教育プログラムにおける情報圧縮のインセンティブ設計はいかにして可能か
教育プログラムの生み出す時間コストは大きな問題である。
通常の受発注業務の場合は業務効率の改善無しでも受注者が一日あたりの労働時間を増やせば納期を早められるが、教育プログラムの場合は「プログラムの実施時間」がそのまま学習者が奪われる時間に一致するので、学習者の一日に割ける学習時間が一定だとすると、「成果」を高めようとしてプログラムの実施時間を増やせば「納期」は遅くなる。
特に、教育者の「報酬」が時間単価で決定されるとなると、実施時間をできるだけ延ばす方向にインセンティブが働き、教育プログラムにおける情報圧縮のインセンティブは一向に生まれない。
この点において、教育者の提供する教育プログラムの「成果」をどのように定義し、評価し、報酬を決定するか、そして一方で、(それがあるとするならば)「学習者の責任」というものをどのように考えれば良いか、という問題が重要となる。
ここで、「教育はサービス産業では無い」「教育には税金が投じられているのだから学習者にもきちんと学んで社会に還元する責任がある」という異論は当然あるだろう。また、「成果」だけではなく、「学ぶ過程」が大切なのだから、「納期の短縮」を一概に良しとするのは不適切である、という考え方もあるであろう。
しかし教育の歴史を振り返ると、そういった意見を取り入れることによって、結局「教育プログラムにおける情報圧縮のインセンティブ」はいつも失われてきた。
教育を批判するというよりは、「教育プログラムにおける情報圧縮のインセンティブ」を生み出すようなポジティブなメカニズムをなんとか作れないだろうか。
情報圧縮によって「納期」が短縮できれば、それに併せて教育負担も減らす?しかし、情報圧縮の努力をしなくとも、別の理由で納期が短い場合はどうするか。皮肉な見方だが、それが、図らずも一部の「能力の高い学生が入学してくる大学」の教員に与えられている「報酬」なのかもしれない。
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