オンラインでの視聴となりましたが、いろいろな先生にお話を聞ける研修制度は本当にありがたいです。


テーマは「幼小の連携と接続」

連携は実際に交流をすること。

接続はカリキュラムを繋げること。

らしいです。私はあまりピンときていません。


今日はお話の中から、対比が何個が出てきたので章立てしてまとめてみます。

最後に幼小連携についてのネガティブな私見を書いて終わります。

そこは記録として書きますが、読まなくていいです。


集める保育と集まる保育

子どもを集める保育は一斉活動の保育。学校的。

子どもが自然と集まってくる保育。経験的。


これは保育施設の理想であり、課題ですね。

集める保育もあっていい。

ただ、集める保育と集める保育のバランスをどうとるかを園で定期的に確認するべきだと思います。バランス=割合です。

(集める保育)7 : 3(集まる保育) がいいのか、

(集める保育)3 : 7(集まる保育) がいいのか、

(集める保育)1 : 9(集まる保育) がいいのか。

正解はないです。

でも、職員の意識を揃えるためにも、園の方向性としての答えはあるべきですよね?

みなさんは、どの割合が理想ですか?そして現実はどうですか?

みなさんの園の方針はどうですか?


おまけとして考えてほしいこともあります。

「集める」「集まる」とありますが、集うことが前提でいいですか?


では次です。



おもちゃで遊ぶとおもちゃにして遊ぶ

これは保育者にとってはウンウンとなる言葉である気がします。

子どもは何でもおもちゃ(教材)にする、ということです。

お話の中ではサプリケースが出てきました。

未満児はケースを開け閉めするだけで十分楽しむ、と。


未満児って、遊びが身体の運動発達ですよね。特に手先。

紐とおしもそうですし、粘土もそうですし、ペットボトルキャップとか、積み木とか。

遊びの世界観があるのはだいたい3歳か4歳からで、それまでは遊びが発達練習であるように思います。練習と言葉が正しくないですが、私の中でニュアンスが一番近い言葉です。経験、使い方に慣れる、的な意味合いです。

それがあって自在に身体(手先)が動かせるようになり、そこから自分なりの遊びや世界観を表現できているんですね。未満児は深い。




文字は伝えるものと文字は覚えるもの

園で過ごす子どもは、必要な時に文字を書きます。

例でいうと看板です。

「たねをうえています。ふまないでください」

これは生活(遊び)の中で文字が必要になり、文字を使っています。

ここですごいことは、子どもは書けなくても書くんです。

これは「書けるかどうか」よりも「伝いたい」が先走っていることの証拠ですよね。


一方で、小学校。

小学校では授業で文字を習います。覚えます。

これは必要かどうかは別として与えられる課題です。

「必要」というのは将来的に必要かどうか、という意味ではなく、生活をしていて文字が必要になる、という意味です。

【授業で与えられた文字】と【幼稚園で看板をつくりたい!と自分で必要を感じた文字】の差ですね。この差って大きいです。

この違いが分かる小学校の先生に卒園児をお願いしたいです。



かぶとむしの幼虫とあさがおセット

園で虫を育てようという流れになると、色々なものが関連してきます。

まずは図鑑。虫かごに何を入れたらいいの?えさは何?水分が必要?などなど。調べないと分からない。

次に準備をします。虫かご。えさ。水を入れる容器。草、木、葉っぱ。

残酷なことに(最高なことに)先生の準備などありません。急に始まるから準備ができないですよね。


一方で、小学校。

あさがおを育てるのに、あさがおセットが配布されます。

道具や素材がすべて準備されたパッケージがあり、組み立て方も育て方も紙に書いています。


園では【調べる力、用意する力、ないものを代用する力】が、

小学校では【説明書を読んで理解できる力】が必要です。

この差も大きいですね。



まとめと園がすること

教育研究大会のお話から、比較の文言を取り上げました。

まとめてみると保育の大事なことが見え、園と学校の違いが見えました。


ここからは園が小学校との理解の共有のためにすべきことを書いてみます。

私の提案です。


幼児期と児童期が繋がらない理由に『遊びの中の学びが見えない』ことがあるようです。

ということは、小学校の先生にとって遊びの中の学びが可視化されれば繋がりやすくなるみたいです。

そして、そのための施策が10の姿なんですって。知ってました?


でも、小学校の先生で10の姿を知っている先生は多くない。

これから増えるのかもわからない。

小学校への引継ぎで10の姿の観点から子どものことを話しても「そういうエピソードはいいです。この観点でだけ話してください」と言われる始末。

私は残念でたまりません。


なので、もう少し園が小学校に寄っていく方法を考えていました。

そして昨日思いつきました。

ポイントは「学びの芽生え」と「教科」です。


10の姿が抽象的で分かりにくく小学校の先生に分かりにくいのであれば、より小学校で使われる文言に近づけるべきです。

それって「教科」ではないですか?


つまり「この遊び、この姿って小学校のこの教科のこんな単元に繋がると思うんです」と保育者が話せるようになるということです。

保育者からすると「は?」となりませんか?

私は今書いていてそうなりました。

「なんで保育者が教科とか単元とか言ってんの?」と。

ですが、そこが歩み寄りなんですよね。おそらく。


小学校は難解ながら幼稚園の10の姿を理解しようとし、

幼稚園は難解ながら小学校の教科や単元といった学びの系統を理解しようとする。


こんなところが今日の着地点です。

着地した足場がしっかりしているようならこの理論を深めますし、うちの園で実践します。

足場がもろかったら…また考えます。


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