「主題化」する日本語と中国語

さて、中国語の文法書が届きまして、ゆるゆると読みはじめました。選んだのは輿水優・島田亜実『中国語わかる文法』(大修館書店)というもので、Youtubeでかなり網羅的なものであると紹介されていた書籍です。まだ読み始めたところですが、非常に面白く、通読しようと思っています。(…話が脱線しますが、最近Youtubeで調べ物をするという術を覚えました。今回参考にしたのは伊地知太郎さんという中国語の先生の動画で、大変ためになりました。ありがとうございます。)

ところでなんと、中国語でも主題化という概念が出てきました。詳細は下に例を挙げて書きますが、これ、先日知った日本語文法の特徴の一つでした。それで思ったのですが、外国語の文法を勉強するまえに、自分の母語の文法をさらっておいたのって結構うまい方法だったかもなと。本日はそういう話です。ちなみに本日はとても長いです。

(せっかくなので)中国語の構造の基本「連語」

さて、主題化に行く前に、中国語の構造の話を少しさせてください。中国語の基本構造についての考え方は、まさにこの本を読んで知ったばかりなのですが、「連語」というものなんだそうです。中国語は日本語と違って助詞が基本的にないので、漢字と漢字が直接並んでいくのですが、最小単位をいわゆる「単語」とした場合に、単語と単語が連結して意味をなした基本構造を連語と呼ぶそうなんですよね。連語単体でも文になるし、その連語がさらに連結したり、あるいは連語の構成要素が連語という入れ子構造だったでより複雑な文章になっていくのですが、基本単位はあくまで連語。で、これが6種あるということで、具体的には:主述連語、修飾連語、補足連語、動賓連語(動目連語)、並列連語、連動連語。せっかくなのでイメージが湧くように簡単に説明すると

  • 主述連語:主語+述語 で連結している。

  • 修飾連語:修飾語+被修飾語 で連結している。形容詞+名詞のような連体修飾連語と、副詞+動詞のような連用修飾連語に分かれる。

  • 補足連語:動詞+補語 で連結している。

  • 動賓連語:動詞+目的語 で連結している。動目連語とも呼ぶ。

  • 並列連語:同じ立場の単語が並列している。

  • 連動連語:上記いずれでもないもの。

細かいことはいいのですが、なんとなくこれを組み合わせると文章になりそうだな、ということが伝われば幸いです。連語を基本単位とした文章の膨らみ方は、例えば基本が主語+述語だった場合に、述語の部分がさらに(動詞+目的語)になって、主語+(動詞+目的語)というような感じです。

中国語の語順はSVO?じゃない?

で、このまさに主述連語のところに主題化の話が出てきて面白かった…という話にいく前に、すみませんが、まだ前置きが続きます。みなさん、中国語の"語順"ってどんな感じだと思いますか?はじめて中国語習うとき、まず触れるのって我愛你(私はあなたを愛しています)とか、这是什么(これはなんですか) に代表されるような、主語+述語+目的語だと思います。あと今天下雨了(今日は雨が降っています)とかね。それで多くの人はこう思うんです、基本英語と同じ語順だな、と。よく考えると違うはずなんだけど、動詞が目的語よりも手前に来るっていうインパクトは結構強くて、なんか英語っぽいなって思っちゃうんですよね…。

で、やっと主題化の話です。本書の主述連語のところに、あるんですけどね。「(中国語は)構造がゆるいだけでなく、意味の上でも主語と述語の関係はゆるやかである。述語が動詞の場合を例にとると、主語はその動作行為の送り手(動作主;行為者)とは限らず、受け手でもあり得る」。はて?

すかさず例として出てくるのが、鶏不吃了です。これSVの文型でとらえると「ニワトリは(餌を)食べなくなった」なのですが、「ニワトリは(わたしは)食べなくなった」という意味でもとれるんですよね。

こういう中国語の多義的なところ、今までもなんとなく違和感は持っていて、でもわざわざ説明したりじっくり考えたりする機会もなかったから放置していました。でも中国語ってこうなんですよね。さらに別の例も出てきます。下午開会(午後は会議をします)、屋里他们開会(部屋では〔彼らが〕会議をします)。これも、開会(会議をする)を述語とした主述連語に分類されるのですが、下午(午後に)も、屋里(部屋で)も明らかに"主語"ではないですよね。これね、さあ文法を勉強しよう!と思ってひらいた文法書に「中国語は主語と述語の関係がゆるやかなので、主語は動作の送り手とは限らず受け手の場合もある。それ以外の場合もある」って言われて、果たして納得できるでしょうか。そんなデタラメな、それって文法って言えるのって思いませんでしょうか?

中国語も主題化される言語

私はどうだったかというと…、思いませんでした!なぜなら、先日ちょうど日本語文法における主題化という概念を知ったところだったからです。上のニワトリが主語(主格)になっている文は、日本語でいうところの、ガ格がそのまま主題になっているケースですね。私がニワトリを食べなくなった話は、ヲ格が主題になったものですね。下午と、屋里はそれぞれニ格とデ格と考えることができます。

もちろん日本語の主題化と中国語の主題化が瓜二つかというとそうではないと思います。でも、なにしろ日本語文法を知らなかったら、たぶんイラッとしたんじゃないかと思うんですよね。ふわっとしすぎだろと。それで投げ出しはしなかったと思うけど、釈然としなかったというか。でも、今回母語の構造を勉強していたおかげで、相対化することができたのかなと。そう考えると、日本語も、なにも知らなければ相当でたらめに見えるのかもしれませんね。本書の解説にある「(中国語の)主述の関係が「行為者+行為」ではなく、「話題+説明」であることがいっそうはっきりする。「話題+説明」を「陳述の対象+陳述」ともいう」と説明も、日本語文法の本を読んでたからこそすっと入ってきたんじゃないかな、と思いました。

他言語に寛容になること

ということで、長ったらしく書いてしまいましたが、日本語で知った主題化のおかげで、中国語の文法のあいまいなところもすっと入ってきたよ、というお話でした。これに限らず、日本語の文法がSVO形式ではない、ということを知った後から、ずいぶん他言語の(私にとっての他言語は中国語だけなのですが)文法の"ゆるさ"に寛容になった気がします。例外ばかりじゃないか、とか、各論ばかりじゃないか、というような文句が湧かなくなってきました。

それと、主題化する言語だ、という意識を持ったことで、中国語の文章を書くための核が自分の中に生まれた気がします。おもえば今まで、なるべくSVOよりで書こうとしていた気がするんですよね。でも、主題化する言語だったら、主題にしたいものを文頭に持ってくるべきですよね。そういう、自分の中のべき論(SVOであるべき)と、いまいち自然じゃないという感覚のあいだの葛藤が解消されたかもしれない。まだ核なので、育てていかないとうまくはならないですが、少なくとも育てるものができたのかなと。これが文法を勉強するということかもしれません。

うん、本日はそんなところです、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

ちなみに完全に蛇足ですが、中国語文法を勉強しようかなと思うきっかけとなった定語と状語は、修飾連語における連体修飾語(定語)と、連用修飾(状語)ということが判明しました。ちゃんと出会えました…感動。

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