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『胡桃の箱』27 墓石に涙


春になった。実家に帰省していた僕は、母と墓参りに出掛けた。

うちの家族は一応クリスチャンだったが、ご先祖は仏教徒だったので、盆と正月とお彼岸は、暦通りに先祖代々の墓参りをしていた。

祖母のために新しい墓を建ててからは、ご先祖の墓との二箇所を墓参するようになるが、上京してからは殆ど行けてなかった。

今回は、秋人パパの納骨をしてから半年ぶりの墓参りになる。

「秋人パパ、冬子ばあちゃん、なかなか、来れなくてごめんね」

そう言いながら、淡いベージュ色の墓石に水をかけた。

墓石は横型で、英語の聖句が刻まれていた。両脇の花差しに、母が薄紫色のトルコキキョウの花束を生ける。

そこへ、コツコツコツとヒールの音がして、つばの広い帽子を目深に被った、背の高い女性が近づいて来た。手には、マーガレットの花束を携えている。それは、はるみさんだった。

「こんにちは、来られていたんですね」

「あらまあ、びっくりしたわ。私たちも今、来たところなのよ」

「そうなんですか。たまたま時間が出来たので来たんですが、お二人に会えるなんて偶然ですね」

はるみさんは花を生けると、墓碑を読んだ。


「『There  is  an  appointed  time  for  everything,

And  there  is  a  time  for  every  event  under  heaven

A  time  to  give  birth,  and  a  time  to  die』」


そして読み終わると、目を閉じた。彼女の瞼から、一筋の涙が零れ落ちる。母と僕も、黙祷した。

しばらく目を瞑っていると、春の風が優しく頬をなでる。どこからともなく、秋人パパの声が聞こえてきそうだ。隣で笑っている様な気配さえする。

あれっと思い目を開けると、そこに秋人パパの姿はなく、はるみさんが墓石をじっと眺めていた。

「これって、聖書の言葉なんですか?」

「そう、日本語では

『天が下のすべての事には時があり、

すべての業には時がある。

生まるるに時あり、死ぬるに時あり』

なんだけど、英語の方が字面がいいでしょ」

母が答えた。

「いい言葉ですね」

「お墓を建てたとき、秋ちゃんが選んだ聖句なのよ」

「秋人さんが?」

「私たち、クリスチャンっていうほど熱心ではないんだけど、学校がミッション系だったから、聖書とか賛美歌が心のより所になってるみたい」

「そうなんですね」

 母は、墓石を撫でた。

「秋ちゃん、お母さん、今日は春人とはるみちゃんが来てくれて、良かったわね。じゃあ、また来るから、二人共、元気でね」

「ちょっと『元気でね』っておかしくない?」

思わず僕は、突っ込んだ。横で、はるみさんが笑っている。

「あ、そうか。二人共、仲良くね」

 こういう適当なところが、母らしい。ただ、はるみさんのことを「はるみちゃん」と呼んだのが気になったが、それには触れずに僕らは歩き出した。

「はるみちゃん、今日はどうやって来たの?」

「新幹線です」

「あら、それなら駅まで送って行くわよ。ちょうど春人も、このまま東京に帰るところなの」

「そうなんですか。もし春人君が迷惑じゃなければ、ご一緒させて頂こうかな」

はるみさんは、僕の方を向いた。

「別に、いいですけど」

「良かった」
僕ら三人は、母の車で駅に向かった。

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