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報道発表されない「制服の犯罪」 警視庁編

 警察と報道はかつて、対立の関係にあった。七〇年安保をめぐって日本経済新聞の記者が機動隊員に殴られたとき、サンケイを含めた全国紙さえ「機動隊員に殴られた日本経済新聞記者」の写真を載せ、警視庁に抗議を申し入れた。それもヒラの巡査や巡査部長相手ではなく、警視総監に対して。はるかな時を超えたいま、そうした権力と報道のやり取りは見れなくなった。


◇ 2022年の警視庁管内不祥事、報じられたのはわずか9件

 警視庁への懲戒処分者の情報開示請求は、私の思いを半分裏切りながらも通った。警視庁からは三枚の「一部非開示理由」を述べた紙が届いたが、そこに記された警官の犯罪、すなわち「制服の犯罪」には目を覆うものがある。

警視庁管内で二〇二二年に懲戒審査された警察職員の一覧

 青少年健全育成条例違反、道路交通法違反、警察官による公務執行妨害など、様々な懲戒処分のリストが送られてきたと同時に、目を覆った。普通、我々民間人が犯せばほぼ間違いなく市区町村までの住所を報じられ、名前を載せられ、社会的に抹殺されるような罪を犯した事案の概要が送られてきた。

◇ 報道する、しないの判断は何か

 なによりも気になったのは、そのうちの何件が報道発表されたのか、という部分だった。警官の犯罪なら民間人のそれより大きく取りざたされてしかるべきである。法を則り、時には小市民の身柄を強制的に取り押さえ、拘束することさえ許されている警察機関の職員が罪を犯したら、民間人のそれより大きく取り上げられるべきだが、いずれも当時、ほとんど目にしたことがなかった。報道発表との突合をした。

◇ 29件中、報じられたのは9件だけ

 同年だけで処分された警察職員の数は実に二十九人にのぼるが、そのうちテレビ、新聞などで報じられたのはわずか9件だけだった。内容としては「女児に対する強姦(強制性交)」、「拳銃紛失」、「捜査情報漏えい」、「不正アクセス禁止法違反」など。
 しかし、そのほかにも処分されたものでは、「青少年健全育成条例違反」、「警部補と巡査部長による青少年健全育成条例違反」、「道交法違反」などがある。特に警部補と巡査部長による青少年健全育成条例違反に関しては、二人が同日に処分されていることから、同じ署の警官が二人同時に犯した犯罪と推察されるが、大手紙やテレビ局ともに報じた履歴はない。

◇ 警察に対する権力監視の機能不全

 あくまで私見を述べるまでだが、警察に対する権力監視はほとんど機能していないように思える。それは同年の懲戒処分者の多くが報じられていないことを見れば説明するまでもない。我が国のジャーナリズムは「アクセス・ジャーナリズム」などと揶揄されるように、権力側からもらった情報をそのまま載せることが解のようにされている。
 大手紙の元記者の人生録などをみると、情報を得るために夜中に警察官部の家を回ったとか、警察幹部とゴルフに行ったとか、そういう話が出てくる。令和の若輩者の視線ではあるが、端的に言えば「権力と報道のゆ着」としか言えない。
 本来権力と報道は一定の距離を置くのが当然で、権力に近づき過ぎることは、すなわち報道の自殺である。しかし、先の報道発表された件数とされなかったものを照らし合わせると、どうも報道が権力に対して腰を引いているようにみえてならない。

◇ ジャーナリズムに期待することは無意味

 我が国において、もはやジャーナリズムという言葉を持て余すのは無駄であり、無意味なことと考える。権力を監視する側が、はるか昔から権力に伴い、代弁するかのような記事を載せていたことは記憶に新しいが、ここまで―とは思いもしなかった。警察レベルでこの有り様であれば、他の権力に対する監視の目も同じようなものだろう。もはやジャーナリズムを期待するべきではない。
 警察が報道に詰め寄られる姿は、ドラマや映画の中でしか見られない光景。実際の記者たちは情報という名のエサをもらうためにむらがうウジ虫のようなものだろう。

懲戒処分の概要

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