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久高島の旅

昔、久高島に子どもと二人で行ったことがある。たぶん8年くらい前で子どもは3歳くらいだった。

1泊の予定だったけど、島に着いて少し町を歩いただけですっかり落ち着いてしまい結局3泊してしまった。はっきり言ってほとんど何もない、とても小さな島。ものすごい猛暑だったので、島の名所にも暑すぎて全く行けなかった。ましてや小さい子連れ旅である。だから特に何もすることはないのだけど、何だか雰囲気がものすごくほかほかしているところでズルズルと長居してしまった。

小さな島にある民宿はどこもいっぱいだったので国民宿舎のようなところに泊まった。ここが今でもすごく印象に残っている。とても大きくてがらんとしていて、ものすごく足音の響く長い廊下があった。そこをスリッパでパタパタと歩くとまるで誰かが布団叩きで布団を猛烈に叩いているようなくぐもった音がする。夜はなるべく音を立てないでくださいと、受付の人に繰り返し言われた。「本当に音が響くので」と。

そしてこれは記憶があやふやなのだが、他の部屋との仕切りが襖だった気がする。いや、いくらなんでもそんなの危なすぎるから間違いかもしれない。でも確か子どもが間違って開けてしまってそこが誰か他の人の部屋だったような…。やっぱり襖の仕切りだった気がする。一応すぐ隣の部屋には誰も泊まっていなかった。少し離れた部屋の人のいびきがすごかった。まだ3歳の子どもは夜はぎゃあぎゃあうるさいし、すごく気を遣った思い出がある。と言ってもこれは旅の道中いつもそうだった。子どもは本当に意味もなく駄々をこねて泣き叫んで、泊まるところは大抵民宿やドーミトリーだったから。

ここの受付の男性---後で話してわかったのだが、埼玉あたりの出身の人で久高島に来て1年半くらいの若い男性---が、なぜかものすごく印象に残っている。いつも一人で受付で本を読んでいたり、庭で水撒きをしていたり、真面目だけど暗い感じのおとなしい人だった。ひょっとして彼は何か厭世するような過去があって、この小さな島に流れてきたんだろうか?感じの悪い人ではない(どことなく同種って感じも 笑)。とにかく2日目の朝、この男性から「本当に夜は静かにしてください。他のお客さんからも言われていますので」と言われた。私は「すみません。気を付けているのですが」と謝ったけど、心の中では「誰だよ、わざわざ受付にまで告げ口に行ってるのはよぉ」とむかついていたのは顔にばっちり出ていただろう。

今から思い返してみればアジア系の顔をしていない息子ともろアジア顔の私が二人でぼんやり旅している姿が奇妙に映ったのだろうか、この沖縄島南部をまわる旅ではいろんな人に声をかけられた。知らない島のおじいさんと一緒に外で夕涼みをしながら、激動の半生を聞かせてもらい「なんでもやりたいことをやりなさい」となぜか励まされたり。ちばいぐゎー(小)というカフェで毎日ものすごくおいしいごはんを食べて、でもその量がとてつもなく多くて、タッパーを取りに国民宿舎まで走って帰って食べ残しを詰めさせてもらったり。その残りで次の日の朝とお昼が大丈夫だったり、偏食の我が子のために沖縄すばと島豆腐をおまけで出してもらったり。

本当に身の危険を感じるくらい暑かったので、私にはかなりの贅沢だったが観光ハイヤーを呼んで島を1周してもらうことにした。今からしてみると、あの頃はまだここ数年のような殺人的な夏はそんなになかった。気候クライシスの序幕だったのだろう。暑くなければ自転車で行けるのだが、結果的に地元ならではのいろんな話をしてもらいながらゆっくり回れてよかった。久高島の名所とはほとんどが御嶽(うたき)で、少し何かの形が残っているところもあるけれど大抵は何もない。というか島全体が聖地なのだ。案内板すらないようなところも多いので一人だと全く気づかずに通り過ぎてしまっていただろう。「え、ここ?」と言うようなところに、ガイドの人とぼーっと立って周りを見ていると不思議なことにふつふつとこみ上げてくるものがある。「さっきのところと感じが違うでしょ?どちらが好きですか?」と聞いてくるガイドさん。確かに違う。クーラーの効いた車の中で休みながら丁寧に主要なところをほぼ全部回ってくれた。

まだ3歳の子どもは当時イヤイヤ期絶好調でハイヤーから絶対下りないという。ガイドさんは「数分で帰ってくるから大丈夫ですよ。クーラーの中にいた方が熱中症にならなくていいし」と子どもを車に置いてってもいいと言う。アメリカで子育てしている私にはそんなこと絶対怖くてできない。でもふっと周りを見ると緑がさわさわと私たちを囲んでいて、ここまでは小さい道が一本伸びているだけである。空はあくまでも青く、雲はとことん力強く白い。結果子どもはなんでもないように待っていた。あの時に降りた海岸、「ほらあそこに○○の跡が見えるでしょ」と言われてじっくり目を凝らしてみたものの何か幻みたいなものしか見えなかった海岸、精霊って本当にいるのかなと思った。

それから夕方海に行ったとき、いかにも「うみんちゅっ」て感じのおじちゃんが小さい赤ちゃんをかかえて海に浸かってた。海の中で「高い高い」をしてあげて赤ちゃんもすごく楽しそうである。まあまあ遠浅なので、私たちもちゃぽちゃぽ近くで浮かんでいた。赤ちゃんはほぼ1歳でその記念に「浜デビュー」したそうである。少し向こうにお母さんらしい人がいて、一人でバリバリ泳いでいる。いいなあ、うみんちゅのお父さんがいたら安心して任せられるよねと思いながら見てた。赤ちゃんたちは沖縄島(本島)に住んでいて夏休みで島に帰ってきているそうである。海の近くで生まれ育つってなんて幸せなんだろう。そのあと、私たちは二人で少し暮れなずんできた空を見ながらぷかぷか浮いていた。ちばいぐゎーのおばちゃんたちは、真っ暗な夜空を見上げながら海に浮かぶのが大好きだという。「宇宙と一体になれるの」

久高島を去る時、例の宿舎の受付の男性が港まで送ってくれた。荷物の支度をしていたら「よかったら送りましょうか」と言ってくれたのだ。歩いても行けるが荷物もあるし、ものすごく助かった。港に着いてお礼を言ってからもしばらくその管理員さんはそこに立っていた。そして私ははっと、当時息子がおもちゃ代わりにいつも使っていた、夫の皮のベルトを忘れてきたことに気づいた。たぶんお手洗いに置いてきてしまったのだ。なぜベルトがおもちゃ代わりなのか、今ここでうまく説明することはできないが(笑)、長年息子の必須アイテムではっきりいってそれがないとうまく日常生活が送れないくらいのものである。でも車で7~8分かかるし、船の時間もある。すみません、もう一回送ってとも、やっぱりもう1泊しますとも言いにくい。それで仕方なく何もなかったかのように島とお別れして船に乗った。ああ、また皮のベルトを買わなければ…。それも安物ではクオリティが違うらしく絶対許してくれないのだ…。

夏になるとそんな昔のことを思い出す。それは確かにこの足の下のどこかで繋がっているはずなんだけど。


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