【好き探し】色はぐるぐる巡って

こんにちは、ふぉるです。
今回は私の好き探しの一環で色からアプローチしていきたいと思います。
というのも、私の色の好みって26年の人生の中で結構変わってきたからです。
アテンションが、好きに伴って私の心の中のダークサイドと向き合うことになるので、苦手な方はご注意ください。あと世の中の善良な男性ごめんなさい。
(※過去の私を慰めているので正直書きながら泣いております。ぴえん。)

幼少期・小学校入る前

当時一番好きだった色、今でもはっきり覚えています。
「青」です。水色とかじゃなくて真っ青。
私は幼稚園の頃にモダンダンスを習い始めたのですが、人生初めての発表会の機会で虹の妖精を踊ったんです。
その時のお衣装がレインコートモチーフで、虹の7色をそれぞれ一人ずつ着たんですが、色の割り当てが身長順でした。
7人のメンバーの中で私は背が小さい方で黄色の衣装を割り当てられたんですが、当時黄色って大して好きでもない、というかそもそもアウトオブ眼中だったんです。
青の衣装を着られたあの子がうらやましくてうらやましくて堪りませんでした。

小学校低学年

我が家は私の幼少期結構貧乏で、お洋服はみんないとこのお兄ちゃんお姉ちゃんのおさがりを着ていました。
そんな私が好きな服を買ってもらえた数少ない機会が、「背が伸びてレオタードが小さくなった時」でした。
何百色もある生地の色見本を見せてもらって、その中で私が選んだのは「紫」でした。青赤比は赤の強めな今でいうとマゼンタみのあるパープルです。
青を卒業したキッカケをはっきりとは覚えていないのですが、多分
いとこの兄ちゃん→いとこの弟兄ちゃん→私の兄→私の順でおさがりを着ていたので
青い服→男の子の服→私が着たいわけじゃない服 となっていたのかもしれません。
赤でも青でもない色、他の誰のものでもない私だけの色。
それが紫でした。(当時イケてる女の子の色は赤・黄色・ピンクだったんです)

小学校高学年

この頃にやっと「女の子らしく」に〇を出せるようになります。
実は幼少期私はピンクが大っ嫌いな子供でした。
というのも、母方の祖母がよく服を買ってくれていたのですが、その品がデパートで売ってる「高い年寄り好みな服」ばっかりだったんです。
具体的には「ぶりぶり・ひらひら・とにかくピンク・生地が多くて重い・汚せない」の5重苦。
特に幼稚園の頃は私男友達とばっかり遊んでいたので、休み時間は園庭を駆け回るような活発なおちびさんだったのですが、こんなに動きにくい服を着せられるのは本当に苦痛でした。
なにより首周りのレースがかゆいことかゆいこと!
それでも良かれと思って買ってくれるものを拒否はできず、
こんなのが欲しいなんてもっと言えなくて、私にとって「ピンク」「女の子らしさ」はそれまで不自由の象徴だったわけです。

第二次性徴がほんのり始まって「子供服」が男女向きそれぞれにはっきり分かれ始めた&我が家の経済状況が落ちついて自分の服を買ってもらえるようになったこの頃、やっと、「ピンク」をよしとできました。
衝撃的な体験でした。小学4年生の夏の終わりに初めて私がおしゃれと、好きだと思える服を買ってもらえて、コンタクトレンズを入れて三つ編みお下げのロングヘアをダウンスタイルで登校した日の朝。
今までさんざん私をからかってきた男子の目が、私を見下していた女子の目がはっきりと変わりました。
幼い頃の狭い環境ではルックスがカーストに強く影響をしていて、この時私は「ファッションの攻撃力」を知ります。
女の子らしくすることは、幼稚な男子を遠ざけて我の強い女子の視線をはねのける私にとっての武器になりました。

中学生

自由になれたと思った私の心の平穏は、意外と長くは続きませんでした。
小学生までは「顔が可愛い」か「そうでもない」がカーストの上下を左右しましたが、この年になると幼稚な男子がエロ猿に進化しました。
理由は分からないけど暴言を放ってきていた男子の視線があるときふと変わり始めて、乱暴な言葉はセクハラ単語の嵐に変わりました。
望みもしないのにいやらしい目で見られる、女性らしく変わっていく自分の体も気持ち悪くてたまらなくて、より「女」が嫌いになって
当時一番好きだった色は「白」と「黒」でした。
モテることはよいこと・自身が魅力的なことのはずなのに、どうしてこんなにも「生身の男」は気持ち悪いのか。
少女漫画のヒロインに憧れたわけじゃないけど、普通に1個人として接してくれる男性はどうしてこうもいないのか。
なにより同性である女子たちはなんで苦笑いのまま、誰も助けてくれないのか。
性を感じさせない、綺麗でいたい、無垢で、子供のままでいたい。汚されたくない。だったら塗りつぶしてしまいたい。
そんな、叶いもしない祈りにも似た感情をこの2色にあてはめていました。

高校生

この頃は好みというものが完全にフラットになりました。
というのも、大学受験を見据えた進学先を選んで私立の共学校に進学したからです。
小中時代の人間関係も完全にリセットされて、周囲も将来のことを考え始める年齢になって、いい意味でクラスメイトの無関心度が上がったんです。
私自身特殊な学部に進学を希望していたので、広く友達付き合いをするよりも自分だけしかしていない勉強を必死に内職していて、人目を気にする余裕もなくなっていました。
毎日制服で塾も制服のまま、休日は家でひたすら勉強という生活をしていたので、ファッションを通した色の好みはなくなりました。
代わりに「美しいもの」を好み始めたのはこの頃からな気がします。
風景でもアートでも、漠然と美しいものに惹かれて良しとしていました。

大学生

この頃が一番の迷走期かもしれません。女子大に進学したのですが、ガールズパワーにすっかり打ちのめされてしまったのです。
まず今までの人生では悪とされてきたお化粧が必須になりました。
次に周囲の女の子たちの好きの表現の多様性に衝撃を受けました。
朝通学する電車の乗客の8割が同じ学校の生徒で、うちロリータさんからパンクファッション・いわゆる量産型さんからギャルまで本当にいろんな好きを持った人たちを目にしていたんです。
学部3年からキャンパスが学部専門の場所に移ったのでファッションのるつぼに揉まれたのは最初の2年だけでしたが、この時の体験で
「何を着てもいいんだ・好きなものを着ていいんだ」と目を開かれました。

ただ自由を知った分、こじらせてしまったのもこの時期で
以前の記事で高身長と大人顔にコンプレックスがあった、と書いたのですが
「子供の頃に着てみたかった服」に手を出したのが
「私が着たかった服が似合っているあの子」に屈折した感情を持ったのがこの頃になります。
生まれて初めて自分で服を買ったけど大いに事故を起こし、当時彼女には本当に申し訳ないことをしてしまいました。

その後は事故が怖くて自分で服を買うことはなくなり、代わりに母が社会人の頃に着ていた服をあり合わせで着るようになります。
学費を出してもらっているからと、アルバイトより勉強に時間を割いていたので、自由に使えるお金はあまりなくて
春休みに短期集中で稼いだお金でその年一番のお買いものをすることが当時の贅沢でした。
その時買った本革のパンプスとCOACHのお財布は社会人になった今も愛用しています。

選択肢がなかったので強く好むことはあまりなかったけれど
中学時代のような害を受けることはなくなったので
「色彩」をもう一度許せるようになったのはこの頃です。
卒業直前にはやっと「女性性」を認められるようになって
今までの反動のように「ピンク」にしがみつきました。
むしろ「ピンクを好きだから私はちゃんと女の子しているんだ」と思い込みたかったのかもしれません。
痛かったかもしれないけれど、大事なアプローチでした。


社会人

ここが更なる転換期になります。
自由に使えるお金ができたのと、母が買ってきた・母にもらった服はドレスフォーマル過ぎるか古臭すぎて、仕事に着ていける服が全くなくなってしまったんです。
スーツで済ませられる間に何としても私服をそろえねばならなくなって、再度お洋服屋さんに挑戦。
大学時代の同級生に教えてもらった雑誌に載っていた憧れのお店に意を決して乗り込んで、3万円分もトップスとスカートをまとめ買いしました。
あの時「自分で服を買ったことがほとんどない。何が似合うかわからない。お仕事に着ていける服が欲しい。」といった私の要望を一切笑わず、時間をかけて丁寧に応えてくださった横浜駅のTOCCO CLOSETの店員さんには本当に感謝しています。

一度人に基準を示してもらって、そのお洋服屋さんが取り上げられている雑誌(美人百花)を約半年年読んで、好きな傾向×TPOに合うものを無難にそろえられるようになって
やっと好きな色に改めて手をのばせるようになりました。
プロのイメコン診断を受けたのも大きかったです。
結果は完全にブルべの民で、似合う色の中から好む色を選ぶと
自然と「青」に帰ってこられたのです。

ただ幼少期から進化したのは真っ青以外にも青はあると知ったことです。
美しいものを好んだ時期のおかげで世の中にはいろんな鮮やかさがあること・くすんだ色にも柔らかさがあることを知って、青から少しずつ赤みを足してヴァイオレットとラベンダー
その先のピンクも「女の子らしさ」より「自分が好む」トーンのピンクを選べるようになりました。
「花柄」を好めるようになったことから自然の美しさに惹かれて
植物の「緑」、土の「茶色」曇り空の「グレー」。
私の世界が広がれば広がるほど好きな色も増えました。
何なら今私のコンセプトに一番一致している服は、幼少期全く興味がなかった「黄色」なことに一番衝撃を受けています。


最後に

この先私の好きがどう変わっていくかはわかりません。
でも、間違いなく言えることは
狭いものに固執した私よりも今の私の方が私は好きです。

頭と心の整理に書いたので、他の方からすればブレてとっ散らかった記事かもしれませんが
長く押し込めてた苦さを一つ、解きほぐせた気がします。
やっぱりアウトプットは大事ですね。
あー.…よく泣いた。すっきりした。けど瞼が重い!(笑)
最後までお読みいただきありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?