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【#1】夢を叶えるため 少し階段を上り 実現したIターン女子のつぶやき

タイトルを見て記事を読んでいただきありがとうございます。
この春、「アナウンサー」になるという夢を叶えるべく、東京の実家を離れ、魚沼の土地で移住生活をはじめました。
今日から、毎週金曜日に「社内週報」として、私のつぶやきを更新していく予定です。
業務日報をメインに、お仕事を通して学んだこと感じたことを書いていきます。
今回は、魚沼市へ移住までの道のりで経験したことや感じたことについてお伝えしたいと思います。
なぜ「アナウンサー」を目指したの?コロナ禍でなぜ地方移住を選んだの?など、疑問は多くあると思いますので、まず簡単な自己紹介からさせてください。


①自己紹介

ロゴ

はじめまして。FMうおぬまの片岡 真弓(かたおか まゆ)です。
簡単に私の人生年表を紹介します。
1997年 東京都で生まれる
公立の幼稚園、小学校、中学校と進み…都立高校を卒業。
その後、2年生の短期大学を卒業した後、4年制大学の2年次へ編入学をしました


【現在】Iターンで、新潟県魚沼市にある「FMうおぬま」に入社

② なぜアナウンサーを目指したのか・Iターンしようと思ったのか

アナウンスマイク

明確な理由はなく、気がついたら漠然と持っていた「アナウンサー」になりたいという夢。
人と話すのが好き。様々な職業の人に出会って、自分が知らない世界を知りたい。そしてそこで得たものを誰かに発信したいという思いがいつの間にか「アナウンサー」という夢に変わっていました。

そこから、始まった「アナウンサー就活」。

ただでさえ、倍率が高いこの業種に就くためには、「全国」隅から隅まで受けるという選択肢しかありませんでした。
そのため、必然と「Iターン就職」に繋がりました。
北は青森から、南は佐賀まで、キー局からローカル局、ケーブルテレビ、ラジオ局まで数多くの会社を受験しました。全国を受験するにあたって、「夢」をとるのか「場所」をとるのかが悩むポイントとなりました。

※Iターンとは、「都会生まれの人が、地方に移住すること」です。(参考文献:Iターン(アイターン)の意味 - goo国語辞書)


③ なぜ「魚沼」の地域を選んだのか

景色

全国様々な放送局に応募した中で、どうして新潟県の「魚沼」を選んだのか。
一言で表すと「ご縁」です。
新潟県のアンテナショップでのアルバイトや、越後湯沢の観光大使として活動をしたり、幼馴染である友人の祖父の家が県内にあり遊びに行ったりと、「新潟県」には何かと「ご縁」を感じていました。そのため、地方に移住するのなら「新潟県」にしようと決めていたのですが、はじめ新潟県では就職は決まりませんでした。知らない地に行くくらいなら実家から通えるところにしようと考え、埼玉県のケーブルテレビに入社することに決めていました。
ですが、転機は2020年の9月。観光大使のお仕事で県内の高原の頂上で撮影がありました。そこから景色を見て風を感じた瞬間、「あぁ。やっぱり私はこの地で働きたい」と強く感じたのです。人生で感じたことのないくらい強い想いが生まれたのと、この直感は大切にしなければならないと思い、そこからこの会社と出会いました。
というのも、ちょうどこの頃にFMうおぬまが求人採用の募集を行っていました。
絶妙なタイミング。振り返れば、観光大使のお仕事が9月になければ改めて就職活動はしていなかっただろうし、観光大使にすらなっていなかったら、この会社とも出会えていなかったのだろうと思うと、本当に「ご縁」を強く感じました。

④ 階段

車生活
最大の大きな階段といっていいほどに「車生活」は私にとって大きなものでした。
FMうおぬまに就職が決まってから教習所に通い始めました。本免許の学科試験は3回目でやっと合格し、引っ越しぎりぎりでの免許取得でした。そして、免許取りたてほやほやで迎えた移住生活初日。自宅の簡単な車の駐車すらできず、大人になって初めてといっていいほど、息ができないくらいに大号泣しました。きっと一人暮らしによる不安など様々な感情が入り混じっていたとは思いますが。号泣しながら、必死になって何回もハンドルを切り返し、曲がりながらもやっとの思いで駐車をしました。今では少し慣れ、駐車ができるようになりましたが、まだひやひやしながら、自信はありません。そして、これから「雪道」という大きな課題が待っているので、その時期までに日々練習を重ねるのみです。

コロナ禍
このご時世、感染者が多い東京から感染者の少ない新潟県に行くことは、やはり見えないものがありました。
面接はリモート。そして、2週間の自宅待機からの出社となりました。見えない菌の中での生活は、周りからの視線も気になるところではありましたが、無事に生活をスタートすることができました。

家族
やっと念願の「アナウンサー」のお仕事、新潟県での移住生活を手に入れた私ですが…。ここで思いもしなかった階段が。それは「家族」です。
私が一緒に暮らす両親、祖母は極度の心配性。そして、一度も実家を離れたことがない私が知らない土地に行くことに、最初は強く反対されました。
結果的に、私の強い想いを伝え、快く送り出してくれたのですが。
送り出してくれ、たくさんの準備をしてくれた家族には本当に感謝しなければならないなと感じました。

いくつかの階段を上り感じたこと
周りの人に支えられていることを強く感じました。東京を出るとき、家族、友人、アルバイト先の人にたくさんの準備をしてもらい、温かく送り出してくれました。そして、引っ越しをしてからも、会社の先輩方に支えられて今、新生活をスタートできていることを身に染みて日々感じています。一人では夢を実現できなかったですし、周りに感謝を忘れず、そして返していけるよう日々過ごしていきたいなと思います。

⑤ お仕事について

デスク

現在、出社からあっという間に2週間目を迎えました。リモート期間中は、社会人としてのビジネスマナー研修。そして、出社してからは、ケーブルテレビの取材同行、ラジオ収録、編集までも経験させていただきました。
そして、今週には“初” 生放送、5月のゴールデンウィーク明けには、パーソナリティーとしてソロデビューが控えています。今は、すべてが新しく目の前しか見えていない状況ではありますが、身体全身で吸収していき、デビューに向けて頑張りたいと思います。

次回は、4月12日から15日の1週間の業務日報について書く予定です。“初”生放送デビューや“初”ラジオ取材、環境について書きたいと考えております。

そして、以下、自局のURLを貼らせていただきます。
「ホームページ」、そして「インターネットサイマルラジオ」から、「FMうおぬま」の放送がどこでもお聞きいただけるので、ぜひURLから、聞いていただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


FMうおぬま公式HP
https://fm-u814.com/

インターネットサイマルラジオはこちらからhttps://www.jcbasimul.com/radio/1172/ 



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