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『凸凹息子の父になる』16 生き物パラダイス


 我が家の周りも家が増えて来たが、まだ水田が残っているお陰で、いろんな生き物に触れることができる。

 家の裏にある田んぼでは田植えも終わり、青畳を敷いた様な整然とした姿を見せている。
 この時期になると、田んぼでは豆粒ほどの小さなアマガエルが大発生する。そして、おびただしい数のカエルが、我が家の庭にまで進入する。

 日曜日、私はカーポートに停めた車を洗っていた。
 翔太は、豆粒ガエルを捕まえるのに夢中になり、捕まえたカエルを大量にジャムのビンに詰めている。なんとも残酷な光景だが、私は構わず洗車に専念していた。

 すると、妻の悲鳴が聞こえる。行ってみると、翔太が洗濯物を干そうとウッドデッキに出て来た妻の目の前で、カエルを詰めたビンの蓋を開けたのだ。
 蓋が開いた瞬間、無数のちっこいカエルがもつれ絡まりながら飛び出し、その様はホラームービーさながらだった。

 それからしばらくして、ホタルの季節になった。日曜日の夕方、子供たちとTVで『ちびまるこちゃん』を観ながら夕飯を済ませ、その後に外に出た。
 この時期は、7時過ぎまで明るい。家の裏側に回ると、水田の脇の用水路にホタルが数匹飛び始めていた。

 イチゴのビニールハウスの跡地には、数件の家が建っている。
そのうちの一軒の家の換気扇からは、石鹸の匂いの湯気が流れて賑やかな声が聞こえてくる。子供たちが風呂にでも入っているのだろう。

 次第に日も暮れて、ホタルの数も増えてきた。

「わー、きれい」

「すごいねー、きれいだねー」

「いっぱい、いるねー」

 今年は、例年にも増してホタルが多かった。我々の声を聞きつけたのか、近所の子供たちも集まり出す。
 隣の家の兄弟も、髪が濡れたままパジャマ姿で家から飛び出して来た。大人も含めて二十人ほどのご近所さんが、その圧倒的な美しさに興奮した。

 風もさほどない気持ちのいい夜、用水路を流れる水の音とカエルの鳴き声が聞こえる。そして眩いばかりの無数のホタル。その恋のダンスに、大人も子供も酔いしれた。

 けれども子供たちが追いかけて捕まえようとすると、ホタルは葉っぱの陰に隠れて光らなくなる。
 一時間もしないうちに、殆どのホタルは眠りについてしまった。

「さあ、ホタルも寝たから帰って寝ようか」

 急遽始まったホタル鑑賞会は、お開きになった。


 夏になるとケヤキの根元から、セミの幼虫が出てくる。幼虫たちは木に登り、羽化を始める。
 私は子供たちにセミの羽化を見せてやろうと思い、一匹捕まえて、リビングのカーテンにとまらせた。幼虫はカーテンに爪を引っ掛けて、体を固定させる。

「見ててごらん。今晩、セミが脱皮を始めるよ」

 夕食後に子供たちと見ていると、幼虫の体が膨らみ背中に割れ目が出来た。

「わー、気持ちわるーい」

「やだ、こわいよ」

 娘たちは、私の意に反して向こうへ行ってしまったが、翔太はじっと見ていた。幼虫の背中から、白いものが出てくる。

「なんかでた」

「大人のセミだよ」

 セミはゆっくりゆっくり、体を動かしながら殻を脱いでいく。そうこうするうち、脱皮が半分ほど進んだ。もうじき羽化が、完了する。

「あともう少しだから、急いで風呂に入っといで」

 私は嫌がる息子を無理やり風呂場に連れて行き、シャワーを浴びさせた。翔太は1分で入浴を済ませ、パンツだけはいてバスタオルを頭にかぶってリビングに直行した。

「ウサギみたい」

 翔太が叫んだ。

「どれ、どれ?」

 娘たちもやって来る。柔らかい羽が、まだ十分に開ききっていないので、ウサギの耳の様に見える。

「ほんとだ。ウサギみたい」

 そのうちセミは羽化を完了させ、自分の抜け殻につかまりながら、しわくちゃだった羽をピンと伸ばした。
 色は薄いけれど、立派なセミの形になった。

「さあ、もう遅いから寝ようか」

 満足した子供たちは、二階の子供部屋に上がった。

 次の日、朝からセミがうるさい。昨日は薄い緑色だったセミが、もうすっかり茶色になり、羽も乾いて透き通っている。

「外に出してあげよう」

 私が言うと、翔太はセミを捕まえて、ケヤキの木にとまらせた。他にも何匹か羽化しているようで、昨日のセミは他のセミに混じって鳴き出した。
 セミの大合唱が始まると、夏も本番だ。

 翔太はセミの抜け殻を集めて、家の中に持ってきた。そして机の上に、大きさの順に並べて遊ぶ。抜け殻は細い足も触覚も、ちゃんと残っている。
 けれど遊んでいるうちに、少しずつもげてくる。そして抜け殻の足がもげる度に、翔太は残忍な笑みを浮かべた。


 生き物の脱皮は、本当に面白い。翔太はバッタやカマキリやコオロギも捕まえて来るので、脱皮をしながら成長する過程を逐一観察できた。

 ザリガニの脱皮の様子も二人で見た。

 翔太と用水路でザリガニを捕まえて水槽で飼い、餌には煮干をやっていた。

 ある日、捕まえた二匹のうちの一匹が、体をくねらせたかと思うと一気に殻を脱いだ。
 むき海老のように身軽になったザリガニと、ふやけた抜け殻が沈んだ水槽はカオスだ。

「みそ汁みたい」

 と翔太が言う。言われてみると、確かにそうだ。

 ところが次の日見ると、抜け殻は食べられてなくなっていた。ザリガニにとっては、貴重な蛋白源とカルシウム源なのだろう。  一回り大きくなったザリガニは、バルタン星人のように大きなハサミを振りかざし、我々を威嚇した。

 二匹のうちの一匹はメスだったようで、しばらくすると胸の辺りに卵をたくさんぶら下げていた。産卵後のメスは食欲旺盛になり、煮干をハサミで掴んで貪り食らう。
 しかし煮干では飽き足らなかったのか、気がつくとオスがいなくなっていた。
 気の毒に、メスの餌食となってしまったようだ。

 それからは気をつけて煮干を多めにやったが、どういう訳かメスは自分の卵まで食ってしまった。
 そしてもっと食わせろとばかりに、我々に向かってハサミを振り上げる。小さいくせに、怪獣のようだ。

 翔太は、両手に二個ずつスリッパをはめてバルタン星人になりきり、ザリガニと対峙した。

「ポーポーポーポー、ポーポーポーポー」

 翔太は、バルタン星人の真似をする。

 ザリガニにとって、翔太は何に見えただろう。


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