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ボランティアは「無償」ではない

ボランティアは「無償」なのではなく、言うなれば「前払いの結果」なのだと思う。これまでずいぶん身の回りの社会から恩恵を受けた、という実感があるからこそ、社会に対してなにか貢献しようという気持ちが「自然に」「自発的に」湧いてくるのではないだろうか。

社会が人々に見返りを求めない無償の行為をさせたいのであれば、まず社会の側が見返りを求めない、条件付きではない愛情や包摂を人々に対して与えなければならないのではないか。

産まれては新幹線や飛行機で泣き声がうるさいと言われ、ベビーカーで電車に乗れば邪魔だと言われ、小学校に上がれば迷惑施設を近隣に建てるなと言われ、大学に入ればいつまで遊んでいるんだと言われ、海外で事件に巻き込まれれば自己責任だから助ける必要はないと見放され、就職活動を始めればモノのように扱われ続けてきた人生の中で、どうやって社会の「見返りを求めない愛情」を感じればよいというのか。

一体我々はいつ社会から祝福されたのか。社会は我々にとっていかなる意味を持つものなのか。

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