恐怖の反動、ザーゴがやるべきだったこと ~2021.2.27 鹿島vs清水~

 一見あたたかな日差しが降り注いだ鹿嶋の街には、身に染みるほどの冷たい風が吹きすさんでいた。
 春の訪れと冬の名残は、後者が優勢だった。

 エヴェラウドのヘッドが権田にセーブされたり、土居のシュートがポストやバーを叩いたりするたび、2020年2月の広島や、7月の川崎を思い出した。公式戦3連敗の冬がコロナによって中断され、一足とびに訪れる夏に抱いた希望が何度も、何度も跳ね返された昨シーズン序盤のトラウマは強烈だった。
 それは、僕たちサポーターだけではなく、選手や監督にとってもそうだったらしい。
 だから、ジリジリとした展開のなかで手にした先制点で、カシマは我を失った。
 74分、いや1年と74分を耐え忍んでやっと開花の時期を迎えたと、試合の途中なのに思ってしまった。
 そう思うべきは、試合の後だったのだろうか。

 ロティーナ監督の清水をホームに迎えた開幕戦で、レオシルバはコンディションが戻りきらず、ピトゥカは来日すらしていない。おまけにザーゴの選択は、遠藤や白崎で中盤と前線をつなぐことではなく、エヴェラウドと上田を前に並べることだった。
 いわば内容度外視で結果を求めた試合になると予感した。
 思うような攻撃ができず、少ないチャンスも逃し続けて時間が進むにつれ、予感は恐怖に変わった。前日には川崎が強さを見せつけてもいた。昨シーズンのような躓きは許されない。また開幕からしばらくゴールが奪えず勝利から遠ざかっては7連勝でも足りずACLの出場権すら得られずクラブ創設30周年に泥を塗ることになり無冠の期間が過去最長になり監督は2年目なので言い訳も許されずそもそも鹿島は毎年優勝すべきでそれが当たり前のクラブなので勝たなくては勝たなくては勝たなくては勝たなくては…

 13番、左足を一閃。

 エースのヘッドがバーを叩き、何度目かの失望の、次の瞬間だった。ボールは空から導かれるように、荒木遼太郎のもとに落ちてきた。
 新時代のホープがもたらした歓喜は、昨シーズンからの歩みと相まって-
 チームを壊してしまった。

 結果的には、喜ぶのが早すぎたということになるのだろう。得点の直後に失点するのは未熟な証拠だ。状況を客観視して危機感を浸透させるリーダーもいなかった。
 1ゴールではなく、勝ち点3を手にするまでは喜べない。もちろん。
 では勝利への自信を抱くべきはいつだろうか。


 近年、監督の仕事は戦術的なものばかりが重視されているように見える。
 ザーゴについても、やれポゼッションだ、やれ即時奪回だと、戦術的な側面で語られすぎている。外の人間が実際に見ることができるのは試合(とコロナがなければ練習)だけなので、戦術を分析するしかないのは分からないでもない。
 だが、監督の仕事はホワイトボードの上には無い。

 僕は、ザーゴが最もやるべきだったのは、戦術的な調整でも、適切なスタメン選びでも、よどみない選手交代でもなく、試合前の選手に自信を持たせることだったと思う。
 焦れるな。ブレるな。やってきたことを信じろ。おれたちは強い。
 そう選手たちに信じさせることができれば、たった1点であれほど歓喜を爆発させることはなかったはずだ。
 感情は振り子だ。恐怖が大きいほど、解放された喜びは大きくなる。
 試合前の選手から恐怖を取り除くことができていたら。

 そして逆も然り。喜びすぎた反動で、その後の3失点での逆転負けは、チームに大きな傷を残した。

 チームの自信は、勝っていくことでしか築けないかもしれない。
 だが、昨シーズン序盤の選手たちがザーゴの指示にとらわれすぎていたように、監督の言葉は重い。いや、監督の能力のひとつが、自分の言葉に重みを持たせることだろう。
 開幕前から何度も土台は出来たと言っていた。
 でも、選手を信じさせることはできなかった。

 ザーゴは勝てなくなると、自分はサッカーの美しさ面白さを求めていて、引いて守る他の多くのチームとは違うと言いはじめる。
 言い訳を並べるのは問題ない。オリベイラは負ける度に審判や日程を批判した。選手を守るため、そして、選手の自信を損なわないために。
 やっていることは間違っていない。負けたのは外的要因で、自分たちは変わらず強い。そう言い聞かせることで、チームの感情の振り子を小さくした。
 ザーゴの言い訳は、何のためだろうか。

 愛すべき人物であるのは間違いない。クラウドファンディングのザーゴセミナーに参加して、この人と優勝したいと思った。
 だが、それよりも強く思ってしまったことがある。
 この人で優勝できるだろうか。

 根拠はない。カリスマ性やオーラをまったく感じなかったことが主な理由だが、僕の個人的な受け取りだし、理論で補うことは可能だ。実際昨シーズンも飲水タイムの後に大きく改善することが何度もあったことを思えば、言葉に説得力を持たせることは一定程度できているだろう。
 しかし、理屈ではない感情を動かすことが、どこまで出来ているか。外からは見えない。
 感情を理屈で押し倒しているように、つまり戦術的な要素ですべてをカバーできるほど戦術的に優れているようにも見えない。
 見えるのは、昨シーズンの無冠と、今シーズン開幕戦の無残な敗北。
 どうか、上書きされんことを。
 感情は振り子だ。
 今シーズン優勝できれば、過去最高の喜びを味わうことになるかもしれない。

 昨年から度々目にする、ゴールに狂喜乱舞する監督の姿は、愛すべきなのか、懸念すべきなのか。
 2021年の初戦を終えた鹿嶋の街は、まるで季節が逆戻りしたかのようだった。

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