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「MUST BE DONE」

日本の格闘技には「A選手vsB選手のどちらが強い?」という競技的な要素だけでなく
各選手のYouTubeや各団体の選手紹介で、その人の人生を垣間見ながら楽しむ、ドキュメンタリー的な要素が多く含まれています。
そこで選手の生い立ちや背負っているものを知ることで
2人の男の戦いを技術的、競技的な視点を超えた楽しみ方をすることができます。

また競技の性質上、応援している選手が「殺るか殺られるか」の極限状態で戦う為、
見る側もヒリヒリとした緊張感を味わうと共に
必ず勝ち負けがつく残酷さにも
心を揺さぶられながら
各選手の物語にのめり込んでいきます。

そんな美しくも無慈悲なノンフィクションこそ
日本の格闘技の魅力であり
エンターテイメントの域を超えて
見る人の自己啓発にすらなり得るものだと僕は思っています。

そんな性質を持った格闘技なので
試合前の格闘家達はよく「自分の試合で、見る人に元気を与えたい」というようなことを言っていますが
今回は実際に見る側である僕自身が、格闘技観戦にのめり込んだ事で「どう自分の人生が変わったのか」について、自分が好きな斎藤裕選手を例に語っていきたいと思います。

斎藤裕-「MUST BE DONE」-

「MUST BE DONE」とは日本語で「(強い意志を持って)やるべきである」という意味の言葉ですが
これは2021年大晦日の「斎藤裕vs朝倉未来2」の前に、斎藤チームがキャッチフレーズとして「やるしかない」という意味で取り上げていた言葉です。

この言葉が出てくる時期までの
斎藤選手の歴史をざっと辿ってみると
下記のような流れになります。

クレベル選手との
タイトルマッチのオファーを受ける

決められた日に向けて
減量や追い込みの日々を過ごす

相手都合での度重なる延期の末、
クレベル選手の欠場が決まる

自身の大会出場自体は決まっているのに、
対戦相手が決まらない

大会直前で対戦相手が牛久選手に決定

メインイベンターとして大会を盛り上げる為、
自らの持つチャンピオンの座をかけて
牛久選手とのタイトルマッチを提案する

大会当日、終始優位に試合を進めていたが、
試合中のドクターストップで無念の敗北

チャンピオンの座から陥落

上記はただ事実を書き連ねたものなので
比較的さっぱりして見えますが
この物語を歩む中で斎藤選手が背負ってきた重圧は
並大抵の人では抱えきれない、凄まじいものだったのではないかと思います。

格闘技はルールに体重が絡む競技である為
試合の日程が決まらないということは
練習で身体を酷使しながらも
食事は制限し続けなければならない。

対戦相手が決まらないということは
相手の研究ができず
対戦相手に特化した対策がとれない。

チャンピオンとして
メインイベントを託されたということは
たくさんの人を大会に惹きつけ
その人達を魅了する試合をしなければならない。

そんな中で負けてしまえば
自分がやっとの思いで掴んだチャンピオンの座から
引き摺り下ろされてしまう。

そんな競技者、メインイベンター、チャンピオンとして
様々な不自由との戦いを乗り越え、かつてない気迫で試合に臨んだ斎藤チャンプは
終始試合を有利に進めるも、
たった一発の攻撃を被弾した事からドクターストップをかけられ
王座から陥落してしまいました。

その残酷なドクターストップのアナウンス後に
血と涙と共にリング上で崩れ落ちた際の、比喩でも誇張でもない「身も心も削られた」姿は
僕を含め、多くのファンの胸に鋭く突き刺さるものでした。

そんな報われない不条理と不完全燃焼に苛まれながら
チャンピオンの座を失って間もない頃…
大晦日の「斎藤裕vs朝倉未来戦2」が発表された頃に
斎藤チームから発信されていた言葉が
「MUST BE DONE」というものでした。

この時大会を主催するRIZINは
大晦日の大会がフジテレビで中継されることから
この大会を「世間との戦い」と銘打っていました。
また当時裏番組の「笑ってはいけない」の休止が発表されたことから
大晦日に格闘技が陽の目を浴びる千載一遇のチャンスだとの見方もあり、
そこで視聴率をとれる日本一有名な格闘家「朝倉未来」の存在はRIZINにとって必須の条件でした。

そしてその相手役を勤められるのは、
過去に朝倉未来を下してチャンピオンとなった因縁の相手、斎藤裕でした。

当時の斎藤選手サイドとしては
・試合後間もなく、ベストコンディションではない
・なんとしても連敗は回避したい
・相手は強敵なのに、既に一度倒している相手
ということで、
この試合のオファーを受けない理由は山ほどあり
メリットよりもリスクが多いのではないか、と個人的には思っていました。

それでも
「世間が求めるから」
「格闘技を盛り上げる」
という心意気で、対戦オファーを受けた姿勢にはまさに「MUST BE DONE」の精神が宿っていたと思います。

そんな幾度となく自分を犠牲にしながらも
「MUST BE DONE」を貫いた精神は、
画面越しにその様を見守る僕の人生観にも
大きな影響を与えてくれました。

誰しも「MUST BE DONE」は経験する

ここから少し私事になりますが
僕は転職経験者で
今の会社で働き出して1年未満の会社員です。

まだまだ現職に対する経験も知識も未熟である中
最近、今所属している部門のリーダーを任されることになりました。
他のメンバーは自分より先に入社した人がほとんどで、正直今の自分ではかなりの役不足なのではないかと感じる事が多々あります。

ではなぜリーダーを任されたのかというと、その理由は想像に容易く、
自分は学歴も中の上くらいで
真面目な性格かつ頑張って働く為
「未来のエース」と期待されやすいタイプの人間だからです。

しかし実際は不器用で要領が悪く、決断力にも欠ける為、
俗に言う「仕事ができる」タイプの人間ではありません。

そんな僕ですが
人生を歩んでいる内に気づけば近くには嫁・子供がいて
家族を養っていかなければならない立場になっていたので
会社で自分の地位を上げうる申し出に対して
「僕にはできません」
などという事は、言語道断だと思っています。

その為、今僕は「期待値」と「実力」のギャップに挟まれて、辛さや後ろめたさを感じてはいるものの
立場上そこから逃げることは許されないという
まさに「やるしかない」という状況下で毎日を過ごしています。

また仕事には様々なタイプの他者が絡む為

・自主性がない人や仕事に対するモチベーションが低い人にどう頑張ってもらうのか
・会社の上層部が描く理想と今自分が目の当たりしている厳しい現実をどうマッチさせていくのか
・チームのミスを自分の責任として受け止められるメンタルをどう作っていくのか

等、自分の力だけではどうにもならない
「不条理」だと感じる課題とも向き合って
現実を変えていかなければならない立場でもあります。

斎藤選手の物語を追ってきた後に
自分が直面している状況を見てみると
どこかちっぽけなように感じますが
こんな自分の人生でも
生きていくのって大変だなぁ
と感じることはしばしばあります。

それと同時に、自分の何十倍、何百倍もの重圧を背負って戦ってきた同世代の斎藤選手の姿は
自分にとって大きな励みにもなっています。

かつての自分であれば、今の状況下で
「自分には荷が重い」とハードルを下げる為の不満をこぼしながら日々を過ごし
休日の楽しみだけを糧に、仕事を「生きていく為の苦行」だと割り切ってやり過ごす毎日を送っていたと思います。

しかし斎藤選手の
どんな困難や不条理に晒されても
日々やるべきことをこなし
時には自分を犠牲にしながら歩み続ける姿に
大きな感銘を受けたことから
自分自身も日々やるべき事をこなし
真摯に目の前の課題に向かい続けていれば
少しずつ前に進んでいけると信じて
仕事に向き合うようにしています。

そんなことを思っていると
前まで始業ギリギリに出社していた自分が
始業30分前に出社するようになったり
昼休憩の間、ただ携帯をいじりながらダラダラしていた自分が
ご飯を食べたらさっと業務に戻るようになっていたり
自分自身の行動に
少しずつ変化が現れるようになってきました。

このように斎藤選手が体現してくれた
「MUST BE DONE」の精神は
僕の人生に於いても一つの指針となり
困難の中で前に進む為の
大きな原動力になっています。

また「MUST BE DONE」と言う言葉を
見聞きしてきただけではなく
その姿を体現する姿を目にしたことによって、
「自分もこういう人間でありたい」
と、それが自分の持つ道徳感の大きな柱になり
自分が変わるモチベーションになってくれています。

自分が能力不足かつリーダー気質ではない中で
リーダーとしてどう仕事をこなしていくのか
という具体的な部分については
斎藤選手と同じ修斗出身で、RIZINでも活躍している扇久保選手の物語から学んだ事があるのですが
想像以上にこの記事が長くなってしまったので
この事についてはまた別の機会に書きたいと思います。

誰にでも訪れる「MUST BE DONE」な状況に立ち向かう斎藤選手の姿を久しぶりに見ると
心に来るものがあったので
よろしければ今一度下記のリンクから
斎藤選手の物語を
見返してみてはいかがでしょうか。

RIZIN CONFESSIONS #87

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