死にたい私は良い文章を書く
誰にも教えていないブログとツイッターを数年間にわたりひっそりと更新している。
だいたい死にたい時や病んだ時、怒っている時、マイナスの感情をぶちまけるのに使っている。
まぁいわゆる「愚痴垢」みたいなモノなのだが、そう呼んでしまうにはもったいないと思っていて、その、なんだろう、非常に「良い文章」を書いてしまうから。
クリエイターはどこかおかしくないと良いものを作れない、みたいな言説には賛同しかねるが、自分に関してはそういう状態のほうが調子がいいと思う。
冷たくソリッドで、美しい文章を書く。
(いや、褒めすぎなんだけど、もはやそういう時の自分は別人格だと思っているので褒めてあげたい。)
とにかく、それらの文章は良い。(ということにして!笑)
私はナルシストな傾向が強く、基本的に自分の創作物を気に入っている。
絵も、文章も小説も、自分のツボをよく抑えていると思う(自分で創っているから当たり前なんだけど)。
だからたまに見返してはニコニコする、なんていう気持ち悪い行動をしているのだけど、やっぱりそれらのアカウントは群を抜いて「良い」。
その「良い」文章たちを抜粋したいが、コピペして検索すれば該当のブログとツイッターが出てきてしまうのでできない。
誰もそんなことしないだろうが、念には念を入れてしない。
そんなこんなで、見せたいけど誰にも見せられないというジレンマを抱えている。
が、理由はこの話(反応してほしい、けど、反応されると怖い)とは少し違っている。
ちょっと話は飛躍するが、私は誰にも一生話さないでおこうと決めている夜の話がある。
決してそれはドキドキするようなエロい体験や、墓まで持っていく秘密事でもないのだけど、一生誰にも言わない。
それを話してしまった瞬間、あの夜の記憶を口から言葉にして外気に触れさせた瞬間、私という人間はなんの面白みもないペラペラのからっぽになってしまうような気がするから。
私が自分にとって深みのある面白い奴でいる為には、誰にも言わない自分だけの記憶が必要だと考えている。
そんなわけで、さっきの「良い」文章もこれに該当する。
自分だけが知っていて、自分だけが共感して、自分だけが考えを巡らせる、ある種聖域のような場所を確保しようとしている。
そこにはやっぱり他者の目や評価や反応は絶対にあっちゃいけない。
私は絶対、それらに合わせて物を考えるようになるから。
普通に生きているだけでもどこかから監視されているように息苦しく、緊張している。
自分で、ここだけはいいよ、と決めてあげないと感じたままの考えを外に出すことができない。
いつかその場所を人に明かす時がくるとしたら、きっと私は死んでしまうんだろう。
じゃあなんでこんな話をしてるんだ、と思うんだけど、多分鬱々としてる時の方がいい文章書けませんか?と共感を得たかったからなのかもしれない…。
もしくは、ひと思いにこの場所でも思っていることを書きたいと感じていて、そのための予行練習なのかもしれない…。
いや、そうじゃないのかもしれない…。
何も考えてなくて、なんとなく言いたくなってしまったのかもしれない…。
誰にも言えないけど、良い文章を書くんだよって教えたかったのかもしれない…。
勢いで思いついたタイトルに対して、もっともらしい内容とオチをつけようとしたのかもしれない…。
いや、オチなんてものは無いのかもしれない…。
そうかもしれない…。
きっとそうだ…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?