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☆僕が美術館で考えていること

最近美術館を巡るということがマイブーム。
ほんの3ヶ月前までは展示された「絵」を見て、
何が良いの?絵を見た自分に酔ってるだけじゃないの?と思ってた。

まだまだ初心者だけど、
僕なりに楽しく絵を見るために
心掛けていることを記しながら、本展示会の
作品を通したコメントを書いておく。
最後まで読んでくれたら嬉しいな。

①絵の見方なんて人それぞれ。感じるままに。
②時代背景を意識してみる。
③「?」を心の中にたくさん持ってみる。

まず1つ目は、誰かがこれはいい!と決めたから
額縁に入れられて、僕らの目の前に並んでいるわけなので、人によって好みは分かれる。
だから、流し見をして気になる絵の前だけじっくり見入るように心掛けている。
もちろん美術館に流れる人の動きを遮らないようセンス良くだけどね。
(僕は本読む時もそうなのだけど、頭に入ってこないページは基本飛ばす。どうせいまの自分には必要ない箇所なんだろうと思い込んでる。これで読書は難読本も楽になった。)

暴動。1961年の作品。

例えば目に止まったこの奇妙な絵。
最近「群集心理」や「大衆の反逆」を読んでいたので、僕には群集心理を現す絵に見えた。
自我(自己)を失った人間は、拠り所を失い、瞳孔が開いて狂気的になっているのか。
現代社会に照らせば、Twitterのタイムラインにも見えてこないことはないかもしれない。
そう言う意味だとタイトルは「炎上」か。

時代背景を意識はすこし勉強が必要かも。
好きな絵や画家を見つけたら、その周辺の時代や
歴史に関する文献を読み漁る。
コツは読み込まず適当に複数の本を斜め読みすることだ。
僕は歴史が苦手だったし固有名詞は覚えられないので、いまも覚えるつもりで読んでない。
ただ、当時の人々が何を価値基準とし、どのように生きていたかを知ることは楽しい。

僕はこの印象派(19世紀頃)の西洋の世界観が
とても好きで最近はこの時代を読み漁っている。

見たものをありのままにカンバァスに描く。

こちらは印象派について書いた記事なので、
よければぜひ。

時代背景を知ることで、画家たちがなにを
カンバァスに表現し残そうとしたかが見える。
工業化する社会を嫌と感じ、懐かしみを感じる
田園風景に美を見出したのかもしれないし、
前提となる知識が入ると途端に想像力が膨らんでくる。
これが美術館でのアハ体験になり、楽しい。

最後に心に「?」を持つ。というのを
具体事例を交えながら書いてみる。

現代における抽象画。説明には風景と記載。

たとえば、この絵画。
印象派(19世紀)が感じたままにカンバァスに
書き残したのに対し、現代ではかなり抽象度が
高く見える。

観る人の心の状態、置かれている立場によって、
いろいろな見方が尊重される時代だからこそ
こう言う作品が生み出されるのだろうか。
(この辺はもはや堂々巡りではある。)

タイトル「集中」。

2010年代に描かれた作品。
現代人の私たちが観ると、「集中」とは思考を張り巡らせ、
もやもやしながらも思考という宇宙空間をさまよっているように映る。
また、見方を変えれば「集中」とは意識を中心に向けていくということを
暗に示している絵とも言えなくないかもしれない。
邪念を振り切り、中心に向かって思考を集めていく、
意識を収斂された先に集中があるということなのだろうか。

すこし見方を未来に向けたい。
もしわれわれが100年後の人類ならどうだろう。
100年後の人類としてこの「集中」という絵画を見たならどう感じるか。
「集中」がスイッチひとつで可能なものになるなら、
この絵は不思議に見えるだろう。
もし「集中」という身体のメカニズムが変わらないのであれば、
100年後も1000年後も昔の人は「集中」するときは
もやもやしていたんだねと伝わることだろう。

自分自身をさまざまな時代にタイムワープさせながら、
絵画を前にして、その時代や描かれた作者に自己を投影してみる。
その繰り返しが美術館を楽しむコツだと最近思い始めた。

それでは!

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