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「フォードvsフェラーリ」;出来るだけあなたに伝わるように書く感想文㊻

「フォードvsフェラーリ」(映画/2019)

 1960年代の自動車耐久レースの物語。マット=デイモンがチーム責任者、クリスティアン=ベールがドライバーとしてW主演を担う。
 史実と違う部分が多いため、フィクションであることに留意するべきだが、迫力ある映像とアメリカ製造業の誇りを感じることが出来る。


 ル・マン24を含め、カーレースで絶大な人気と実力を誇ったフェラーリは、他方で経営危機に陥っていた。一方フォードも、大量生産・大量消費の巨人として確固たる地位を気付いていたものの、若者に訴求できるビジネスやイメージアップを画策していた。両社の利害は一致しているように思えたため、フォードはフェラーリの買収を提案するが、総帥エンツォ=フェラーリは、フォードが提案したフェラーリのレース権限への強さに反発し、この買収案を拒否。時の社長ヘンリー=フォード2世は、エンツォに買収案を拒否された際に受けた侮辱より復讐を誓い、9か月後のル・マンでフォードの優勝を命じる。この責任者となったのはアメリカ人初のル・マンチャンピオンとなったキャロル=シェルビーで、彼は荒くれもののケン=マイルズをドライバーに起用し、優勝を目指す。



 面白いと思う。
 演技力もそうだし、技術的な側面でもワクワクする。タコメーターの動き、フットパッドの繊細な運びも見ていて楽しめる。何かに対し熱量を持つ人が少なくなってしまったこの時代に、1960年代はなにかということを考えさせられるばず。



 この「モノ」に対する愛情や愛着は今の米国人には存在するものなのだろうか。あるいは、「モノ」を作ることに対する敬意は捨て去っていいものなのかと感じる。
 二次産業と三次産業の大きな違いは有形か無形かというところだと解釈している。よく言う、「ホームセンターに穴は売っていない」というやつ。
 この矜持を捨て去った世界は正解なのか。物を作ることに対する軽視の姿勢が先進国を覆っている気がしているのではないか。そしてこれが大いなる失敗を生むのではないか。
 馬鹿にしている私の生活はいかに脆くあるのかということを考え直さなければならないと思う。
そんなことをふと思った映画でした。

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