見出し画像

赤い熾火(おきび)はめらめらと

前話を読む
『「去る日は追わず」と言えたなら』
https://note.com/footedamame/n/n9a3293047602


今日も動画を投稿せず、半年前に買ったアウトドア用のチェアに一日中座って、あげく腰を痛める。
椅子の質が悪いのではなく、その上で生活のすべてを済ませようとするぼくが明らかに悪い。この椅子は一日中腰掛けるためには作られていないのだから。

元々は、近くの河原で焚き火でもしようと買った椅子だったが、焚き火台は、ハマるとそこに「沼」が存在するほど奥深い世界らしい。
はじめて買う焚き火台次第では、手入れや片付けが大変で面倒なことから、焚き火そのものがあまり好きになれずに「こんなものか…」で終わり、焚き火の良さを知らずに一生を終える人もいる……
そんな記事の脅しにまんまと踊らされて、ぼくはいまだにマイ・焚き火台を買えずにいるのだ。買うとしたら、星5つ、ほんとうにレビュー欄が絶賛のコメントで埋め尽くされているチタン製の高い高い、それは高価な焚き火台……。でも、年に何回焚き火ができるだろう。友人を呼んで?一体誰を。

ふう、と息をついて、キャンプ用の椅子から立ち上がりオフィスチェアへ。
今朝カメラのグリップは握ったが、電源をつけることさえしなかった。
どうしてだろう。なにかが引っかかっている。
最近の自分になにが起きているのかを考える。状況に変わったことは何もない。

はたと動画投稿が途切れたとき、それも、数日編集のために更新が途切れるではなくて、また長期間撮らない日が続いてしまいそうだなと感じるときには、ぼくは決まってA4用紙を取り出す。今すぐ思いつく事柄や、ぼんやりとここ数日自分の頭の中をかけ巡ったこと、マインドマップのようなものを書く。そうして、自分がなにかぐるぐると答えの出ないことを繰り返し考えようとしていないか、一応探るようにしている。

・動画のコメントにあった、後ろのキャンプ用シェラカップへの言及
・キャンプ動画
・キャンプ道具
・キャンプブームの終焉?
・結局焚き火台をどうするか
・薪はどこで買うか
・釣り
・魚
・地元の友達と、大学時代に行った四国での釣り
・大学時代の夏休み
・大学時代の、お笑いと劇団が一緒になった(同じ稽古場を使う必要があった)謎のインカレサークル『シノノメ』
・カヲリさん
・カヲリさんの元彼、井川くん
・井川くんのSNSのバー
・井川くんにカヲリさんを取られた藤田
・お酒
・鬱の特徴と傾向
・成功とは
・ゴッホ
・生前に評価をうけなかった人
・生前にも評価はされていたけれど、その死をもって人生が大作となった人
・映画
・流行の映画
・疫病流行以降の通勤電車

こんなふうに、とりとめもない事をたたダラダラと。

読み返すと、行間の読めない展開やループの存在に気づくことがある。

カヲリさんが出て来たことに驚いた。こうもスッと名前が出てくると、実は昨日も彼女を思い出したような気がしてくる。彼女と大学生当時付き合っていた井川くんは、バーテン?ソムリエ?とにかく、お酒に詳しい仕事をしているらしい。そうだ、そのことはハッキリと思い出して、井川くんのSNSは確かに一昨日覗いた。

キャンプからカヲリさんへ。その前にある、「お酒」から「鬱の特徴と傾向」の間にはずいぶんと飛躍した形跡が見てとれる。別に、当時藤田が酒に溺れてしまった、とかそういう訳ではない。
お酒におぼれる人は精神を病んでいる、だから鬱? ……自分がした思考連想ゲームの一連が、実ははじめからカヲリさんへつながる思考への道を無理やり探すことに他ならなかったのでは、その理由をそれらしく探していただけなのでは、と感じてしまい、なぜか突然恥ずかしくなる。
久々に「パイセン」と親しげに(実際はその相手が誰か知らないけれど)呼ばれたことが、案外大きく自分の胸に響いていたらしい。

これを一旦受け入れて、自分を見つめ直してあたらしい動画を撮る日を待つか、それともただの偶然と片付けてしまってこれまでどおりのぼくで居ると決めるかで、未来が大きく変わるのではないか、そんな風に思えてしまうのだ。そして、ぼくはなにかを受け入れるとき、それが「人に話せる美しいエピソード」になるまで、誰かにそれを聞いてもらってきた。

こんなことをこれまでも何度も経験した。
大学生時代、はじめてバイトで雇って貰えた外食店が1年後に潰れたとき。
自分の動画にはじめてのコメントがついた時。
ここまでは、6年前に家をでていった彼女にうんうんと話を聞いてもらっていた。

それ以降、ぼくは動画の中で話題にしながら、自分の人生を整理している。
付き合っていた彼女が家を出て行った時。
動画投稿ではじめて頂いた正式な他企業からのお仕事で、気合を入れて制作した動画をエンコード中にパソコンが故障した時。そして、それを正直に告げたら、「仕方ないですね…」という悲し気な一言と共に、依頼自体も白紙に戻ってしまった時。
子供のころから飼っていた犬が、実家で息を引き取ったとき。
いちばん仲の良かった友人が結婚したとき。

……ああ、こんなときにもぼくは過去を見ている。この先後ろ向きにダッシュして人生を送ることができるのであればそうしたい、と思いながら。本当は後ろ向きにダッシュすれば良いだけなのに、そこまで狂うことすらできず、かといって前を見ることも怖いのだ。
これは、あらゆることに対するぼくの気にし過ぎ、考えすぎなのだろうか。
はたまた、「気にし過ぎ、考え過ぎ」というただのグラデーション、人の一特徴を、特別なものにしたいがゆえに美化しようとでもしているのだろうか。

極端から極端へ走る荒治療を稀に採用する僕の頭に、
「じゃあ、大学時代について、カヲリさんについて少し語る動画を撮れば良いじゃん」とアドバイスが降ってくる。

でも、カヲリさんは本名だし……。年齢も大体絞られてしまうし。ぼくがどの大学に通っていたかも既に割れているし。相手に迷惑がかかってしまうかもしれない。
じゃあ名前を出さなければいいのかというと、そういうものでもない。昔作ったというサークルのビラから本名が割れた動画投稿者の知り合いもいた。
じゃあ、名前もサークルも伏せて?どうせ暇なやつが特定しようとしてすぐにバレるだろう。でも、いま自分が大学生の頃を思い出して、なぜかそこに現れたカヲリさんのことを、友人とも知り合いともいえない、彼女でなど決してない、ただぼくの記憶の中にいる女性について話したら、どんな動画になり得るのか。それを試してみたい自分もいる。
6年前の彼女が出て行った時には彼女への想いも口にしなかったから、なおさら興味が湧いてしまうのだ。

……いや、待てよ。撮ってみて、素材が使えなければ、面白くなくてちゃんとした物にならないと判断したら、素材を消して動画を投稿しなくても良い、ただそれだけの話じゃないか。
そうやってなにかと理由をつけては、ぼくはいそいそと三脚を組み始める。
使えなくてもいい、投稿されなくてもいいのだなんて思いながら、頭の中には、すでに人を惹きつけるためのサムネイル画像の構成が浮かんでいる。ぼーっとしたポーズもない自分の顔だけの切り取りか、大学生時代のぼくの写真と並べて、「久米の過去」「大学の思い出」「カヲリさん」あたりの太い字。

そうだ。どうせだったら、一人で焚き火をしながらそれを語ってみるのもいいかもしれない。そう思って照明をセットする手が止まる。
畳まずにおいていたアウトドアチェアに座り、「ほんとうにいいのかな……」と呟いたときには、すでにチタン製の折り畳み可能な焚き火台と、よく燃える薪をECサイトで注文し終わっていた。

明日の8時-12時に到着予定

この文字を見て、少し嬉しく感じている自分を、どこか気持ち悪く思った。


<続きを読む>「本日、涕泣(ていきゅう)日」
https://note.com/footedamame/n/na3b7a244a171


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?