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「思い出のマーニー」;出来るだけあなたに伝わるように書く感想文㉝

「思い出のマーニー」(小説/1967)

 本作はイギリスのジョーン=G=ロビンソンが1967年に発表した児童文学。近年の日本ではスタジオジブリによってアニメ映画化されたためどちらかと言うとそちらの方が有名なのかもしれない。児童文学にしては長編で、単行本としても300ページを超えてくる作品。小中高の各年代で一度は読みたい作品だなと今になって振り返る。



 主人公はロンドンに住む、いわゆる鬱気味な少女アンナ。彼女の生みの親は既に亡くなり、代わりにプレストン夫妻に育てられている。「不愛想」な顔をし、自分自身を友人とは異なった「外側」の人間だと自認するアンナは、プレンストン夫人の旧友であり、ノーフォークに住むペグ夫妻の家で夏を過ごすことになる。この田舎町でアンナはどこか変わった金髪の少女、マーニーに出会い、湿地の館に住む彼女はアンナにとって初めての親友となるのだった。しかしアンナのもとからアーニーは分かれ、その館には新たな一家が住まうこととなる。アンナはマーニーについて、その一家の子どもと共により詳しく知ることとなる。


 大人が読んでも面白いはず。
 心の機微がぶっ刺さるとは思えないが、それでもアンナの気持ちにはどこか寄り添ってしまう。アンナ自身について、最後の最後まで不思議な運命を期待せずにはいられない。
 個人的には前半部は個人的に、東野圭吾さんの「プラチナデータ」なんかを思い起こしながら読み進めていた。



 現実と非現実。過去と未来。
 アンナの夏休みは、僕たちがつながり無くして生きられないと、つながりが生きることだと強く教えてくれる。でもそのつながりは恣意的に何かの期待感をもって内側に入ろうと強く願うことによるものではない。またそのつながりの内側に入ることは、自分自身やましてや他人から強制されるものでもない。出会いを積極的に受容するなかで、「内側に入ってもいいかな」と思う場所に出会うことを待つのである。その結果が自分自身の生きづらさの正体となる、自分自身との乖離を埋めることとなるのだ。
 生きづらさの正体は結局のところ自分自身に起因していたアンナ。僕だってそうだろう。ウザったいと感じる心の動きはすべて、場所と環境が大きく影響しているみたい。思い切って外に出てみよう。そして思い切って声をかけてみよう。そしたらまたなにか違ったマーニーに出会うことが出来て、違ったアンナに気づくことが出来るのかもしれない。それがよく分からない生きづらさを取り払ってくれると、アンナは教えてくれたと思う。。

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