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描写としての自然淘汰、人の業としての価値

自然淘汰というものは、あくまで科学研究の成果としての事実の「描写」であって、そこに価値や規範を見いだすのは自然淘汰の概念に適ったものでもなければ「科学的」でもない。結果として、単に、淘汰されたものが淘汰されたのであり、生き残ったものが生き残ったのである、ということだけに過ぎない。

価値や意義を付与するのは人の業、であり、歴史上一瞬にして消え去ったものに、かけがえのない価値や意義が見いだされることも十分ありうるし、長い年月継続しているものに、それだけで価値があるとは限らない。

また、我々の観測と記憶の範囲の時空間で持続的なものも、より大きな時空間で見れば、必ずしも持続的なものとは限らないし、逆もまたしかりである。

存在しているものは、単に存在しているに過ぎないし、消え去ったものは、単に消え去ったに過ぎない。存在しているものが永続的に存在し続けるわけではないし、現在存在していないものが、いつ生まれないとも限らない。繰り返すが、それらに価値や意義を付与するのは、人の業である。

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