#vol.8 「種」をダーウィンと紐解く
今回は、進化論でお馴染みのダーウィンの名著を取り上げたい。
当時西洋社会で信じられていた常識をいかにして疑問を呈し、自説を積み上げていったのか。
彼の苦悩も文章から感じられ感慨深い一冊だった。
自身が世界をまったく理解できていないという考えを発信できる強さを持ち、観察した結果を丁寧な説明で紐解いていく。
事例が多く少しくどいと感じるのだが、当時のダーウィンを想像すればいかに自説を積み上げるかが世の中に受け入れられるために大切だったかは想像に難くなく、ある程度飛ばしながら読んでいくことをお勧めしたい。
ダーウィンの問題意識はこの序文より明確にされる。
当時一般的だった考えに対し、まだ確信は持てないものの、本当に正しいとは思えないと疑問符を提示しているのだ。
言論の自由が今ほど進んでいないこの時代に、自説を世の中に説明することがいかに大変だったことかもこの一文から読み取れるのではないだろうか。
ダーウィンの凄みは、自説を説明していく上で反論されるであろう問題点や懸念点を事前に予測し、それに対する打ち返しを事前に検討していることだ。
例えば、仮に進化には過程があるとして、その過程とみられる種の存在が見受けられないことに対する疑問である。
きりんは首が長いことで有名だが、首の長さが中途半端な種はなぜ見かけないのかという世の中の問いに彼なりに説明を試みているのだ。
種が進化するという考察を、まず品種改良という事実を元に検証し、植物だけでなく動物(ダーウィンの場合は”鳥”)にも適応されるということを示した。
その上で、人間の手を介さずとも自然状態の中でも進化は起こるのであるという事実を彼なりの視点で説明を試みていくのである。
生物的な知識が乏しいので、「下」を読み切る力はないのだけれど、世の中になにか自説を説明していく上で、心構えや自説の補強の仕方など時代を超えて読み継がれている意味がわかってくる。
世の中の真理を、人生をかけて解読し説明しようとしたダーウィンはすごいと思うし、そういった先人たちの努力の上にいまの僕らの知識が成り立っているのだということを改めて思い知らされた一冊。
それでは。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?