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はりぼての「家族」 本当はちっぽけと気づきたい

結構前に、家族に関係するとある作品を作って、多くの人に見てもらいました。
それは今までおおっぴらに話さなかった体験がベースとなっているもので
家族に煮詰まっていた何年間か前、自分を守るために作り始めたのを原作として改良した物語でした。
別に、いつまでも自分のためだけにこの物語があればいいと思っていたのに、ある時、誰かのプラスになる可能性もあると思っちゃって、世に出すことにしました。
今まで多くの創作物に自分が癒されてきたから、そういう面もあるのならば、と思い立ったのでした。 恥ずかしながら。
ある程度の時間が経って、距離をもって作品づくりをふりかえってみると、言葉がぽろぽろ落ちていきます。

ずっと育ちのいい子に憧れていたよ

育ちがいいって、人から好かれるらしい をだんだん学習して
いっそう、家庭のことを隠すようになった
問題などないふりをして過ごしていった 
育ちのいい子を演じるのに夢中だった 陰りのない子

うまく演じられれば満足だったけど 騙すのは苦しくもあり 見せられない部分が増えて 自分で自分の首を絞めた 理想をやってるだけなのに

高校卒業時に教師が親に言った
「どういう教育をしたらこんないい子が育つのですか」
勉強ができることと育て方が正しいことは必ずしも一致しないよ 先生
親の前で皮肉を言いかけてやめてあげる
いい子なんていくらでも演じられるでしょ 先生

好きだった人に恋人ができた時、惚気て「育ちがいいのが好き」と言ってた
勝手に、ショックだったなあ
そんなの一生その子に敵わないじゃんて 生まれ直すしか好きになってもらえないなって
詭弁なんだろうけど

高校生の頃、付き合ってた人の家でご馳走になると決まってから、いただきますを意識づけるようになった グーグル先生のオススメ 「育ちがよさそうに見えるよ」見栄っ張りだから そういうもんじゃないのにね でも悪くない習慣になった
恋愛について一人で考えがちだったから、友人より検索履歴の方が私の恋愛を知っている

私の特別な人たちは両親が仲良しな人が多くて コンプレックスで死にそうになっていた 
自分は手にいれられないから だから眩しかったのかもしれない

好きな人に告白する前に いや私の育ちの悪さでは釣り合わんと思ってためらったり 身分違いの恋だから

非実在の家庭円満

特別だった人が放った「自分がそうではなかったから(仲の悪い家族関係は)わからない」という言葉、私の根っこに刺さりっぱなし 知ってた?
いや、ある意味での誠実性 そう それは仕方ない 決して恨んじゃないよ 私も仲の良い「家族」なるものは実在が2.7次元みたいなところある フィクションみたい

自分が決死の覚悟で過去を話してるって案外わかられない もちろん伝えてないから
「わからない」と聞いて 
根っこの方ではわかりあえないんだって思い込んじゃったわたし やっぱり釣り合わないんだって思っちゃったわたしたち あんまり長くは一緒にいれなかった

「わかる」って言ってほしかったわけじゃない
ただわたしとあなたの間の壁が見えてしまっただけ 分断が悲しかっただけ

夫婦なかよくデートする両親が存在するのが同じ世界線ってホント?
むかし、テレビ見てる二人がつかの間笑って会話してただけで涙ぐんじゃったけどな
両親二人で旅行とかウソじゃないの?
わたし、片親と二人旅行の帰り道に「帰りたくない、会いたくない」って泣きつかれたよ

もしも両親と好きな相手の両親が顔をあわせる機会が今後訪れるなら逃げ出してしまうかも
繕ったニコニコをきっとみていられない いつか偽りがバレてしまうのがこわい
駆け落ちしよーかな

家族の像は変わりますか

家族と聞いて思い浮かべる人に血縁関係がない人がほしい ペットでもいい
配偶者という音は好きじゃないけど、はんりょって音は好き

私の夢はね、伴侶と縁側に座って庭を眺めながらお茶をすすることです
それができたら悔いなく死ねる
ちびまる子ちゃんのおじいちゃんおばあちゃんから植え付けられたご隠居イメージ

私が幼かった時に長時間一緒にいた人たちのことを「家族」と呼ぶかについては長期の審議中 苗字を胸張って名乗る案は否決
今は一人暮らししているので、とりあえずの「家族」の呼び名は「かつての同居人」です
むかし一つ屋根の下に暮らしていたことは事実だからね

体験談にできない

自分の過去として認めたくないから人にも話せない
毒親育ち(この言葉に対しての是非は一旦保留)に対する偏見の眼差しもまあ仕方ないかって思えるようになったかな いやこれは嘘

人に見せるとき、この作品は過去に基づいています とアナウンスしなかった 
どうせ勘付かれてただろうけど
他者のこととして偽りたかった、 
作品を色眼鏡で見られたくなかった、 
作品と作者の結びつきの考察をされたくなかった、
あと、他の作品を「ノンフィクションだから興味深い」と思っちゃう自分に疑問があった、から
ノンフィクションとして一個人の体験にするよりも どこにでもある様な あたりまえの風景にしたかった 
可視化できないだけでありふれたことだから 作品としては現実では再現不可能なものになっちゃったけれど

一緒に作ってくれた人たちにもあまり打ち明けなかった 言うか迷ったな
作品づくりに自分の薄暗い部分を一緒にしょいこむ必要はないだろうから
物語の背景について黙っちゃうのも話しちゃうのもきっと罪悪感がある
作品を立ち上げてくれて本当にありがとう 黙ってて気を悪くしてたらごめんなさい

うちには長く大きく響く

作品を公開したあとになってみれば、他人に与えた影響とかはよくわからないし、結局創作したことが自分の中で大きく反響していることに気がついた
他者への影響の可能性のためにやってみたことが、実は自分のためにやってたみたいで まるで他者への影響への考慮が、都合のいい言い訳だったみたいで 結構驚いている

ただ、自分の中で大きかった過去を作品にしたら、人生のやり直したい分岐点が先に進んだ 過去が過去としてもう放っておかれるようになった 
日記書いたから忘れても安心みたいな
私じゃないものが憶えててくれるきっと 苦しみも悲しみも 作品や他者が
だから私は忘れてもいい

寄せては返す波のように、あれは自分の過去だったって認められる日と認められない日があって
でも、作品にしてから、あれは自分の過去だったけど、今の自分とはもう地続きではない、という感じがある 
もちろんそれも波の一つだけど 結構ビックウェーブ

家族について穏やかな日が来た時に、作品づくりのセラピー効果について関心をもった いつのまにか作品に癒されていた、わたしは
誰か資料とか体験談とか教えて アートセラピー勉強したいの

あんなに多くの本が口を揃えて 
「不治の病です 一生向き合うもの 小さい頃の不足はずっと続くし響く」
みたいなこと言うから 絶望的だと思ったのに
なんだよ しこり、消えちゃったりするんじゃん もっと早く言ってよ
間違って自分の一部かと思っちゃったじゃん

溶けろ溶けろ家族 小さくなれ過去

つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ