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fondiの軌跡 - 「なんで英会話メタバース?」編

初めに

初めまして。「カタコト英語から始まる、バーチャル海外生活アプリ」 “fondi” の代表を務める野原です。昨日、こちらのプレスリリースにて、累計2.5億円の資金調達を発表させていただきました。何社かメディア様にも取り上げていただき、大変ありがたい限りです。

また、たくさんの方にシェアをいただきまして、応援いただける皆様に深くお礼申し上げます。簡単に自己紹介ついでに、私のプロフィールはこんな感じです。

1996年生まれ26歳。茨城県つくば市育ち。高校卒業後、University of Warwick Management学部に進学。2017年、大学を休学して、株式会社fondi(旧名:Compass Pioneering)を創業。経営全般と、プロダクトマネージャーとしての役割を担いながら、四苦八苦中。

fondiは、英語学習を足がかりに、多様な教育コンテンツを楽しめるグローバルメタバースを目指す日本発のプロジェクトです。2020年5月のアプリ提供正式開始以降累計インストール数は33万件。海外ユーザー比率は94%を超え、東南アジア・アフリカ地域8カ国9地域のユーザー様を中心にお使いいただいています。

リリースを見かけていただいた方の中には、
「ふむ。なんでメタバース? なんで留学?英会話?」
と感じた方もいらっしゃったかもしれません。

今日は、これからfondiというプロジェクトに興味を持ってくださる全ての方に向けて、

  • 株式会社fondiの創業ストーリー

  • fondiが掲げるミッションについて

  • ミッションから、fondiの原型を導き出すまで。

など、プレスリリースには書き切れなかったことを書き綴ってみようと思います。今回は、これまでのfondiの軌跡から紡ぎ出す「なんで英会話メタバース? /バーチャル留学?」編です。

これまで創業からほとんど発信をしておらず、小さなチームで、静かにモノづくりを進めてきました。しかし、今現在からこの先は、fondiが作る世界に共感・協力してくれる仲間を増やすフェーズに入ります。
fondiというプロジェクトはまだまだ始まったばかり。やっとスタート地点に立てたような気持ちでいる私たちの「これまで」を、ぜひ知っていただけたら嬉しいです。また、偉大なプロダクトを作ってから死にたい1人の起業家の実験録として、誰かの役に立てたらもっと嬉しいです。


私たちの祖業 - 留学コンパス

それは、無知な意識高い系学生の熱意から始まった。

そもそもこのプロジェクトは、2016年の冬、KLab株式会社の新規事業開発インターンを終えた私が、通っていたイギリスの大学に意気揚々と凱旋して「さあ!これから自分のプロジェクトを成功させて!最強の学生になるぜ!」と息巻いていた時から端を発します。

KLabの当時社長であり、新規事業部を率いていらっしゃった真田さんの事業作りの背中を見て感じた「自分でも何かやってみたい!」という気持ちと、自分が最も親近感を感じられるテーマとして掲げた「留学」という市場選定から、僕の起業家人生は始まりました。

この時のアイデアは『留学経験者と希望者のマッチングウェブサービス』。「経験者と話せたら便利じゃん!」ぐらいの単細胞な考えから始まっていて、インサイトも市場理解も何もない、今から考えれば本当に恐ろしいものです。
当時の私と同じようにイギリスに進学した日本人の友達に声をかけたり、知り合いの知り合いの知り合いまで辿ったりして、無事最初のWebサイト作りのメンバーが集まりました。

*当時作っていた画面遷移図。ワイヤーフレームツールも知らず、パワポで書いている…。

初めてで分からないことだらけでしたが、画面遷移を作ってみたり、資金調達を回ってみたり。自分はすぐに偉大になる道を歩んでいるような気がして、とにかく必死に、無邪気にワクワクしていたのを思い出します。

チーム崩壊を経て、最高のパートナーに出会えた。

意気揚々と、前へ前へ、成功を疑うこともなくプロジェクトを進めていた私ですが、最初に組成したチームはいとも簡単にポッキリと終わりを迎えます。

自分の無茶苦茶なプロジェクトマネジメントのせいで、チームに少しずつ不満が溜まり、1人のメンバーの離脱をきっかけに、5名ほどいたメンバーが全員辞めました。使い古されたようにすら感じる学生プロジェクト鉄板の顛末ですので、今更 “ドラマチック” に長々と語るつもりはありません。

初めて会った時は面白い人かも? と思ったけど、関わってみると正直「人としては」面白くない。

しかしながら、最初に辞めたメンバーから言われたこの言葉の一言一句と、その時の大学寮の温度感や静けさは、今でもまざまざと思い出すことができます。

この言葉はおそらく自分の記憶よりも深く心に刻まれていて、今チームとして大切にしている 「“Melting Pot":プロ同士、溶け合うように働こう 」というスタンス、徹底して各メンバーの利害と向かう先をアラインして、全員で大きな成果を目指すチームビルディングは、この時のトラウマから来ているのかもしれません。

その当時、私が “学び” として整理したのは、「特に初期は、とにかく膝を突き合わせて熱狂することが大事。今の自分には、学生をやりながら、プロジェクトを推進できる実力はない。」ということでした。

「そうか、僕は面白くないか。」
そんな絶望感も感じつつも、そのまま終わってたまるか!という気持ちから、私は自然と休学を決めていました。結果的に、「とりあえず、1年間休学をしてみる」というこの意思決定は、僕の人生を振り返っても最も意味のある意思決定となります。共同創業者である磯上(Issoくん)と道を交えることができたからです。

Issoくんは、高校時代、1つ下の学年で同じサッカー部でプレイしていた後輩でした。私が死ぬ気で勉強しても全然点数が取れなかったテストで、勉強せずに学年1位を取っていた彼が、「エンジニア留学したらしい」と噂に聞きつけた私は、すぐに「ちょっとだけ手伝ってよ」と声をかけました。

最初に任せたのは、ブログ機能の開発。週1回か2回、たまにカフェで相談していた関係から、お世話になっていたRettyオフィスのカフェスペースで徐々に “膝を突き合わせて” 考えるようになり、いつの間にか Issoくんも東京大学を休学してくれていました。

 - まずは手伝ってくれることを決めてくれたこと。
 - 休学をすることを決めてくれたこと。

1つ1つのIssoくんの意思決定が、今のチームの全てにつながっています。本当にありがとう。Issoくんの休学決定を受け、私自身も休学の延長がこれもまた自然に決まり、会社として本格的に始動したわけです。

1年間向き合い続けた仮説への敗北

2018年3月12日。本格始動も束の間、ココナラの代表取締役南さんに事業に対して厳しくフィードバックを頂いたその時が私たちにとって大きな転換点となりました。この日から、私たちの本当のプロダクト作りはスタートしたのだと思います。

・Founderにしか分からない、独自のインサイトは何か
・ユーザーが抱えているペインは何なのか。

このような、起業家として向き合うべき当たり前であり、しかしいつだって向き合い切るのが難しいこの問いと、南さんとのメンタリングを通じて改めて問い直した結果、『留学したいんだけど、何したらいいか分からないんだよ〜』というユーザーからの言葉を思い出しました。

この課題を主軸に、上で述べた「留学経験者とのマッチング」を軸にした事業からのピボットを、ココナラのオフィスがあった五反田のスタバで決めました。今回そのきっかけをくれた南さんから、ココナラスキルパートナーズを通じて出資いただいているのは感慨深いものがあります。

ここからの留学コンパスが作ろうとしていたのは、
答えられる質問に答えていけば、 行きたい留学 “プラン” が見つかる、留学版Pinterest
でした。根底にある仮説としては、「情報流通を個人最適化できる仕組みを作ることで、留学潜在層を顕在化できるはずである」というもの。

今見ると、「コミュニティ」という表現にセンスのなさを感じます。

通常の留学への意思決定フローは、

  1. 「留学 アメリカ」など、ざっくりした言葉でググる。

  2. 留学エージェントが占有するSEOメディアで、ざっくりした情報を取る。

  3. まずはエージェントに相談。

  4. そこで営業パーソンに勧められたものの中から意思決定。

というものでした。この留学の意思決定に至る情報取得フローを、

  1. 「大学生、夏か冬に留学、自然が多い所の方がいい」といった、直感的な質問に答える。

  2. 該当する留学プランが、“細かい訴求”と共に提案される。

  3. “いいね” していくと、さらに関連するプランが出てくる。

  4. そのプランのサポートができるエージェントや経験者と、その場でチャットで相談できる。

という形に変えることを目指したのです。デザインの方向性からプランの比較機能まで、チームで “膝を突き合わせて” 話し合いながら、根幹から全てを考え直しました。この情報の流通構造を作るトライを、1年ほどかけて何度も何度も繰り返したわけです。

その時に実施した合宿の様子。今でもfondiの文化として大事にしています。

結論、どこまでやっても数字が伸び切らなかった。
・初期モデルで、LPのUUからの成約率が、0.1%
・留学の意思決定を変えているツール にするための理想は、1.0%
・何度もあれこれ試して、結局達成できたのが、0.22%

なぜか。結局、「情報流通の仕組みでは、留学を阻む根本原因を超えられなかった」からです。

・行きたいと思えても、親に相談してみたら、お金がないと言われた。それを無理にでも説得するのは難しい。
・先輩に相談してみたら、「そのタイミングの留学は、就活に出遅れることになるかもよ?」と言われて、やっぱり不安で意思決定できない。

などなど。留学を考えてくれていたユーザー様を、個人個人の環境における縛りや障壁を越えるよう導く設計・デザイン・クリエイティブは作れず、1年間向き合った仮説に大敗北を喫しました。

振り出しに戻る。さて、どうする?

意外と迷わなかったピボット期間

1年間向き合った仮説から離れることを決め、携わってくれていたメンバーは就活のタイミングでもあったため、共同創業者のIssoを除いて再び解散となりました(この時また、「残る」という意思決定をIssoくんがしてくれたからこそ、今のfondiがあるわけです…)。

さて、どうするか。僕の中には、自然と事業作りを辞めて、大学に戻るという選択肢はありませんでした。また「0に戻った」という自分への失望感は強くありつつも、やはり「プロダクトを作っていたい」という思いが勝ったのだと思います。

未来に生き、今欠けているものを創る。 
Live in the future, build what's missing. 

- Paul Buchheit

起業家、プロダクトマネージャーの間では引用され尽くしているもので、真新しいものでもありません。しかしながら、結局ここに立ち返ることになりました。これは、現状のものを少し良くしていくような、イノベーションのジレンマでいう持続的イノベーションに当たるアプローチではなく、これから当たり前になると信じられる未来像を具体的に思い描き、現在とその未来のギャップを埋めるプロダクトを発明する生き方と言えます。

つまるところ、ディスラプティブなアイデアの発想から、ミクロな狂気的なこだわり、チーム作り、資本政策を全て含めて、発明家的な起業家として生きることに憧れているわけです。

そんな憧れを持てた理由 - 私の過去の話

ピボット期間の最中、そんな明確な指針を持てている自分に、私自身は少しばかりの違和感を覚えました。事業ピボットは、もっと迷い苦しみ、どう生きていったらよいか分からなくなるようなものだと想像していたからです。

もっとも、私自身「一つのことに強く執着する」ということ自体が初めてだったのですよね。では、なぜ自分の人生の指針を持つことができたのか。

少し遡り、私の過去の話をさせてください。

私は、茨城県つくば市育ちで、小中学校ではテストは基本満点の比較的真面目な生徒で、高校は東大・早慶等を目指す学生が多い県内の進学校に入りました。東大に入るような人と比べるとアレですが、サッカー部でも副部長を務め、それなりに「文武両道」を目指すような “いい子ちゃん”でした。

一方で、「好きなこと/やりたいことが何もない!」ということが強烈なコンプレックスでもありました。その背景には、小さい頃からピアノに打ち込んでいて、今も音楽家(厳密には伴奏家)として挑戦を続けるほどに「好きなこと」を持っていた3つ上のの存在があります。
そんな姉と比較して、「正しいこと」は全部それなりにちゃんとやっているけれど、どこか自分が心の底から好きなことがなくて、居場所がないように感じていたのだと思います。

そんなコンプレックスだったり、自分の中のモヤモヤが爆発したのが、サッカー部を引退し、大学受験を真剣に考え始めた時でした。
例え頑張って大学に入れたとしても、行った後に何をやりたいのか分からない人生をまた繰り返すのか…。
と考え始めると、1年間のエネルギーを向けていくことにどうしても納得できませんでした。

そんな中、通常あり得ないような「日本の外に出てみたら?」という両親からの提案が幸運なきっかけとなり、野原青年は海外大学への進学を決めます。具体的にどうやって決心できたのか正直覚えていないぐらい勢いに任せた意思決定だったけれど、それが何か自分の人生を大きく変えてくれる気がして。この時もとにかくがむしゃらに準備を進めていきました。

改めて言語化してみると、信じられないほど恵まれた話だなと思う次第です…。結果的に、この意思決定もまた、僕の人生の中最も優れたものの一つとなりました。ほとんど両親のおかげだけれど…。本当にありがとう!

私が選んだ大学 "University of Warwick" はまだ創設間もないながら、教育環境に積極的に投資をしており、特に大学院(数学系)とMBAでは、イギリスでUniversity of Oxford、University of Cambridgeの次にくる評価を得ている大学です。その新進気鋭な雰囲気が所以か、呼び寄せるのがかなり野心的な方ばかりで、本当に刺激的な日々になりました (私の周りが特殊だった・幸運だった可能性も十分あります)。

  • 父親が数百名規模の自動車部品系の会社の社長をしていて、その海外子会社の代表を若くから任せられたイタリア人。

  • 母国バングラデシュで、貧困サポートのNPOの立ち上げを高校生から経験した爽やか君。

  • 政府の腐敗を断ち切るべく、政治家を目指すコロンビア人。

  • 世界のお金持ちランキングとかで調べたら出てくるような、ドバイの建築王の息子。

などなど。「真面目に勉強とFootballをしてた」としか言えない自分が途方もなくダサくて、でも「自分が実現したいことのために、今現在時点から行動する」人たちの近くで過ごすことで、自分でも何か手を動かす挑戦をしたい!という気持ちがフツフツと湧いてきました。これがあったからこそ、まずは事業作りのインターンをしてみることに繋がり、それが今の会社に繋がっていくわけです。

話を戻します。なぜ自分の人生の指針を持つことができたのか。それは、

高校時代までの「やりたいことよりも、正しいことをする」価値観が、
「やりたいことを、正しく楽しむ」価値観を持っている人たちとの遭遇で揺さぶられ、
もっと自分らしく、やりたいことに忠実に生きていいのだと思えていた

からです。その価値観の揺らぎを経験していたからこそ、「まずはやってみたい」から学生プロジェクトを始めることができ、そこで体験した事業作りの営みが、「やりたいこと」そして「自分らしさ」に変わっていったのだと思います。


Missionに立ち返る

さて、「未来にいき、今欠けているものを創る」ことをは決まった。が、何を作ろうか。

色々な事業案を考えたりもしたのですが、結局、「自分の人生を変えてくれた体験が、もっと多くの人に届く世界を作りたい」という留学事業を作っていた時の気持ちを大切にすることにしました。

株式会社fondiでは、「"らしさ" を揺るがす」をMissionとして掲げています。

らしさを揺るがせば、今生きている自分 “らしさ” の先にある、自分 “らしさ”に出会えるはず。そうすれば、きっともっと自分らしく生きていける。
fondiは、らしさを揺るがす、人・体験・知性との遭遇機会を演出する。

このMissionにLoyalに作ってきたのが、”fondi”というプロダクトです。


なんでメタバース/バーチャル留学?アバター英会話?

最初のアイデアの起点となったのは、上で述べた、「留学コンパスの仮説が敗北した理由」でした。いかに情報の伝え方を変えても、「金銭的/時間的な障壁」と「環境的/価値観的制限」を超えることはできなかったわけです。

であれば、バーチャルで留学できたらどうか。
これが最初のアイデアの起点でした。

英会話レッスンに通うように、いや、英語アプリをスマホで使うように、”留学体験” が楽しめたらどうか。これは、「全く新しい語学学習体験」になるのではないか。

私自身の学習体験を振り返ると、もっとも英語力、特に実践的に使える英会話力を伸ばすことができたのは、留学してから最初の3ヶ月 ~ 6ヶ月間でした。

○ 留学先で出会ったさまざまな国・地域からきた友人達と、パブに出かけて夜まで語り合ったり。
○ 時には、大学寮にあるビリヤードやゲームをしながら駄弁ったり。
○ 一緒に勉強しながら、自分の将来について相談したり。

そんな時間を一緒に過ごせたことがなによりも大切な経験になりましたし、自分の英会話力を引き上げてくれることに繋がりました。実用的に英語を使えるようになることに最も効果的なのは、「日常の中で何気ない会話を、たくさんする」ことだと、私は考えます。

まるで留学するかのように街を散策して、海外の友達を作り、日常会話を楽しめたら?そこで英語を使う能力が上がって、普段だったら出会うはずのないような人・価値観との遭遇が楽しめたとしたら
留学事業で志した形とは一味違う、でももっとドラスティックな価値提供・転換が可能なのではないか、と考えたわけです。


アバターを使った英会話コミュニティの価値探索

学習手法としてはそこまで一般的ではないのですが、いざ探してみると意外と海外の人と「話せる」ツールはたくさんあります。

【アバターを使うもの】
・VRChatを中心とした、”3Dアバター” コミュニティ
・ゲームをしながら音声で会話を楽しむゲームコミュニティ

【アバターを使わないもの】
・英語学習・国際交流の目的で提供されるDiscord コミュニティ
・国際交流アプリの通話機能
・Omegle(海外版斉藤さん)

などです。これらを自分自身が「英会話能力の習得目的で使う1ユーザー」として試した時、以下の2点から利用が難しいと結論付けました。

一つ目の理由は「コミュニティの質」です。例えば、VRChatやOmegleなどで、「自国言語以外」を使いながら安心して話せるコミュニティを見つけるのは至難の業です。当然ながらハラスメントもありますし、ネイティブスピーカーが多いその性質上、そこで行われている会話についていくのは2年間イギリスで過ごした私でも気後れするものでした。

同時に、アバターを使わないものと使うものの間にある、その原理上超えられない「コミュニケーションとコンテンツの広がりの可能性の違い」にも気付かされました。例えば、Discordの語学学習コミュニティ。ある会話に、「“そのアイコンと名前の人”が参加している」ことしか分からないというのは、思ったよりも心労が大きいと感じました。

Discordで自分でコミュニティを運営してみたりもしていました。


また、VRChat等で提供されている多様なコンテンツが実現しうる “会話のネタ” というのも、2Dの画面で提供できるものとは一線を画していると確信しました。

ZEPETOでトークグループを作っての実験も。


そこでfondiでは、以下の2つの視点を大切にしてきました。

平たくいえば、「安心して英語が話せて、まるで留学先にいるかのように没入できる場所」を提供することが価値になる、と定義したわけです。
「バーチャル留学できたらどうか?」というアイデアと、当時使えたツールの検証を経て、私たちはfondiを正式にプロジェクトとして始動することを決めます。

これが、fondiの原型に至るまでの、fondiの創業ストーリーです。
少し長くなってきてしまったので、一旦今日はここまで。
次編、「fondiの軌跡 - なぜグローバルにユーザーを獲得できたのか」を土曜日に 近日公開予定です。

ぜひ、私野原のツイッターをフォローいただき、発信をご覧いただけたら嬉しいです。

また、fondiでは、一緒にメタバース作りに取り組んでいただけるメンバーを募集しています。ご興味がある方は採用ページをチェックしてみてください!


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