【書いてみた】連作短編|星降る月夜、宿り木の下で⑤

僕は完璧に課題の演技をした。
それなのに⋯

あいつを追い越せない。
いや、あいつの才能にさえ、追いついてはいない。
どうあがいても、その事実が自分に突きつけられる⋯

何が足りない⋯?
どこが⋯まだ⋯

あぁもう⋯
人混みだからかうるさくて、上手く考えがまとまらない⋯
自分の悪口言われてるんじゃないかって疑心暗鬼になりそうだな⋯

その時だった。

『⋯あれ?』
周りを見渡すと一面暗い。
いつもの道じゃない。
こんな道⋯あったか?

やば!稽古に遅れ⋯
⋯いや、でも⋯あぁ、もういいや⋯
今日は配役の発表と台本もらう日のはずだから、最初は少しくらい遅れたって⋯
それに⋯主役はどうせ⋯

ため息を付いて顔を上げると
少し向こうに小さな灯りが見えた。

⋯なんだ、あれ?

ふらふらと近づくと、赤い光。
これ、ランタンって言うんだよな。
前に、アジア系の役をやった時に、中国の飾りも勉強したな⋯
ぼんやりと考えながら、入口のドアを開けた。

「⋯いらっしゃいませ。」
店のバーテンダーらしい男が僕を見た。

目が合った瞬間、その整った容姿にそのまま目を奪われる。

『⋯役者映えしそうな顔っすね。』
つい毒に似た本音がこぼれてしまう。
僕にはない有利な武器を持つ、初対面の男に。
余裕なさすぎだろ⋯
自分が更に嫌になる。

「⋯ありがとうございます。あまりそのような事を言われた事がないので⋯」
毒が中和されて効いてないのか、効いているのに顔に出ていないのか。
バーテンダーは柔らかく微笑む。

嘘つくなよ⋯
どうせいつもチヤホヤされてんだろ⋯

初対面の人間に対してこんなことを思うなんて、きっと疲れてる。
でもそんなことにも気づかない自分がいる。

そんな心が顔に出ていたのか
バーテンダーが再び口を開いた。

「ココロに何か、抱えてはいませんか?」

バーテンダーにナイフで心臓を突き刺された幻覚を見た。
柔らかい笑顔と甘い声で僕を見つめながら
言葉は僕の心を暴こうとしている。
僕にとっては残酷な行為そのものだった。

『えっ⋯はっ⋯はぁっ⋯』

息が吸えない。
苦しい。
どうして⋯

「今宵お話下さった事が、あなたのココロとカラダを潤します。」

過呼吸寸前の所で、次は軽い目眩を感じた。

『⋯どうしても追い越せない奴がいて⋯』

何故か落ち着きを取り戻した僕は
スラスラと、自分の気に入らない事を話し始めた。
劇団の事、状況の事、そして⋯あいつの事。

僕が話していると酒棚の一部が光った。
バーテンダーが光ったグラスを手に取ると、光は消えた。
⋯こんな時に、手品か?
次はボトルがひとつ光り出し、その次は別のボトルがまたひとつと光った。
⋯どうなってんだよ。

「タネも仕掛けも、ありませんよ。」
僕の心を読んだかの様に、バーテンダーは集めたボトルをテーブルに置いた。

『⋯は?いやでもそんなもん、タネも仕掛けもあるから』
「お客様は⋯信じるココロを正しく使えていますか?」
『え?』

いきなり何言ってるんだ?
信じる⋯心?

「人間の本質は水で出来ています。
ココロとカラダは切り離せません。
だからこそ、ココロが重い泥のように淀み、その淀みがカラダを汚していく⋯

お客様の場合、ココロを汚す泥や淀みは⋯その疑心暗鬼と劣等感。
信じるココロは力になる分、いい方向にも悪い方向にも進みます。

悪い方向へ信じる力を使い、ココロが囚われているのでは、ないですか?」

『⋯説教かよ。』
もう、自分を抑えられなかった。

『僕は完璧な演技が出来る選ばれた役者なんだ!
僕はそれを信じてる!
なのに周りはどうだ!?
僕という才能の塊を見出そうとしない、分からない、見抜けない奴らしかいない!
僕のせいじゃない!』

「もし⋯本当に信じる心がおありなら、環境や周りのせいにせず、ご自分で切り拓く心も持ち合わせる事が出来るはずなんです。」

『なっ⋯』

バーテンダーは言葉に詰まる僕の前にカクテルを差し出す。
柑橘系の香りがした。

「ジンバックです。
ここから導き出される言葉は[正しき心]
今宵はこの1杯が、あなたのココロとカラダを潤します。」

『正しき⋯心?』

正しき⋯
僕は何か間違った事を言ってるって事なのか⋯?

いや⋯!

『⋯なんだよそれ⋯
僕は!僕は間違ってなんかない!』

そう叫んだ瞬間。
さっきの人混みに立っていた。

え⋯?えっ⋯と⋯夢?

⋯あっ、やべっ!稽古!

稽古に向かう途中だった事を思い出した僕は、急いだおかげで遅刻ギリギリで滑り込めた。
遅刻しなかった安堵感が僕を一瞬包んだ後⋯
すぐの事だった。
何かよく分からない気持ちが、チクチクと心を刺し始めた。
例えるなら⋯黒いモヤ?
何だ⋯?

その時だった。

『おい!なぁ聞いたか!あいつ辞めたって!』
仲間が騒がしくドアを開けて入ってきたかと思ったら、同時にそう叫んだ。

⋯え?辞めた?アイツが?

『辞めたって』
『いや、別の劇団に引き抜かれたらしい。今、演出達が大慌てだよ。』
『じゃあ主役どうすんだよ。どうせ今回もあいつが主役だったんだろ?』
『多分もう一度、オーディションやり直しだろうな。』

あいつは
僕を置いて、僕に負ける気持ちを味わう事もしないで
僕の手が届かない、僕の知らない場所に進んだって事かよ⋯

いや⋯

違う⋯!

『上等じゃねぇか⋯』

『え?』

『僕は⋯俺は、必ずあいつを超える⋯
次のオーディションも必ず俺が役を掴んでやる!
どんな⋯ても、⋯をし⋯でも⋯』

この黒いモヤは、もう二度と消えない⋯
僕の心を、更に⋯淀ませていく⋯

僕が!飲み込まれていく⋯

でも⋯
もう⋯

そんなことは⋯どうだっていい⋯

飲み込まれて行くのならば⋯
このまま⋯淀みに染まるまで⋯

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受け入れてもらえなかった『正しき心』という言葉。
飲まれずに残されたカクテル。

もし⋯あのままお客様がカクテルを飲んでいたら
小さくも正しく残っていた心を、そのまま成長させる方向に行けたかもしれない。

僕は取り残されたカクテルを持って外に出た。

入り口のランタンにカクテルをかざす。

やがてカクテルはきらきらと光りだし、小さな光の粒に姿を変えていった。
今夜の出来事をあらかじめ予測していたかの様に、夜空には星と月が出ていた。

星と月に向かって、光が飛び立っていく。

こうゆう事は別に初めてじゃない。
言葉を受け入れなかったお客様も、受け入れられなかったカクテルも何度か見てきた。

でも⋯
未だにこの光景を見るのは⋯
美しくも感じ、悲しくもなる。

「僕はいつまで、ここに⋯」

光が足りなくて暗いせいなのか
光が大きくて眩しいせいなのか

その答えが⋯
まだ⋯
見えない。

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