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『胡桃の箱』30 桜の宴

それから、二週間経った。 各地で桜が咲き始めていたが、コロナ騒ぎで自粛生活が強いられ、息苦しい日々だった。 そんな日曜日の朝、突然白石はるみから電話が来た。 「お休みの日に電話して、ごめんなさいね。寝てたかな?」 「いえ、大丈夫です」 彼女が実の母親だということを知ってしまったが、特に感情の変化は無かった。 「実は、うちの社長がね、『田園調布の家の桜が見頃だから、観に来ないか』って言うんだけど、折角だから春人君も来ないかなって思って」 「今日ですか」 「急だけど、どうかな?

    • 『胡桃の箱』29 真実は、

       その晩、母から電話がかかって来た。 「今日は、はるみちゃんと何か話した?」 「何かって何?」 「いや、特に何って訳じゃないんだけど」 歯切れの悪い母の物言いに、苛立った僕は短刀直入に聞いてみた。 「ねえ、白石はるみって、うちと親戚なの?」 「そうよ」  母は、あっさり答えたので拍子抜けした。 「えっ、そうなの?今日、聞いてみたら笑って誤魔化されたんだけど」 「まあ、そうだろうね」 「そうだろうって、どういうこと?」 「あの人の本名、教えようか」 「そういや

      • 『胡桃の箱』28 車中で

        高崎駅に着くと、はるみさんは僕の分まで切符を買ってくれた。しかもグリーン車だ。 母は、お茶と駅弁を買ってきた。何だか、ちょっとした旅行気分になる。 「今日は思い切って来て、お二人に会えて良かったです。また、来させて下さいね」 「いつでも、いらっしゃいな」 「夏子さん、どうぞお元気で」 「ありがとう」  僕らが席に着くと、列車は動き出した。 「二人っきりで新幹線に乗るって、不思議な気分ね」 「切符、ありがとうございます」 「いいのよ。気にしないで。こちらも、美味しそうなお弁当い

        • 『胡桃の箱』27 すべての業には時が

          春になった。実家に帰省していた僕は、母と墓参りに出掛けた。 うちの家族は一応クリスチャンだったが、ご先祖は仏教徒だったので、盆と正月とお彼岸は、暦通りに先祖代々の墓参りをしていた。 祖母のために新しい墓を建ててからは、ご先祖の墓との二箇所を墓参するようになるが、上京してからは殆ど行けてなかった。 今回は、秋人パパの納骨をしてから半年ぶりの墓参りになる。 「秋人パパ、冬子ばあちゃん、なかなか、来れなくてごめんね」 そう言いながら、淡いベージュ色の墓石に水をかけた。

        『胡桃の箱』30 桜の宴

          『胡桃の箱』26 地下のバーで

          その年の冬、中国の武漢で発生した謎の感染症のニュースが、世界中を駆け巡った。 年が明けると、政府の用意したチャーター機で日本人が帰国したり、横浜港に寄港したクルーズ船内で新型ウィルスの感染症が流行したりで、日本中が大騒ぎになった。 店頭からはマスクが消え、誰もがあの手この手でマスクを手に入れる方法に、知恵を絞るという変な日常になっていた。 そんな二月の下旬、源ちゃんから電話がかかってきた。 「春人、今東京来てるんだけど会えないか?」 「大丈夫だけど、なんでまた急に?

          『胡桃の箱』26 地下のバーで

          『胡桃の箱』25 深まる謎

          冬休みになり、僕は高崎に帰ってきた。この休みの間に、不動産の名義変更の手続きを進める予定だ。 いろいろと面倒くさいが、冬爺の年齢のことを考えると手続きは早く済ませた方がいい。実印を作り印環登録もしたが、無くすと怖いので、実印も印環登録書も母に預けた。 「気をつけないと、印鑑一つで全財産無くすこともあるからね」  母が脅かす。 「分かってるよ」 「連帯保証人にならないことと、株に手を出さないこと。これが、古城家の家訓だがらね」 「はいはい、分かった、分かった。それは、耳にタ

          『胡桃の箱』25 深まる謎

          『胡桃の箱』24 暗号

          一九三九年の晩秋、雪乃は幼い茂をおんぶしながら冬支度をしていた。 夫のオーバーコートの綻びを繕った後、可愛い息子のために空色の毛糸でセーターを編み始めた。 毛糸が余ったら、次は何を編もう。帽子に靴下、ミトンもいいかもしれない。そう考えるだけで、幸せが込み上げてくる。 北国の寒さは厳しいが、三人で過ごす初めての冬。その備えをするのは、楽しさでいっぱいだった。 雪乃の口からは、自然と歌がこぼれてくる。 北風さんが 吹いている 粉雪さんも 降ってくる 坊やのお家に 冬がくる

          『胡桃の箱』24 暗号

          『胡桃の箱』23 海辺のカフェ

          数日後、白石はるみは礼文島に飛んだ。島には祖母と母の墓があり、彼女の父親も暮らしている。 はるみはミハイル・アクセノフの話を、一刻も早く父親の茂に報告したかった。 ミハイルと雪乃の間に生まれた茂は、父親の顔を知らずに育った。子ども時代は裕福な母の実家で過ごしたが、出戻りの母親と異人との間に生まれた子供にとって、居心地の良い環境ではなかった。 元来負けず嫌いの茂は努力をし、東京の大学を出て大企業に勤めた後、家庭を築いた。しかし娘が九歳の時に妻に先立たれて、やむなく退職する。

          『胡桃の箱』23 海辺のカフェ

          『胡桃の箱』22 新聞記者

           その晩、僕は母から古城家が所有している不動産について相談された。 今のところ写真館と喫茶店、軽井沢の別荘と田園調布の家、その四軒とも全て冬爺の名義になっている。 「おじいちゃんも年でしょう。春人も成人した事だし、そろそろ不動産の名義変更の手続きをしたいと思ってるんだけど、どうかな?」 「それって、どういうこと?」 「家の名義を、おじいちゃんから春人の名義に変更するのよ」 「四件とも?」 「ううん、田園調布の家は売却することになってね。今、内装工事をしているところよ」 

          『胡桃の箱』22 新聞記者

          『胡桃の箱』21 シベリア

          家に帰ると、僕は冬爺の部屋のドアをノックした。 「おじいちゃん、ただいま。入るよ」 ドアを開けると、冬爺はデスクに新聞を広げて、老眼鏡と拡大鏡を使って読んでいた。僕は祖父の耳元で、大声で話した。 「はるみさんって女優さんがね、おじいちゃんと話がしたいって来てるよ」 冬爺は顔を上げると、はるみさんに目で挨拶をした。 「突然お邪魔して、すみません。これ、つまらないものですけど、どうぞ」 はるみさんは、菓子折りを差し出した。祖父は黙ったまま会釈をすると、眼鏡を外して新聞

          『胡桃の箱』21 シベリア

          『胡桃の箱』20 納骨式

          九月、高崎の霊園で、秋人パパの納骨式が行われた。お墓は、五年前に祖母の冬子が亡くなった時に建てられいる。 僕らは墓に花を手向け、賛美歌を歌う。続いて牧師さんが、聖書を読んで祈祷する。それから納骨だ。 僕は祖母の小さな骨壷の隣に、一回り大きな骨壷を置いた。秋人パパは頑丈な人だったが、骨壷もめちゃくちゃ重かった。それは、骨になっても存在を主張しているように思えた。 こんな冷たい壷の中で、窮屈な思いをしているんじゃないだろうか。ランプに押し込められた魔人の様に、秋人パパも出たがっ

          『胡桃の箱』20 納骨式

          『胡桃の箱』19 もう一枚の写真

          はるみはゼンマイが見つかって以来、寝る前にオルゴールを鳴らすのが日課になっていた。そのメロディーを聴いていると、どこかで聴いたことがあるような、隠されていた記憶の断片が、過去から語りかけてくるような気がする。何の曲だろう。 蓋の内側には、曲名が刻印されたパネルがはめられているが、あまりに古すぎて文字がよく読めない。 はるみは蓋を傾けて、パネルの文字を読もうとした。すると、金属のパネルと蓋の間に紙のようなものが挟まっているのが見えた。 「何かな?」 気になった彼女は、キ

          『胡桃の箱』19 もう一枚の写真

          『胡桃の箱』18 隠されていた秘密

          その夜、白石はるみは自宅の寝室で、オルゴールの鍵を眺めていた。錠前屋が作ったその鍵は、独特な形をしていた。 その形は、何処かで見たことのあるような気がするが、さあ、何処だろう。 「もしや」 ハッとした彼女はジュエリーケースから、アンティ―クのペンダントを取り出した。 細い革紐に、小さな鍵とゼンマイネジと指輪を通したペンダントは、秋人からもらったものだった。 はるみは、佐々木が作らせたオルゴールの鍵とペンダントの鍵を見比べた。二つの鍵は、大きさも形状も一致した。 ただ

          『胡桃の箱』18 隠されていた秘密

          『胡桃の箱』17 捏造

          家に帰るとすぐ、オルゴールの画像を源ちゃんに送った。 「とあるバーで見つけたんだけど、うちから盗まれた箱かな?」 けれど、なかなか返信が来ない。きっと忙しいんだろう。僕は、しばらく待った。 三日後、やっと源ちゃんから電話が来た。 「おう春人、なかなか連絡できなくてごめんな」 いつもより、源ちゃんの声に元気がない。 「疲れてるみたいだけど、大丈夫?」 「ああ、エアコンつけっぱで寝てたら、風邪引いたみたいでさ」 「そうなんだ。実はね、白石はるみに会ったんだ」 「

          『胡桃の箱』17 捏造

          『胡桃の箱』16 疑惑

           数日後、僕は佐々木さんに誘われて、老舗のバーを訪れた。カウンターで酒を飲むのは、初めてだ。 ジャズの生演奏のお陰で、我々の会話は他の客には聴こえない。 「ちょっと、聞きたいことがあってさ」 ウイスキーのグラスを揺らしながら話す佐々木さんは、もう僕に対して敬語ではなかった。 「古城君って、どうやって白石はるみと知り合ったの?」 「先月、叔父の葬儀で初めて会いました」 「じゃ、この前、わざわざ君の事を呼んだのは何で?」 何でだろう。 「僕も、何でかなって思ってて

          『胡桃の箱』16 疑惑

          『胡桃の箱』15 流出した写真

          東京に帰ってから、芳名帳に書かれていた住所の場所を探してみた。そこは、都心に建てられたビルだった。 僕はマウンテンバイクを停め、空調の利いたビルのエントランスに入ってみた。 エレベーターの前には、ビルに入っているテナントの表示がある。芳名帳の住所は、やはり事務所のもののようだ。 このビルのワンフロアーが、白石はるみの所属事務所になっているらしい。しかし中に入ったとしても、彼女に会うことは不可能だろう。 不審者扱いされるのも嫌なので、そのまま帰って来た。 二日後、直樹

          『胡桃の箱』15 流出した写真