共同親権法案への反対署名をしました
我が家もDV夫をパージした離婚家庭であるが、もう10年近く前になるため当時のことを忘れかけていた。
結婚後まもなく、
夫が言っていることが理解不能になり始めた。
なぜ私の否定ばかりする?
なぜそんなことで急に不機嫌に?
なぜ急に怒鳴る?
なぜ?
どうした??
何が起きた???
それがどうやらモラルハラスメントだと分かったのは、夫の謎の急なブチギレと不機嫌のクラスター爆弾・執拗な無視をなんとか宥めようと砕身し、息子たち共々ビクついた日々を過ごすようになって9年ほど経った頃のことだった。
私は幸い口が立つのと法学を学んでいたこともあり
家庭内のことにしろ、警察に電話することを躊躇わない妻であったから、夫の暴力は私よりも息子達に及んだ。
身体を張って息子達の盾となり暴力を受けたことは2度や3度ではない。
私は殴られようが首を絞められようが、いつでも差し違えてやるという覚悟があったが、
無論、怖くなかったかと言ったらそれは嘘である。
まだ幼かった息子達には手を出させるものかと、それこそ死に物狂いで夫に反撃していたが、いくら私が笑顔で大丈夫だよ!と言おうが
、息子達は怖かっただろうと思う。
当時はそれが本当に悔しかった。
大の男が、躾けと称して
4つや7つの子供に平手打ち。
どんな理由があろうと、そんなのは躾でもなんでもない。
話せば理解できることに対して、なぜ暴力で躾をしようとするのだ。
夫曰く
俺も親父に殴られて躾けられた
当時は怖かったが今では感謝している、と
……あんたんちゴリラか熊の父子なの?
人の言葉はどうしたの?
悪いけど
この子達は私の子供でもあるのだから、私の子をあなたの父親の躾の手段で躾けようとしないで。
それでまた取っ組み合いの喧嘩である。
怖いと思っても息子達を守るためなのだから多少の怪我は厭わない。
当時は生傷が絶えなかったが、屈服しない私にたじろいで、夫は次に何ヶ月にも及ぶ無視を始めた。
サイレントモラハラである。
当時は息子達が本当に可哀想だった。
日曜日に私が出勤しなくてはならない時は、私の勤務先近くのショッピングモールのゲームセンターに一日中兄弟ふたりで入り浸る。
好きなだけ小遣いを持たせ、知らない大人について行かないよう好きなものをできるだけ買い与えた。
昼休みに一緒にマクドナルドで食べ
勤務終わりに一緒に家に帰る。
夫は不貞腐れて一人で家で寝ているが、無論家事も何もしないのだ
そして、どうにか息子達を守りながら
小学校高学年まで育て上げた
私と息子達はチームだったが、夫は家庭内で敵でしかなかった
なんとか親父に抵抗したい年頃になった息子達だが、長男は正面切って戦う事を好まず上手い事親父を躱して逃げるようになった。
だが、父親似の次男は事あるごとに親父と激突するようになる。
次男の口答え一言二言で、夫は爆発し
バネのように拳骨を振るいに飛ぶため、私が直ぐ間に入ってまた生傷である…
親に口答えするような奴は殴らなきゃ分からねえ!
オメェが俺に口答えするからガキが真似するんだよ!
そう怒鳴るから、
怒鳴らずに話せないの?
怒鳴るのをやめたら話をしよう、と
私は繰り返す。
夫にはそれも気に入らないのだ
私は出来るだけ言葉を選んで話すが
何をどう言おうと「逆らわれた」としか感じなくなっている
私の方が口が立つのも一因だ
だがそんなのは仕方ないじゃないか!
妻のアナタが生意気だから
殴られるんじゃないのか、と
姑には言われたが
言葉で男の子を躾けよう、と提案することの何が生意気なのか。
知識をひけらかした、と?
高飛車に見えた、と?
口が立つから?
それは殴られるような生意気なことなのか???
悪口も言わず嫌味もいわず反抗もしていなくとも
彼が生意気だと感じたら殴られても仕方がないのか????
だが、彼の家ではそうだったらしいのだ
父親の意に反した事を(例え正論でも)言い募れば、生意気、楯突いた、と判断され母(姑)も殴られ黙らされたらしい
なるほど、DVモラハラ夫の根底には、
自分も父親に殴られて育った記憶があるのだ
父が母を殴る光景が幼少期の記憶として
まるで日常のようにあったのだ
彼の父親は、確かに彼の母親のことも殴っていた。
新婚当初、私に意地悪してやめなかった事を理由に姑は舅に殴られたのだ。私も目撃した。
いやいや、なんでそんなことを?
嫁の私に意地悪したから?
なんでそんなことで義母が義父に殴られなきゃならないの?
(スカッとしたけどあれは闇の深淵を除いた瞬間だった)
つまり元夫は
「DVでしか意思を伝えられない男親」に育てられたのだ…
根は悪い人たちではない、のだろう
だがあまりにも理性に欠け
言葉を操れず
哀しいまでに、共感力に乏しいのだ
同じ人間なのに、
なんという荒削りな存在なのだろう、と天を仰いだ…結婚するまで私には、その荒削りな感性ゆえに、彼らが素朴で善良な人たちに見えていたのだ(夫を含めて)。
だが、素朴で荒削りな感性には、
他者への共感力が無く
まるで獣のように
育てられたようにしか我が子を育てられないという欠点がある
そう、まるで獣なのだ。
言葉や理論はまるでいやらしい物であるかのように嫌う。法律も知識も、同じ理由で、高みから自分を見下す手段だと感じているから軽蔑するのだ。
獣は、理解できないものに対して牙を向く。
全く同じである。
私は、人間なのに、ケダモノと我が子の子育てをしていたのだ…
言葉の面でも、彼や彼の父母と話をする際には
簡単なワードを選ばなければ通じないことが多かった。
当初はさほど気にしていなかったが、
私は次第に使う言葉を簡単な分かりやすい言葉に言い換え、ゆっくり繰り返すしかなくなっていった。
夫とは同じ学校の先輩後輩だったのだから、私の家と夫の家とで語彙力にこれほどの差があっただなんて、どうして予想できようか?
(またそんな事を言うから殴り合いになるんだよ…とは思うが、恐怖より理不尽に組み伏せられることの方が許せなかった)
だが、さすがに取っ組み合いの喧嘩で敵うわけがない。けれど夫も手加減しなければ私が直ぐ110番するために、次第にサイレントモラハラを多用するようになってきた。
一体、何が原因で夫の無視が始まったのか、
数ヶ月で分からなくなっていった。
その年の春から暮れまで、夫は私を見ると睨みつけるだけで一言も口を利かなくなった
ただ、息子達とは些細なことで一触即発の殴り合いになるので私も家に帰るのが億劫になっていた。
無視が半年を過ぎた年明け三が日
ついに次男と長男が親父との殴り合いの末、彼を玄関に組み伏せたのだ。
怪我させると大変だから、手加減して!
いやはやまるで、熊か猪の捕獲である…
数十分に渡って息子達に組み伏せられた父親は、もはや敵わぬと観念したのか、反撃しないと約束させられて解放された。
そこからだろうか…
出口が見えてきたのは。
意気消沈した彼を慰め、私は言った。
私ではあの子たちを、もう抑えられない。
危ないから、しばらく実家に帰っていてくれないか。アナタの安全のためよ、と。
(これは嘘である。私と息子達はモラルハラスメントと知識で戦うチームを組んでいた。父親を殺したいと嘆く次男を宥め、真っ当に生きた方がずっと幸せになれると慰め堪えるよう支えてきたから、息子達は言葉で父親と話す用意があった。だが、ケダモノの方法しか知らない夫にとって、息子の暴力が抑えられない母親、の方がすんなり理解できるのだ。私はそこまで解った上で彼を追い出しにかかった)
無論、薄氷を履む思いではあった。
バレたらまた殴り合いと無視地獄である
姑に、情けない声で謝りの電話をかけた
しばらく避難させてやって欲しい、と。
案の定、姑も「息子の暴力を抑えられない母親」の演出をすんなり理解した。
軽蔑すべきことに、彼らのライフスタイルにおいてはそれ(息子の暴力を抑えられない親
と言う構図)は説明の余地のない分かりやすい言葉なのだ…
夫を彼の実家に「避難」させて数ヶ月。
我が家は初めて平和な暮らしを手に入れた。
ちなみに当時暮らしていたのは、なんと私の実家であった。私の親は私の婚姻中に倒れ要介護となり施設に入所したが、その面倒を見、費用を出していたのは私だけである。
自分の実家に住んでいながら、
仕事をし、息子達を守り
夫のDVに耐え、実の親の介護を続けていたあの数年間は、
さながらアマゾンに不時着した飛行機から大怪我を負って脱出しアナコンダやピューマと素手で戦い血を流しながら生き抜いた、地獄の体験のようであった。
さてそうこうするうち
別居を上手いこと進める中で、ある時また喧嘩になり「離婚届でもなんでも出せ!」と彼が怒鳴ったので、ここぞとばかりにそのようにした。
緑の届出書を入手し、私の署名をして、持って行くと、売り言葉に買い言葉、彼はそれに署名したのだ。
(やった…)
彼は私が、怒りに任せて嫌がらせのために離婚届を持ってきたのだと(つまり本気ではないと)思ってたんだろう。
こちらから離婚して、などと言おうものなら何をされるか分かったものではないが、彼がそう言ったのだからこれに乗じないわけにはいかない、千載一遇のチャンスである。
私の親戚に証人欄に署名してもらい、とっとと役所に提出。
19年間の枷が外れた瞬間である。
法的には受理に関する但書があるのだが、彼がそれに気が付かないことを祈った。
私を無視することで怒りを表明してきた彼である…やはりその後数ヶ月、コンタクトを取ってこなかったので、離婚届が受理されたことも円満に協議離婚が済んだことも、彼は確認してこなかった。
ほぼ1年間が過ぎた頃
「あの離婚届はどうしたんだ」と彼から電話があった。
出しましたよ、アナタが出せ、って言ったから。
不受理に関する法律のことを、彼に入れ知恵する奴が居ないように、と神に祈る…
ああ、そう!
と夫は電話を切った。
戦いは終わった。
繰り返すが、
結婚していた期間は
私と子供達にとって
アマゾンに不時着した飛行機からの脱出、
血を流して野生動物と戦うサバイバルに等しかった
守ってくれる者などおらず
身近な男が昼夜問わず家の中で突如牙を向く、絶体絶命のデスマッチだった
そんな男に親を期待?
ケダモノに人間の子育ては出来ない
最初に見誤った罪を被って
私は自分の19年間を犠牲にした
共同親権法案がもしあの当時に可決されていたなら
私は犯罪者になったとしても
裁判所命令に背いて息子たちを逃すだろう
それよりなにより
息子達が、本当に夫を殺していたかもしれない
私は手加減するようにとは言えなくなったかもしれない
将来を棒に振っても
父親を殺す
次男は当時本当にそう言っていた
彼がそうしなくて済んだのは
共同親権を命ずる法律が無かったからである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?