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仲間

 「友達と仲間は違う」

昨日アップされた「パララジオ」を聴き、答えに辿り着かない中でもやもやと暗中模索していたものが、ストンと腑に落ちた。

 「ラジオが友達!」と言うほど、四六時中ラジオと共に過ごしている私。

1人で過ごす方が難しいと言われるほど人が多い大学で、ほとんど全ての時間を1人で、否、ラジオと共に過ごしている。

しかし、インスタグラムを開くと、同じ大学生が連日連夜誰かしらと遊んでいる投稿をしている。

それを見るたびに、「ほんまに同じ大学生か?俺だけ異世界の大学に通っているのか?」と錯覚を覚える。

 とは言え、これまでの人生、友達がいなかったわけでもない。

というのも、21年間のうち、12年間を野球に打ち込んできた。チームスポーツのど真ん中を行く野球。そんなスポーツをしていて友達ができない方が難しい。

 ところが、高校時代に仲良くさせてもらっていた人、大学の部活で仲良くさせてもらっていた人、皆、卒業、卒部と共に関係がほぼほぼ無くなった。

決して、ケンカか何かで仲が悪くなったわけではない。いわゆる自然消滅。卒業、卒部を機に、「接点が無くなった」と言う方が適切かもしれない。

 そこで、「パララジオ」でのパラ師匠のお言葉。

きっと自分が‘‘友達‘‘だと思っていた人々は、‘‘仲間‘‘だったのだろう。

学校生活、部活を楽しく過ごすため、居心地の良い空間にするための‘‘仲間‘‘。

一緒にご飯を食べるし、付き合いの延長で飲みに行ったり遊びに行ったりもする。接点が無くなれば関係は終わる。それでも、ばったり再会したりすると、話も弾むことだろう。

これは、人生の一時を共有した‘‘仲間‘‘だ。

‘‘仲間‘‘は携帯がアップデートするように、自分の成長につれて様変わりしていく。各々がそれぞれの境遇に必要な‘‘仲間‘‘を作る。

 と、するならば、連日連夜インスタグラムに登場してくる人々は、‘‘友達‘‘と言うよりも、大学時代という同じ時を刻む‘‘仲間‘‘なのだろう。

ならば、私はラジオという最強の‘‘仲間‘‘を手に入れた。

 「わっはっは」と腹を抱えて笑う回もあれば、今回のように文学的な思考をくらませる回もある。

改めてパラ師匠の幅の広さ、多様なジャンルのプロレス、圧巻のファンタジスタぶりに魅了された21歳。

#仲間

#友達

#大学

#ラジオ

 

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