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昭和の靴製造メーカー①:現場の構成

兵庫県神戸市は元々マッチ製造の地場産業でしたが、いつの日かそれがケミカルシューズ(主に合成皮革を使用した靴の製造)の町となりました。
昼夜問わず、それはそれは様々な機械の音が鳴り響き、細く格子状になった一方通行の道を、我先と急ぐ自動車であふれていました。

路地にはアスファルトも敷かれておらず、幼い私は土に穴を掘りビー玉当てをしたり、メンコやかんしゃく玉で遊んでいた時代です。

一口に「ケミカルシューズの町」といっても、そこにはいろいろな業種があります。
靴を一つ作るのにも、底を作る工場・中底を作る工場・靴の顔となる材料(表生地に使う材料で様々な動物の革を用いますが、当時神戸で多く使われていた材料は合成皮革の牛革・馬革・蛇革、スウェード、キャンバス生地など)を作る会社・抜型を作る工場・裁断場・加工場・ミシン場・糊引き工場・靴を飾る尾錠や紐、ヒール等を扱う会社……など、たくさん携わる会社や工場があります。
今回はそれらをまとめて「靴」として世に出す工場の現場の話です。

現在は機材もテクノロジーを活用し進化してきており、多くの工場はレーンを使った流れ作業が大半を占めています。作業工程は変わらずとも、昭和中頃と比べればとても進化してきました。

靴作りの現場を構成する職人さんは

・こしらえ(糊を塗り、貼り合わせる物同士が付き易くする為に行う作業)から底付まで携わる張り工(こう)さん

・吊り込み(靴の木型にアッパーをかぶせ、引っ張りながら形に沿わし、釘又は接着剤で中底に固定させる作業)や底面を削ったりする常備工さん

・靴の汚れや余分な糊を落とした後にクリームなどで化粧をし、紙で包み箱へと入れる仕上げ工さん

となります。
小さな現場は20~30坪、大きな現場は70~100坪、又はそれ以上のところもあります。

そして、どこの現場にもあるのが「貼り台」です。

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現場により台数は異なりますが、平均4~5台ほどあり、張り工さん達が一人につき一台使って作業します。

この台には「逆への字」になった長さの違う棒が、互い違いに付いています。靴に糊を塗り、乾かすときにくっつかないように一つひとつ靴を掛けられるようになっています。

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台の横には一時的に柔らかくし、沿わしやすくするため靴底を温めて貼れるように電熱窯(電気コンロのようなものが入っている箱)が設置されています。全行程でいろんな部署へと行ったり来たりしますが、基本的に底付まで張り工さん達が行います。

ちなみに私の知りうる限り、張り工さんとして勤めているの大半が女性です。作業費は日払いで、出勤時間も決まっていません。朝の4時から出勤する人もいれば、7時から出勤する人もいました。靴の種類にもよりますが、1日当たり平均100足~150足程/人、繁忙期はそれ以上の仕事をこなしていました。

②に続く

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