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友達

 年を取ると学生の頃に仲の良かった友達と会う頻度は極端に減ってしまう。学校が違えばその時点で交流が減るし、社会人になれば仕事や結婚で更に減る。会うだけでハードルが高い。

 こうして少しずつ会わなくなって、年単位で会えないような関係になっていく事は珍しくない。どうしても距離が離れれば離れるほど、環境の変化に抗えずに会う頻度が減る事は避けられない。

 それが親友クラスの友達だとしても、交流が減ってしまう事は致し方ないのかもしれない。

 そんな友達と今回は久々に連絡が来た。それも珍しく友達の方から連絡が来た。最近は私の方から連絡を取る事の方が多くて、基本私が連絡を取らないと連絡を取り合う事が無いっていう状況が続いていた。だからこそ、珍しさを感じてしまった。

 そう、以前は珍しいとか思うような距離感では無かった。気分でお互い連絡を取っては気分でご飯に行けるような関係だった。

 結婚も引っ越しもどちらも距離が開く状況になっていたので、当然と言えば当然だ。ただ、連絡が来る事自体が珍しく感じるぐらい、時間は距離を産んでしまっていた事に気づいてしまった。

 会えば以前のように遊んだり楽しんだりする事は出来るかもしれない。気持ちも変わったつもりはない。だが、距離はどうしても開いてしまった事は確かなようだ。

 それでもこの状況を嘆くより、連絡を取り合える状況を喜ぶべきなのかもしれない。少なくとも心は喜びを感じていたのだから。

 しかし、それと同時に会いたい人にはやはり会っておくべきなんだと思い直した。

 私はオッサンになって久しいとは思いつつ、まだまだ若者だと言われる年齢でもある。いや、やはりもうオッサンだと思う。それが30代後半の一番評価の分かれる年代なのでどちらにも取る事が出来るだろうか。

 そんなどっちつかずな年齢でも、決してもう年齢としては若いとは言い難い。成長ではなく老いに向かっている年齢だから、体力も落ちるし元気も気力も10代の頃に比べて確実に落ちている。病気になる人も出てくるような歳だ。何が言いたいのかというと、この年齢でももう病気になる人はなるし、亡くなる人は亡くなるだろう。

 私の同級生にはまだ誰も亡くなっている人を耳にしないが、後10年もしたら流石に少しずつ人生を終える人が出てくる時期に入るだろう。

 まだまだ先の話かもしれないが、そう思っていると会いたい人が居なくなってしまう、或いは自分がそうなってしまう事だった考えられる。友達との連絡状況、会う頻度を考えると後何回会う事が出来るのかと考えてみると、長い人生の中で10回あるかどうかじゃないかと思える。1年に1回会うとしても後50回も会えるだろうか?これが2年に1回になれば25回ぐらいだ。そもそも何歳まで生きられるかもわからないのだから、根本の計算が宛にならないだろう。

 だが、大雑把な計算ではあるが、別れとは大雑把なタイミングで訪れるものだから。

 随分と会っていないけれど、やはり会いたいと思う人がいるのであれば、その人がもう会いたくないと思っていない限り、会いに行った方が良い。時には多少面倒だとしても、多少無理をしてでも。忙しくてもお金がなくても、芸能人ほど忙しい人はそう居ないだろう。

 勿論焦る必要はないのだが、会いたいと思う気持ちが強くなった時には、会う約束はしてみたほうがいい。

 私も今回のタイミングで久々に会ってみようとおもう。昔やっていたこと、やりそびれたことの全てを叶える事は流石に難しいと思うが、あの頃に戻って接する事ぐらいはきっと出来ると思うから。

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