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「去る日は追わず」と言えたなら

前話 『おい「もう駄目だ」、元気にしてるか?』
https://note.com/footedamame/n/n921c547c6679



昨日は、結局動画を撮らず1日ボーっと考え事をして過ごした。

考え事とはいっても、なにかの結論を出すための思考、いわば知的重労働ではなくて、ただ半分くらい想い出に耽りながら「あの時のあれって、どうだったんだっけ」と自分の思考を少し深堀りする程度の時間。
それがなにか新しい創作意欲につながる、とか、そんなことは滅多にない。
結局は、SNSの投稿を見ながら「さーて、なんか話すか…」と重い腰を上げる、そんな瞬間がくるのを待っている自堕落な日々。

「過去について語るには及ばない」
潔くそんなふうに言えたらカッコいいけれど、日々映像の中で誰かに語り掛けて、ある程度他人の共感を得ながら生きていくにはどうしても「世の中で起きている」「共通の」「過去」の話題からは逃げられない。共感を得るには、誰もが持つ時間、その中でもとりわけ"過去"について共有するのが一番なのだ。
近ければ昨日か数時間前の出来事、実際に起きたことや広いネットの海で起きたこと、遠ければ幼少期に好きだったゲームタイトルの懐古話。そんなふうに、ぼくは自分の過去を少しずつ切り崩して、他の人とそれを玩具にしながら日々お金を得ているような気がしている。

こんなぼくの仕事を特別と思う人もいるかもしれないけれど、それが共感によって伸びているということは、ぼくは誰よりも中央値、平均値を心得た、非常に凡な感覚を持ち合わせている人間ということにほかならない。

「孤高のソロクリエイター、久米悟のこれから」
1年近く動画投稿を休んでいたときに、「毎日の散歩にも飽きたな」程度の気持ちで、なぜかこんなタイトルのメディアインタビューにこたえたことがある。
インタビュアーの女性は、表面的な情報だけを拾った感じでそこそこの記事を作れれば良い、という人ではなく(実際に、そういう人も他にいた)、しっかりと動画を見て、これでもかというくらい質問や話題を準備をすることで業界では有名な方だ。
芸能人、とくに歌手へのインタビューをすることは知っていたが、初めて動画投稿者にインタビューを希望したと聞き、それがぼくだと知ったのがよほど嬉しかったのか、取材当日は、インタビューを受ける自分を撮るために持参したカメラを興奮のしすぎで結局一度も使わずに、インタビュー終盤で「こういう時のお仕事の様子は撮影されないんですね?」と向こうに聞かれて「うわああああーーーー忘れてたーー!!」と叫んだ。どこが孤高のクリエイターだ、ただのミーハーじゃないか。

ぼくが何気なく語ったことに対するその方の引き出しの量と深さもまた、とてつもなく多かった。インタビューというよりは、コーチングやカウンセリングに近い感覚だったように思う。
動画を投稿したその時期にぼくが投稿したSNSの投稿もしっかりと読んでいて、時系列でぼくの歩みや感情を理解しようとしてくれている、仕事人として大変尊敬できる姿勢の方だった。ぼくを取り上げたら話題になるとか、そういうモチベーションでは動いていないのがハッキリとわかり、「久米悟についてディープなところまでお話しませんか?」と誘われて、つい自分オタクを発揮してしまったような……。自分では思い出せないただの過去が、意味と意思をを持った連続体となって挨拶してきて、過去ではなく大切なアルバムのようなお宝に、自分の将来の地図にすらなるような……。あの経験は、他には替えがたい。

…と、なぜこんなにあの時のことを思い出すのかというと、だ。あれだけ自分の見えない側面を探し当てていただいた後だというのに、持ち上げていただいたのに、当のぼくはといえば、約1年の沈黙を破って、結局はだれでも感動を覚えるようなものに「ぼくも感動した!」と言って、それに対して「俺も!俺も!!」と群がる人にばかり日々囲まれている。
そんな近況が情けないし、あの人に合わせる顔がない。

いまだにふと思う。
こんなぼくのどこが孤高なのだろう。
なぜ、いろんな人やものを見てきたあの人は僕をわざわざ"孤高"と表現したのか。

創造性のかけらもないテンプレートの焼き直しの日々、それが普通になってしまっている。自分がどう書かれているかに向き合う勇気もなく、実はまだあの時のインタビューがどのような形になったのかも紙面で読めていない。

が、あのときのインタビューを思い起こすたびにひとつ残っていて、思い出すたびによりその色の濃さを増すのは、

「久米さんって、真似できないですよね。しようと思ってもなんていうか…無駄というか、久米さんだから成り立ってるように見えます」
という彼女の一言。

そのときは場の空気を悪くしそうで言えなかったが、
ぼくが仮に彼女が思う孤高の存在で、だれも簡単に真似しようとしないのであれば、それはおそらく「ばかばかし過ぎるから」なのではないだろうか。
たとえるなら、誰もじっくりとは見ない、でも家に帰ったら「またあの人駅前にいたね」と話題になる、365日暇そうな客のつかない路上アーティストのような。ぼくはそれのインターネット版なのではないだろうか。ぼくの動画がほんとうにこの世から消えたとして、その復活を一生願い続ける人などいるのだろうか。ぼく自身ですら、きっとそんな執着はないというのに。


まだ投稿をはじめて1年かそこらの動画に、こんなコメントが付いたことがある。

どんな風に育ったらこんなにペラペラと考えていることをそのまま話せるようになるんですか?あと、頭の中では誰(どんな人)に向かって話しているんですか?
9年前    鵜養・手洗い   

このコメントを読んでぼくは、自分が他の人に「ペラペラと話せる人」だと思われているのだな、と初めて感じた。
実際、ぼくは「ペラペラ」話せているのだろうか。「途切れることなく」という意味だけを切り取るのであれば確かにペラペラと一枚に繋がってはいるが、一貫性や論理性という観点ではその限りではない。
なんとかして感情を伝えて、他人の心にあるひとかけと同じ色の何かを共有し合えれば、そんな想いであれもこれも喋っているから、動画を途中で離脱する人も実はずいぶんと多いのだ。

久米悟もオワコンになったなあ……更新頻度もテンポも悪いよ
4ヶ月前  ナガラッシュ  

オワコン、か。確かに、ひところの「これが新しい生き方か…!」という感動はかなり薄れた。というか、強烈に「始まった!」というきっかけも無かったから、ゆっくりゆっくりと船底が水に浸かっているような感覚だ。それも10年かけて。この恐怖と冷えを、ぼくはこの先いったい誰に共有すればよいのだろう。

孤高の人。
だれもまだ拓いていない最先端を歩くパイオニア、そんな存在に確かにあこがれ続けていた。
何者かになろうと都会へ出てきた。
だれでも知っているものから誰も知らないものまで、何もかもを吸収しようとした。
売れているものと売れていないものを見比べて、人が好むものは何かをすぐに見分けられるようになった。
そして、自分も「売れているもの」をある程度は提供できるようになった気がする。

それでもぼくは、「過去」かせいぜい限りなく「今」に近い過ぎ去った何かを共有して、誰かと強烈につながりたい、とただ一瞬の光を求めている。誰も知らない闇の中ではなく、誰もが知っていて共有できる過去の中で、自分の居場所をいまだに見つけようとしている。まだ見えない場所を掻き分けていって、自分の居場所を作ってから誰かをそこに招くほうがずっとずっと簡単なはずなのに、だ。

「去る日は追わず」と言えたなら。
ぼくはそれをたしかに「強さ」だと思う。
「去る日は追わず」と言えたなら。
そう言い続けることでぼくは強くなれるのかもしれないし、
逆に、強くなり続ければ、いつかそう言える日がくるのかもしれない。


そんな強さに強烈に憧れると同時に、怖いことがひとつ。
「去る日は追わず。ぼくは強くなった」と言える日がきたところできっと、
「この強さを手に入れることには、ほんとうに意味があったのか」
なんて遠い目をしながら言い出すんだろうな。きっと。ぼくはそんな奴だから。

酸っぱい葡萄なのかもしれないけれど、これまで手に入れてきたものがそうだったから、なんとなく。
ぼくがこんなに誰かとなにかを共有したがるのもきっと、ほんとうにそれが好きだからではない。
ただ単に自分はたまたま成功しただけなのだと自分自身が誰よりも理解していて、これがなくなった跡には何も残らないと痛感しているからこそ、失うのが怖いだけなのだろう。

ぼくが憧れるあの人は、「去る日は追わず」と言えるのだろうか。


<続きを読む>
『赤い熾火(おきび)はめらめらと』
https://note.com/footedamame/n/nf1764ab17a9d

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