#156_「異世界転生モノ」と大長編ドラえもん『のび太の宇宙開拓史』のアナロジー

最近、電車の扉に貼っている広告などを見ていて思うのですが、ラノベやコミックで、「転生したら●●だった」的な話が多いように感じます。

中身を全く読んだことがないので、広告からの推測でしかないのですが、要素を抽出すると、以下のような感じかと。

主人公は現実ではパッとしない男性の設定。若い場合もあるが、その冴えなさを強調するためにそれなりに年がいっている場合も多い。
何かのきっかけ・イベントの発生により異世界に転生する。たとえば事故とか病気とか。
異世界では、現実世界では見向きもされなかった主人公のスキルが異常に有効であるため、楽勝でレベルアップしたり、クリアできたりする。
・ (最後、この手の話が典型的にはどういうふうにストーリーを回収するかは、読んだことがないのでわからない…)

こういう設定をみたときに、私がすぐ思い浮かべたのは、昔読んだ大長編ドラえもん『のび太の宇宙開拓史』でした。

まあ、このアナロジーは既に誰かがいっているでしょうけれど、以下のような点が共通します。

・ 主人公であるのび太は、現実ではパッとしない男子。勉強も運動もできない。特技といったらおもちゃのピストルを使った射撃とあやとりぐらいだが、特に誰からも見向きもされない。
・ コーヤコーヤ星の少年ロップルの乗った宇宙船の事故により、のび太の部屋の畳とロップルの宇宙船の扉がつながる。これにより、のび太はコーヤコーヤ星に行けるようになる。
・ コーヤコーヤ星の重力は地球のそれと比較して相当小さいので、相対的に物質の強度や住民の力も弱く、のび太でも簡単に倒せる。特に射撃の力が発揮される。

こういった物語の設定(いわば「異世界転生譚」)が流行るのは、単純に、そういう設定を求める(そこにカタルシスを感じる)人が多いからでしょう。

では、いったいなぜ今、異世界転生譚が人の心をとらえるのか。あくまでも想像でしかありませんが、やはり、現状に満たされていない人が多いということがあると思います。しかし、それならば「神様から特殊能力をもらう」とか「お宝を拾う」とかでもいいわけで、異世界転生譚の特徴は、それだけではなく、「評価軸の変化」にあるのではないかと。

すなわち、異世界転生譚はあくまでも現実世界と地続きであって、自分自身は変わらないのですが、環境の方が変わり、その結果自分に対する評価が一変します。それは自分の努力ではなく、その意味で他力なのですが、自分の能力やリソースが実際に向上するわけではありません。あくまでも、その評価軸だけが変化しているのです。

「スポ根」でも「幸運」でもなく、「評価軸の変化」。この願望がどこに根差すものなのかはまだわかりませんが、すごく令和っぽい感じもします。

なお、『のび太の宇宙開拓史』のラストシーンでは、「超空間の出入り口が開く事は二度となかった」とあります。のび太はあくまでも、現実世界の中で、既存の評価軸の中で、生きていくことになるのです。

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