やさしいひと。

私の中の「優しい人」は、ずっと昔から父だった。

子どもの頃は、怒られないし、一緒にいてくれるっていう感覚だったと思う。子どもの頃の記憶で今でも覚えているのは、学校を早退する時は必ず父が迎えに来てくれていた事。
高校生の頃は、3者面談は父だった。1年生の夏、理系に進むか文系に進むかの話し合いがあり、「心理学を学びたい」と伝えたら、担任は「じゃぁ文系か」と言ったが、父は「何があるかわからないから理系クラスにしてくれ」と言っていた。多分、兄の事があったからだろうけど、今では理系クラスを選んでいて良かったと思えている。

心理学部に進学し、なんか色々あって養護教諭が一番自分の理想に近いことがわかった。大学を掛け持ちで通い、養護教諭の免許も取った。その時に理系に進んでおいて本当に良かったと心底思ったのを覚えている。

私がどんな選択をしても、否定せず「お前の人生だから好きにしていい」と背中を押してくれた。
どれだけ失敗しても、「頑張れ」とか「努力が足りていない」という言葉は絶対に使わない人だった。

ただ、人生で1回だけ、父に怒られた事がある。
祖母が認知症になり、介護が必要になった時だ。温和だった祖母が、攻撃的になり、「憎たらしい」と思ってしまった時があった。私は、祖母に対する不満を父にぶつけていた。父もずっと我慢していたんだろう。だが、「俺の母親だぞ!」と大声を出した事があった。感情的にならない父が、初めて感情に任せて言った言葉だった。
祖母が施設に入所するまで、祖母の介護のほとんどを父が担っていた。入所してからも、土日は必ず祖母に会いに行っていた。
祖母が亡くなった報せを私が受けたのは、祖母が亡くなって2日経ってからだった。県外に住んでいるから、仕事の邪魔になるからという配慮もあったのだろう。金曜日の夜に連絡が来たことを今でも覚えている。有給をとってすぐに実家に帰った。
父は、祖母の傍に座り込んでいた。
私は、祖母に「ごめん。育ててくれてありがとう」しか言えなかった。
父は、「ありがとうって言ってくれたのはお前だけだ。ありがとう」と言って涙を流していた。
祖母が亡くなる瞬間まで、きっと色んな人が「さっさと死ねばいい」と言っていたのだろう。そのくらい祖母の性格はキツくなっていた。父は一人でそんな言葉や感情を受け止め、苦しんでいたんだと思う。

父が祖母の不満を言われ、「俺の母親だぞ」と怒りたくなる気持ちは、今ならわかる。
義姉が、母の悪口を私に言ってくるのだ。母が性格がよろしくないのは私も知っているが、私にとって母は母だ。どうしても嫌いになりきれない。
そんな想いの中、「ばぁばがさぁ」と不満を言ってくる義姉にイライラする事があるのだ。自分側の親類とか友達に言えよ、と思ってしまう。かといって義姉との関係は悪くないので、なぁなぁにしている自分も悪いけど。

そんな扱いにくい母のことも、父は全て受容している。
「お母さんはなんでも出来る人だからなぁ」っていうのが父の口癖だ。

今は実家に戻り、両親と再び生活をしている。
食事の後、食器を下げるのは父と私の役目なのだが、「仕事で疲れてるからゆっくりしてな」と言ってくれる。
私は父が現役だった頃、そういう言葉をかけていただろうか?
父が疲れている時に「ゆっくり休んで」と言えてただろうか?

父のように心が広く、優しい人間になりたい。

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