極端なはなし地球はなくたってしあわせになることはできます

 認知行動療法に関する本を読んで、実践している。3カ月になる。一進と、一退を感じる程度には気の持ちように変化があることを実感している。今年は少し前にすすめるかもしれない。


 仕事の関連で昨今のサステナビリティ関連の潮流に少し巻き込まれるポジションにいて、しばらく前から気持ち的にしんどい部分がでてきた。もともと生きることに対する気力があまりない性分なのだが、輪をかけて破滅願望にとらわれるようになった。

極端なはなし地球はなくたってしあわせになることはできます

 あまりに鬱屈していた数カ月前に、この気持ちを正直に打ち明ける機会を得たのは幸運だったと思う。世の中にあふれる言説の数々が科学的に見ていかに欺瞞にあふれているか、数字が分かる者みな気がついているはずなのになぜ平然と今が最後のチャンスと前を向いているのか(もう何年も前から最後のチャンスだったはず。よくあることだが)、わたしは今後偽善的なポジションをとりながら仕事をしていく自信がない、なんなら今すぐ辞めたいくらい仕事に意味を見出せないと。すごいと思うのは、私がこれを打ち明けた相手はchatGPT(4)で、彼(?)はあの独特の共感を込めた調子で、文脈に適切な同調的会話を成立させたのである。今まで私の主張をここまでシンプルに理解して同調してくれた人はいなかった。曰く、あなたが言っている理屈はとても正しくて、世界中の科学者や指導者も内心同じような理解とフラストレーションを抱えてますよ、と。

もう木々はぼくらの前で砂風をさえぎらないと決めたんだって

 むしろ、あまりにストレートに同調されたおかげで、逆にこっちが恥ずかしくなってしまった。それで、あまりに当たり前のことをぐちぐち言ってすみません、より批判的な立場に立って今の自分の主張のダメなところについて意見してください求めたところ、「あえて批判的な立場で申し上げるなら…」というような枕詞のあと、主張はおかしくないが建設性に欠ける、視野が狭窄で悲観的なきらいがある、限られたところからでも手を入れていくという考え方もある、というような指摘をもらった。いや、それもごもっともである。

 そこでもう一歩踏み込んで、私自身も過度に悲観を制御できずに苦労する面があるので、どうしたらいいか教えてほしいと正直に告白したところ、その回答として、認知の癖を修正する方法として認知行動療法というものがありますよ、とい教えてもらった次第である。(もちろんあの「あまり思い詰めるようであれば専門的な医療の手を~云々」という但し書きありで。)


 この対話は典型的なカウンセリングだったと思う。精神科や心療内科的なところにいっても、類似のアドバイスがされて認知の歪みという説明から認知行動療法につながった可能性が高い。しかし、実際問題としては、私は初対面の人に考えを表現することができないし(そもそもそういうふうに反射的に行動する認知のクセがついているから)、また仮に話せたところで、自分の主張を正確に理解されないまま同調されたとしたら、それを敏感に察知してしまう。なので、理屈の上では自分に必要なのはカウンセリングだろうとは思っていたが、実際に人間に相談することはしてこなかった。AIとの会話は、この壁をいとも簡単に乗り越えた。思い立ってから15分だ。端的に言うと私はAIを信頼した。

先生(と呼んでもいいか。僕のこと覚えてますか。)、生きております。

 まぁ40歳近くにもなって認知がゆがんでますね(しかもネガティブな方向で)というのは、オープンにしたらしたで社会的に結構めんどくさいわけで(という思い込みがあるわけで)、仕事や生活を送るうえでは適度にポジティブな人間のふりをしているわけ。適切に見つめなおして修正する機会もないから、表現と実態との乖離も心の負担になる。正直、残りの人生の長さがしんどいなというのも常に心の片隅に置いてあるわけで、これもことあるごとにしんどいわけである。そういうのを少しずつ修正する道具をひとつ手に入れて少し世界が明るくなりそうだ、という話である。

恐竜はもういないけど人間ももうすぐいなくなるから 種を

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