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ほんとのおもいで

あるフレーズやメロディしか思い出せない歌がふと脳をかすめるように、本にもそういう時がある。あのシーンはどう描写されていたか。台詞はどうだっけ。ぼやけた記憶を正すよう、本を探す。
謎は解けば忘れられる。曲もわからないうちが一番脳に残るんだ。


一年ぶりぐらいにノルウェーの森の上巻の文庫を手に取った。あるシーンが気にかかるから。

一度読みきって、二度と読まなかったのに、また目を通すことになるとは。憎たらしいほど、するする読めてしまうのが嫌なんだ。全然好きじゃない本。村上春樹が悪いんじゃなくて付着した記憶が嫌。思い出のせいで丸ごと村上春樹が嫌い。
どーせ何十年か後には、セピア色したノルウェーの森になるんでしょ。「あの頃は若かった」なんて言って。バッキャロウ。だから今きちんと原色のまんま嫌ってやる。

読み返してもやっぱり登場人物の緑が好きで、だから嫌だ。ワタナベも直子も全部。思い出なしで出会ってたら、どうなってたか、わからんけどそしたら読み終わってないかもね。特にワタナベは嫌いすっごく。目の前にいたら、走って買ってきてくれたショートケーキ顔にぶつけてあげたいわ。どーせ狼狽もせず「やれやれ」なんていうんだから。


石田衣良の本も同時に手に取る。上京した時に一冊だけ持ってきた小説は石田衣良の「てのひらの迷路」だったな。それも手に入れたのは馴染みの図書館の本交換コーナーで。各々いらない本を置いておく棚から持って帰った。
石田衣良の本はある活動がテーマのもの。私がやらなくてはならない活動について、できるだけつらくない虚構を読みたかった。

あの活動に関しては、どんなエッセイも、「辛い」だけで終わるものはなくて、だいたい「前向きにがんばろーぜ!」という結末か、「こういう生き方もあるぜ」というものが多くて胸焼けをする。前向きになれないし、かといって全く違う世界の話に触れて現実逃避できるほど心に余裕がない。何やってんだ、ってツッコミが入る。

とりあえずこの本は持って帰ろ。

石田衣良は戦友が初めて勧めてくれた本。私が14歳になった頃、「4TEEN」を貸してくれた。いい本だったと思う。貸してくれたことに感謝してたし。内容は忘れちった。

戦友が貸してくれた本たちは悪い思い出がない。
それは戦友に悪い思い出がないから。というか、あっても思い出が浄化されて綺麗になって、まあいっか、ってなってるから。だから本も作者も綺麗なまんま素敵な本たち。

「ドグラ・マグラ」(これはやくしまるえつこがきっかけ。途中で諦めちゃったな。戦友の押入れで読んでは眠った)
「くるぐる使い」(めちゃくちゃ面白かった。自分の創作にも影響を受けて見世物小屋の小説を書こうとした)

まあ、嫌いになる時間も余裕もないもの。私も戦友も同じ戦場で生きるか死ぬかをやってきてんだもん。嫌いになれないね。



はろー。ノルウェーの森の、読みたかったシーンを見つけて読めました。
用済みなので破って捨てたいです。ボロボロだし。でも図書館の本なんでできません。あーあ燃やして小林書店丸ごと灰になればいいのにな。もしくはカッターで八つ裂き!?ユカイユカイ。実にあっぱれ。

図書館で検索する時、ノルウェイの森と検索してはでてこない、を二回もやった。ウェイじゃないもんねワタナベ。あー嫌い嫌いワタナベきらーい。すっごい嫌い。ミドリは好きだけどミドリを好きな自分は嫌い。

何度読んだって、あの思い出を忘れない限り、きっとノルウェーの森が嫌いです。


いくつ謎を解いたなら、思い出さずにいれるでしょうか。


追記:ノルウェーの森と検索して出てこなかったのを間違って覚えていたみたい。ワタナベはウェイだった。ウェー……

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