散文にさえも届かず

空っぽの電車みたいな日を過ごすこともあって良いと思うんだよね。会いたい人はたくさんいるのだけれど、体が中々動かなくて内側から鍵を閉めてしまう。コトコトと湯を落としてコーヒーを淹れる。山々と積まれた氷の上に沸騰間際のコーヒーを注いで夏にピッタシアイスコーヒー。顔も洗わず、目やにも擦らずひたすらにリリィシュシュのすべてを見た。何度も見返しているとサントラばかりに気が取られる。そう言えばあの紫陽花はどこにいったのかななんて話をしたよ。誰1人として「枯れたんだよ」とは言おうとしなかった。花に自分を投影してしまうのは私の悪い癖なのかもね。そう思って、「枯れたに決まってるじゃん」掠れた声で話した。桃色の朝を迎えた。匂いは濃くて見える景色は鮮明だった。人は恋をするとこうなるのかもしれない、そう思えた。たまに、いやもっと頻繁に、卑屈になる。そんなに捻くれなくても良いのに、もっと素直に感情を受け止めなよ。自分に言いたくなる。しかし、感情や想いというのは目には見えなくて、手で掴めやしない。不確かな確かの最前線なのだ。だからこそ、半信半疑で卑屈になってしまう。どんどん捻じ曲がって、遂には知恵の輪のようにバラすことが難しくなってしまう。頭を痛めながらその卑屈の知恵の輪を解く時間が好きなのかもしれないね。

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