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マホウノコトバ

「この店で一番おいしかとばください」

父と食事に出掛けると、お店での開口一番がこれだった。

全部美味しいというに決まっているし、なんなら社会人になった頃は、一番原価率が低いもうかるものを言うんじゃないか?なんて 若さゆえ者に構えた考えさえ持っていた。

というわけで、この台詞、嫌いだった。

時は過ぎ、仕事で経験を積んだ私は海外出張に出掛けることになった。行き先は中国。母は、興味本意でなんでも口にしてはダメ。上司は水だけは歯磨きで口をすすぐときもミネラルウォーターで。父は「出された食べ物は残さず食べなさい。食べ物を否定したらなにも始まらない。」ちょっと違うことを言ったものだからとても気になった。いったいどういう意味なのか。

その答えはすぐにでる。中国は、商談が終わったあと関連する会社の人だけでなく、市政府の関連や友人など沢山の人を呼び酒席が設けられる。お酒には自信があるので、あまり心配していなかった。だけれど料理が当たり前なのだが、いわゆる日本で口にする中華料理のそれとは全く違うのだ。見たこともないものが並ぶ。面食らったが、母の忠告とは正反対に「とりあえず食べてみた」

20人近いメンバー全員が私を見ている。たしかナマコのスープだったと思うけど、食べたことがなかったのもあり

「好吃」

みんながほっとして笑顔になった。そして、今まで張りつめてた空気もなくなり一気に場が豊かになったのだ。

ああ、、そういうことか。父のコトバの意味がわかった。

食べ物は、その国や地域の人にとって大切なものの塊なのだ。別に外国に限ったもことでもない。食べ物はもっとっも身近で、そして口に入れることで共感ができて、言語はそこに要らない。

とくに、海外では言語が違うので通じ合うのに時間がかかる。食べ物を否定すれば、その第一関門さえ突破できないのだ。

もちろん、え!?という食べ物も出てくるし、国によっては食べ方も宗教によって違うこともある。でも、どの国にいってもあのマホウノコトバを使えばみんな笑顔になる。

私が嫌いだった、飲食店での父の台詞も今では愛すべきコトバだ。その人のベストを聞いて、食べて共有することでお店の人も自分も、一緒にいる人も豊かな気持ちにする。

そんな父も今が他界する直前に、母にむかって「雑煮が食べたい」といった。もう、食欲なんてないはずなのに。でも、父の一番好きな料理だというのは家族全員知っている。母が年に一度しかつくらないそれを特別に食べて

「やっぱり うまかね」

そう言って、あっさり逝ってしまったけれど、そのコトバを聞いた時、看病で疲れていた母の顔色が一気によくなり、久しぶりに笑ったのを覚えている。

おいしい

それは、完全無欠のマホウノコトバ。






#おいしいはたのしい

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