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「若者のすべて by suis from ヨルシカ」;出来るだけあなたに伝わるように書く感想文<53>

「若者のすべて by suis from ヨルシカ」(音楽/2024)


 本曲は、Netflixで作成された映画「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。」の主題歌。ヨルシカのボーカルを務めるsuisさんが歌い上げる。MVも6/28に公開され、月島琉衣さんと豊嶋花さんが女子高校生を演じた。
 原曲はフジファブリックの同名の楽曲。志村正彦さんが作詞作曲し、2007年にリリースされた。



 これはこれでありだと思った。
 夏の解釈はひとりひとり違うわけだし、それはこの曲に対する捉え方も自由であっていいと思う。僕にはなかったものだし、Netflixで公開された話題作すら見ていないのだからそれをとやかく言う権利はないといわれるに違いない。
 そして何より、2007年の曲をこうしてヨルシカのsuisさんがカバーすることは世代を超えた名曲を受け継ぐ最強の方法だと思う。これが親子の会話を生み、窓口となって、世界をあたたかくするのだからその時点でとても素晴らしいことだと思う。





 ただ、まぁなんというかこういう歌の消費のされ方は僕はあまり好きではないなと思う。
 メロディーや特徴的なリフレインを用いていないことからも、全く違う曲として制作されたのだと思う。ある意味で狙い通りに、「令和」と「平成」というコントラストをくっきりと感じとることが出来る。

 しかしこの曲は平成でなくてはならない。なぜなら志村正彦さんは2度と歌ってくれないから。
 僕が違和感を感じているのはこの上書きである。真夏の果実を好きなようにカバーすることとの大きな違いは、その上書き後に原曲に戻ることが出来るか否かにある。霜降り明星せいやさんの真夏の果実のカバーを聴いた後に、サザンをYou Tubeやサブスクのサービスでオリジナルを聞くのかもしれない。その音源は桑田佳祐さん引退後も残り続けるだろう。
 でもそのオリジナル亡き後のカバーは上書き保存になってしまう。
 原曲を叩き潰す覚悟でこの曲が歌われているのであれば僕は敬意を感じていたと思う。映像を用いて令和の価値観を分かり易く恋愛で示し、新世代のビジネス手法を用いる歌手を起用という安直さを感じた。
 儚さに欠けているのだと思う。
 その欠落こそが僕の違和感の正体ではないか。


~このバージョンのイメージ~

 高校生のクラス会で食べ放題の焼肉に行った後のカラオケ。ドリンクバーにルーム内の大半が行ってしまったときに歌が上手な女子が画面をまっすぐ見ながら歌う十八番。僕はその横顔を見つめすぎる。少し背伸びをしている彼女が、弱いオスを感じさせ、ちょっとした独占欲が満たされたことから悦に浸る。

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