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手紙~15歳の自分へ~

 元気にしてますか?って、元気な訳ないね。15歳にして既に嫌いな人が多い生き方をしていたから、何となく地元を離れる事を意識していたね。でもね、高校に上がってからその気持ちはより強くなっていくよ。

 余りにこれからの未来を語ると長くなるからあなたの夢の話に今回は絞るよ。

 貴方の15歳の夢は作曲家になる事だったね。丁度坂本龍一さんのメリークリスマス ミスターローレンスを正しく弾けない事に嘆いて、ピアニストの夢は諦めたね。思えば手の大きさなんて気にせずプレイヤーを目指しても良かったんだよ。今の時代は何でも弾けなきゃいけない訳ではないから。

 でも、貴方の今の時期には某アーティストの曲を聴いて、作曲家を目指すようになったんだよね。エイベックスは良いアーティストも良い作曲家も多いけど、実はそこから数十年経つと、貴方の思っているエイベックスではなくなっているよ。

 肝心の作曲家に関しては残念ながらその夢は叶わない。厳密に言うと、貴方の描いていた未来にはならなかった。

 貴方は大学の頃にDAWに出会うんだけど、私の時代ではDAWで曲を作る事は当たり前の世の中だけど、貴方の時代はまだDAWという言葉は浸透していないし、何ならパソコンで音楽を作れる事も知らなかったよね。先輩の技術で同級生の事を変え歌でバカにするような歌を歌っているぐらいが関の山だったよね。それでもCD-RでCDに出来た事を楽しんでいたよね。

 そこからあなたはDAWに出会うけど、出会うのが遅すぎた。高校の時に出会っていたら人生変わっていたのかもしれないけれど、残念ながら機材費が私の時代に比べてはるかに高いので、どのみち高校時代にDAWに出会っていても、満足の行く音楽を作るには機材を集めることは出来なかったでしょう。

 それでも大学を卒業しても作曲家の夢を諦められなかったあなたは専門学校へ行き、そこで少しは作曲家としての腕を上げることは出来る。でもね、その頃にはもう貴方の目指している作曲家のジャンル、曲の雰囲気というのは流行から外れてしまい、EDMという如何にも貴方が大嫌いなジャンルの曲が流行り出すの。

 そこからコンペを受けて頑張って曲を作るんだけど、EDMやアイドルソングを嫌う貴方には活躍の場がなくて、残念ながらそこで夢を終える事になるんだよね。

 しかし、挫折をしてからが本番なのか、貴方はその後の人生でなんと作曲家を目指すきっかけとなった作曲家と仕事をする事になる。ほんの少し、本当に小さな仕事だけど、そこから再び作曲家を目指すようになるんだよね。

 少ししてからネット上で出会った人と、音楽事務所を立ち上げて、貴方はそこで作曲コンペに参加するようになって、コンペ仕事ではないけれど某アーティストへ楽曲提供をする事になるんだよね。ここで形はどうあれ捨てていた作曲家の夢を叶えることは出来たんだ。

 で、問題は作曲家そのものにはなれたけど、結局流行っているジャンルや、そもそもの音楽の作られる方が根本的に貴方に合わない時代となっていくので、貴方は作曲をする事自体が嫌いになって、提供をしたいと思わなくなるんだ。

 しかし、音楽をやっていると何だかんだ色々仕事は入ってくるので、作曲よりもミキシングエンジニアとしての仕事が少しではあるけど、入ってくるようになる。

 その仕事は今でも私は受けており、フリーランスとしての貴重な収入源になる。

 音楽家として名乗るには一応これで納税もしているので名乗る資格はあるんだけど、作曲家を名乗るとなったら確実にプライドの問題が出てくるでしょう。それでいいのか?という気持ちになるでしょう。でもね、どんな小さな仕事でも、お金をもらって納品をしたら、例えそれでご飯が食べれなくても、収入が足りなくても、数千円の仕事だとしても、お金を貰えただけでそれはクリエイターとしての価値は大きい。これは誇るべきことだ。

 結局あなたは少ないながらも音楽の仕事でお金を生み出すことには成功するので、どうしてもその仕事を手放せなくなる。だからフリーランスという道を選び、音楽一本ではなく、音楽を含めたマルチワーカーとして歩み出す。

 そこから先の未来は分からない。今は苦しみながらも未来を切り開いている最中だ。この年になってもまだ、人生を迷いながら生きている。性格なのでしょう。きっと死ぬまで落ち着いた生き方は出来ないんじゃないかなと思う。

 結構絶望的な事を書いてしまったが、少なくとも夢自体は叶うってことだ。

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