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2020年11月イタリアから日本へ帰国

先日イタリアから諸用により1人緊急帰国いたしました。この時期のヨーロッ
パの辺境プーリアからの日本帰国、成田空港でのCovid-19関連の実体験の最新情報をお伝えします。

普段御用達のアリタリアーイタリア航空は春過ぎから日本便は飛んでいません。ちょっと調べるとスイス航空でプーリアのブリンディジ空港からチューリッヒ経由成田空港行きがあるではありませんか!乗り継ぎ時間もバッチリで値段も700ユーロ代とお手頃。春先にイタリアから帰国した人はカタール航空などが多かったのでもしかして中東の経由になるのかなとの懸念もありましたが、地元から1ストップで帰国出来るのは有難いと早速スイス航空のサイトから購入しました。実はこれ全日空とのコードシェア便で全日空の便名での最安値が航空券販売サイトにも出ていましたが、ここは運行する航空会社からの公式サイトからの方が事前の変更などについての便宜が良いのでいくらか割高でも公式サイトから直接購入しました。これが後から大変助かる結果となったのでした。

スイス航空は以前もブリンディジ発チューリッヒ経由成田という便を就航していた時期があったのですが、これが停止になってしまい残念に思っておりました。再開したのはいつだったかわかりませんが、ブリンディジーチューリッヒ便に関してはここ数年ドイツなど北ヨーロッパからプーリアへの観光客が増えてきたことも関係しているに違いないと思いました。日本行便については南と比べて人口の多い北ヨーロッパはイタリア北部も含め都市間の距離が近いので現在外国人観光客の入国が許されていない日本への航空便も日本人需要があるということでしょう。スイスと言えば、ヨーロッパ随一の“おもてなしの国”、ホテル業界ではかつてはローザンヌホテル学校卒といえば世界中で一流の証でした。スイス航空もその伝統を受け継ぎサービスに誇りを持っています。以前使った時もさすがだなと感じたので今回はどうなっているかと興味津々でした。ところが!出発の数日前になってブリンディジーチューリッヒ便のキャンセルの連絡あり。ここ数週間のヨーロッパでの感染状況を見ると仕方のないことだと思いました。結局facebookのメッセンジャー経由での英語のやり取りを繰り返し、ローマからチューリッヒへ入る便へ変更することができました。ローマ空港までは飛行機や電車を使うという方法もありましたが、結局自家用車で500km、5時間半かけて夫に送ってもらうことにしました。

ローマ空港は3つあるターミナルのうち1つだけ開いていました。ローマからスイスへはシェンゲン協定でヨーロッパ間は国内移動と同じになります。
現在イタリア国内移動も自己申告書が必要になりますので、搭乗ゲート近くには軍警察官がチェックを行っていました。私は日本行きなので自己申告者は必要ありませんでした。スイスへの入国の際にはイタリアの滞在許可書を確認されました。チューリッヒ空港についたのは午後3時過ぎでしたが、こちらも人影はまばら。免税店や軽食店(イタリアにはないバーガーキングもありました)、キオスクなどは開いていましたが、スシバーやレストラン、ブランド店などは閉まっていました。

日本行き便まで乗り継ぎに数時間ありましたが、無事定刻に出発することができました。乗客は案の定ほとんど日本人というか東洋人で、欧米系の人は2名のみ。全員で30人ほどでした。年齢的には20代から40代ぐらいの若い人が多かったです。スイスエアーのサービスは期待を裏切らない細部まで気の利いたものでした。アリタリアに慣れた私には感動的でした。例えばエコノミークラスでも紙に印刷されたメニューが配られます。飲み物には小瓶のスパークリングワインやハードリカーもあり。食事は肉かベジタリアンかのチョイスでした。ウェブを見ると追加料金を払えばアラカルトでスシやハンバーガーなども指定出来るようになっていました。そして感心したのは乗客に話しかける時に男性アテンダントでも膝まづいて目線を合わせること。スイス人の青い目の若い男性に「マダーム」なんて言われてドキっとしました(苦笑)。早朝に家を出てからすでに長時間経っていたので食事が済むと映画も見ずに爆睡で気がつけばシベリア上空でした。

成田についてからも実家に着くまで長丁場になるかと思い、余分にスイスの美味しいチョコレートやお水やスプマンテ&おつまみを頂戴しいざ着陸。飛行機を降りる際、15人づつというお知らせがあったのですが結局そろりそろりと滞りなく降りることができました。空港へは誘導を受けながら通常より長い道のりを通り抗体検査へ。唾を容器に採取して番号ステッカーのついた書類と国内での自主待機先の住所電話番号、空港から待機先への移動方法などを記入する書類を貰い待機所へ。そこでまた座る椅子の番号が決まっていました。待つこと1時間半ぐらいで結果発表。これでもかというくらいの書類チェックを行い、晴れて入国管理所へ。多くのゲートなどが閉鎖されており、通路も管理されているので長い道のりが迷路のように感じました。それに加えて到着最終便だったようで人がほとんどいない空港管理のスタッフしかいないような寂し過ぎてちょっと怖いような空港でした。預けた荷物はすでに並べて置いてあり、麻薬検査犬にスーツケース二個クンクンされて税関員にお疲れ様と言われてやっと空港ロビーまで出てきました。この間飛行機到着から2時間。電車やバスに乗らずに帰ってくださいとの要請でしたが、あれっリムジンバスは運行してるのね?と思ったら、成田には国内線も発着しているのでそのためなんだなと
納得しました。ということで無事日本に帰国いたしましたー。

大橋美奈子 Facebook
https://www.facebook.com/minako.ohashi

メール・アドレス
minako@da-puglia.com

大橋美奈子さん経歴

 演劇の勉強で欧米に留学し、欧米の料理に馴染みました。主人の
ジョバンニ・パンフィーノはスイスの有名ホテル学校を卒業後、
レストランビジネスに入り、 高級ホテルやイタリア高級レストラン
のビーチェのヨーロッパの店舗で働いた後、 東京椿山荘に開業した
超高級ホテルのフォーシーズンの高級イタリアンとして開業した
ビーチェの指導責任者としての勤務経験がある外食のプロです。
 そのジョバンニ・パンフィーノと,日本で知り合い結婚し長女を
授かり育てていたのですが、数年前に子供の教育と生活環境を考
え、主人の故郷であるイタリア・プーリアに本格的に移住したので
す。母が料理学校を主催している関係で食に興味を持ち、自ら自家
農園で野菜を育て、自家製のオリーブオイルで体に優しい料理を楽
しんでいます。現在はプーリアで生活をしながら、イタリアの情報
発信をしたり、コンサルティング、輸出入ビジネスを行っておりま
す。

 また、時々イタリアの食ツアーを開催しています。これから私が
惚れ込んだイタリア・プーリア地方の自然を堪能する食情報を
お届けします。

 ブーツの形をしたイタリア半島のちょうどとがったヒールの辺り
がプーリア州です。私たちが日本とプーリアの架け橋になろうとダ
プーリアという会社を起したのは15年前です。その頃と比べ、日
本でも随分認知度が高まったプーリアですが、この数年主に欧米人
のヴァカンス先として大変注目を浴びています。
https://www.facebook.com/1438029856464276/photos/a.1438031556464
106.1073741828.1438029856464276/1523683344565593/?type=1&theater

 プーリア州の中心部にあるイトリアの谷(谷というより盆地という
方がふさわしい)にあるこの地に東京から移り住んで6年、兼業農
家的生活も板に着いて来ました。プーリアといえばイタリアの食料
庫といわれる程の一大農産地でオリーヴオイル、ワイン用のブドウ
をはじめ多くの野菜や果物がイタリア1番の生産量を誇ります。

 また、この地特有の地元でしか食べられない産物も沢山ありま
す。プーリア料理の身上は新鮮な食材をシンプルに食す事。この地
で生産されるチーズやワインもその料理と切っても切れない関係に
あります。そんなプーリアの我が家の毎日の食卓に上る食べ物、
飲み物たちをご紹介させていただきます。
 我が家では7対3の割合ぐらいで一般的に言うところのイタリア
料理(プーリアの郷土料理)と日本食、その他(私が個人的に好き
なアメリカン及びアジアンテイストな創作料理)を食べています。

有限会社ダプーリア 
http://www.da-puglia.com/

大橋美奈子プロフィール 
http://www.da-puglia.com/archives/000047.html

プーリア州の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%AA%E3%83%A3%E5%B7%9E

ダプーリア
大橋美奈子

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