心つづれおり〜42 ジーザス・クライスト=スーパースターinコンサート〜

2019年10月13日のマチネから3公演を観劇予定でしたが、台風19号の影響でフライトが欠航し、それでも粘って13日ソワレから2公演を観劇しました。再三フライトや宿泊の変更をして諦めなかったのには、この公演への強い想いがあったから。今振り返っても凄い執念だったと、自分に苦笑いしてしまう程で・・・。

観劇のきっかけは、海宝直人さんがシモン役で出演したことが一番ではありましたが、海外と日本の俳優たちの共演というエキサイティングな配役に、演目がジーザス・クライスト=スーパースター(以下ジーザス)ときたので、上演を知ってから心待ちにしていました。また、何年も前に観た舞台版ジーザスのときに感じたモヤモヤは何だったのか、長年の宿題に取り掛かる気持ちもありました。(心つづれおり6参照)

観劇後は、興奮の中に晴れやかさを感じ、この舞台を生で観られて感謝の気持ちに溢れました。コンサートとありますが、完全にミュージカルとして成立していました。セットも衣装もヘアメイクも削ぎ落とされたシンプルさがあり、これがジーザスの世界観を際立たせているように感じました。とにかく、1ステージの熱量が凄かった。個々の俳優たちの表現力とそれを裏付ける技術力が半端ないこともありますが、エネルギーの塊を全身で受け止めた感覚です。

そこで、宿題の話を。かつての観劇では、私はジーザスの存在を生まれながらの神としてしか見ていなかったことに気づきました。何故この人物が神と崇められるようになったのか、それは生まれたときから選ばれた人だったから?特別な力を持つ人だったから?くらいの理解だったのですが、コンサート版のデクラン・ベネット演じるジーザスは、ジーザスが一人の人間として見えました。誰とも違わない一人の人間だけれど、少しばかり他の人よりも勇気や信念があって、そこに魅了された多くの人々がやがて群衆となり、ジーザスを崇めていったのだと。神ジーザスを創ったのは群衆の方だとも思いました。そう考えると、ジーザスで描かれる運命の残酷さに合点がいきました。また、原語で観たことで、日本語訳との印象が大きく異なるのには驚きました。日本語訳は、直接的に言葉の意味が伝わるのは分かりやすいとは思いますが、私にはあまりに直接的すぎたのだろうと思います。このジーザスという作品に限っては、英語で観る方が心にスッと届く感覚がありました。これらのことから、あのモヤモヤは、ジーザスの捉え方と言葉の違いから感じたものだったのだな、と私なりに理解しました。

それでは、ここから印象的だったキャストについて。まずは、この公演の為に選ばれたアンサンブルキャスト8名の皆さん!舞台を支え、またアクセントとなるその存在感は、素晴らしかったです。観客と舞台をしっかり結びつけていました。そして、一際惹きつけられたのは、ヘロデ王役の成河さん。セット上部の高い位置がヘロデ王の玉座を表していました。そこから、舞台上(下界)で繰り広げられるあれやこれやを時に楽しそうに、時に冷ややかに見ている様が見事でした。また、出番が来たときのアピールは、絶妙なサジ加減があり、(やり過ぎにならない、そして確実に心に刻まれる演技)場の空気を支配するとはまさにこういうことだよな、と天晴れ。ミュージカル以外でも活躍されていることがよく分かりました。

最も楽しみにしていた、狂信者シモン役の海宝直人さん。海宝さんは、元々ジーザスという作品が大好きだということでした。その舞台に立てることの喜びが化学変化を起こして、シモンというキャラクターに反映されていたように感じました。全身黒のスタイルから放たれるキラキラ輝くオーラは、ジーザスに熱狂する姿そのもの。また、その海宝シモンに煽動されて観客も群衆の一部になる感覚には興奮しました。(この熱狂が、のちにジーザスを死へ追いやることになるのは複雑なのですが)

他、海外の俳優の皆さんも素晴らしくて、日本でこれだけのキャストを一つの作品で観られるとは、という思いでした。

さらに、ロイドウェバーの音楽は驚異的だと確信しました。そもそも、聖書を原案にミュージカルを創ること自体、凄い挑戦です。この作品は、音楽が全てを物語っていると実感しました。

限られた公演数のところ、不可抗力で仕方の無いことでしたが、中止回が出たのは残念でした。しかし、またこうしたスペシャルな公演が企画されることを心から願い、今後も海外と日本の俳優の共演に期待しています。



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