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法的判断、責任帰属、原因究明、動機探索

社会の秩序維持のための法的判断と、社会規範の個人化の近似値としての責任帰属と、メカニズム解明と再発防止のための原因究明と、納得の物語構築のための動機探索と、本来それぞれ別のレイヤーにあるのだろう。


したがって法的判断と責任帰属は、原理的に(程度の差こそあれ)「理不尽」にならざるをえない。その理不尽さと引き換えに我々の社会は相応の便益を手にすることを選んだのだから。もちろん、「どのように理不尽であるべきか」は試行錯誤と議論を積み重ねていく必要はあるにせよ。


原因究明や動機探索を、法的判断や責任帰属に埋め込もうとする行為は、「より良い近似」「より少ない理不尽」を求めるものである一方、逆に後者からの要請によって前者の遂行が禁止されたり、歪曲されたりする倒錯への扉を開く、諸刃の剣であろう。


一方、動機探索が「納得の物語」の構築である以上、それが誰にとってのどういった水準での納得なのかという相対性の問題が常に付きまとう。「悪気はなかった」「良かれと思って」「熱心さのあまり」「相手のために」といった「動機」はいかに扱われるべきか。いかに無視されるべきか。


マルチレイヤーであるからこそ特定のレイヤーでの理不尽や近似を受容できる、ということもある。他のレイヤーに救いを見出すことができるから。そういう意味では特定のレイヤーに他のレイヤーの要素を何でもかんでも組み入れて「統合」しようとするのは「ほどほどに」しておいたほうがむしろいい。


どのみち理不尽さは完全には解消できないのだから。

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