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【理事長コラム『美味しいお米のヒミツ』】

フードアナリスト協会のある関東も梅雨入りしました。 この長い雨季がなければ 日本人の主食であるコメは育ちません。 世界的にみてもコメの国別収穫高は、1 中国  2 インド  3 インドネシア  4 バングラデシュ  5 ベトナム 6 タイ  7 ミャンマー  8 フィリピン 10 パキスタン  (出典:Food and Agriculture Organization of the United Nations ) と、高温多湿な場所で育つ熱帯性植物であることがわかります。 ちなみに 日本は13位。

 では日本国内の地域別の収穫高はどうかというと、1新潟 2北海道  3秋田 4山形 5宮城  6福島 7茨城 8栃木と、北関東や東北の県が続きます (平成30年、農林省作物統計)。 どうして熱帯性植物であるコメが、 日本では南ではなくて北で採れるのか。

 江戸時代は、身分を「石高」というコメの採れ高で表し、 コメで税(年貢)を払わせた世界でも例を見ない時代でした。 江戸時代に一番コメが取れた藩は、 加賀100万石の石川県(一部富山県む)で120万石。 いっぽう、岩手県の大部分を治める南部藩は公称10万石。岩手は広さが石川の約1.5倍もあるのにです。

◆コメのうまさは「夜」に蓄積される 

 岩手は太平洋側ですが、寒流の影響で夏になるとヤマセという冷たい風が吹き、稲穂を枯らしてしまいます。 もともとコメ作りは向いていません。元々、蝦夷という先住民族が狩猟漁猟や畑作を中心に暮らす地域でした。それが、 稲作によって権力をたくわえ全国に支配を及ぼそうとした大和朝廷に討伐され、 いやいやコメをつくるようになり1300年。   気候が合わないためなかなかコメが採れない。岩手の歴史は飢饉の歴史でした。

 それが最近では、品種改良やビニールハウスによる培技術(春先のまだ寒い時期に苗代をつくり収穫時期を前倒しする)などで、全国でも有数のコメどころに生まれ変わりました。 寒ささえ克服できれば北国は土地が豊饒。 夏の夜でも気温が25℃を下回るので、 コメの美味しさの源であるデンプンが夜の間に蓄積され、食味の良いコメができます。 

◆明治維新でカタチづくられた日本の農業

では、コメだけでなく農業自体が盛んな県が、なぜ北に多いのか。  そのカギは明治維新にあると言われています。 明治維新は、いわば薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)が中心となって起こした クーデターですが、  勝ったのは南国の薩摩と西国の長州。幕府側は、北の会津や函館に敗走しました。 奥羽越列藩など幕府の同盟はみな北の藩。 

このため明治維新後、藩閥政府は、当時の最先端技術の工業地帯を 北ではなく南と西に作りました。 多くの先進国では北に工業地帯、南に農業地帯となっているのに、です。 こうした事情が 、東北や北陸、北海道が農業地帯となっている原因だと言えるでしょう。

東北や北陸地方でコメをはじめとする農作物の栽培技術が発達したおかげで、 でんぷん質の多い食味の良いコメを食べられるようになったのは 嬉しいことですが、 こういった歴史を思い起こすと、おコメの味わいもさらに違ってくるかもしれません。    

         (日本フードアナリスト協会 理事長:横井 裕之)

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