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バイリンガルになるか、するか。其の13

現地校に入ったころ(5歳以降)から9歳くらいまでのよくある壁について書いていこうと思います。

壁1:現地の学校に入った途端、子供が現地語で話すようになった。学校のことは日本語で話さなくなった。

これは、どの子供にもあります。それは、子供が、学校での経験は、現地語で処理しているため、現地語でしか出てこないのです。もしくは、日本語と現地語の単語をまぜて話すので、何を言っているのかわからないこともあります。

考えても見てください。
この学齢で、要約ができるでしょうか?
要約ができるようになるには、訓練が必要です。相当見識があって、理解力がある子供じゃないと、まずできません。
通訳や翻訳は、外国語で生活できる人が必ずできるものでしょうか?
これも、訓練が入ります。単語の訳は、1:1にはなりません。状況によって訳が異なりますし、表現方法だって、いろいろあります。

母国語のみで生活している子供でさえ、物事を順序よく、理路整然と話せる子は、以外に少ないのではないでしょうか?大人でさえ、慣れない外国で経験したことを日本語で確実に説明できることは少ないのではないでしょうか?

また、この時期の子供は主観のみで物事を見ます。客観的に物事を見ることはまだできません。ので、何をどう説明したらわかるか、ということまでは、「訓練」、つまり、何回もやり取りをしていくうちに学ぶものです。

外国語で聞いたり見たり読んだりした話と、日本語でした話。やはり母国語の日本語で聞いたり見たり読んだりした話のほうが、外国語で、より、深く理解できるので、よって、記憶にも刻まれやすく、話を要約しやすくなるものです。

ですので、子供は、学校であったことを家で話せなくなることがよくあります。

これは、先で話した、「無意識、無実行」、「意識有、無実行」の状況です。これを、いかに「意識有、実行有」に、子供の成長を生かして持っていくか、が今後に更に影響します。

対応策1-1: クローズド質問の繰り返しで、親が日本語で話す、話させる習慣を諦めない。

その場合、大事なのは、親が、だいたい学校で何があったのかを他から聞き出し、子供には、クローズド質問(「はい」「いいえ」で答えられる質問)を日本語ですることです。学習言語の単語を入れても構いませんが、それを日本語でどういうのか、は親が調べて双方使えるようになる必要があります。

どうして、どうやって、何を、どっち、誰が、といった質問はしません。ただ、具体的な固有名詞は聞いてもよいと思います。

○ 学校で、**君と遊べた?
○ 学校で、一緒に遊んだ友達の名前を教えてくれる?
✖ 学校で、誰と遊んだの?
○ ごっこ遊びしたの?
✖ 何をして遊んだの?
○ 今日は、国語の時間に、アルファベットを習ったの?
✖ 今日は、何を習ったの?
○ **先生に怒られたの?
✖ どの先生に怒られたの?
○ (怪我をしていたら)校庭でころんだの?
✖いつ(どこで/何してて)転んだの?

といった感じです。一緒に遊んだお友達の親御さんと知り合い、様子を聞き出すことも大事です。これが結構努力がいるし大変です。親同士の時間や気が合う合わないもありますので、無理しすぎないように程々で続けることが大事です。

さらに、文章にして、確認することも大事です。

学校で、**君ではなくて、@@君と遊んだのね。おにごっこをしたの?
学校で、@@君と、追いかけっこ(子供が現地語で言った遊びは日本語にできるだけ訳します)して遊んだのね
学校では、国語の時間にアルファベットを学んで、おしゃべりしていて、xx先生に、怒られたのね。

といった感じで、確認します。
次第に、自分で文章にして話すようになることが多いですが、ならない場合、状況に応じで、1、2文だけでもいいから、オウム返し、または、シャドウウィングで言ってもらうようにすることも大事です。

人間は、体を動かすことで脳への記憶を深めていくものです。この時期には、返事を文章でいえるように、持っていくことを習慣にすることは、この先、日本語で会話をできるようにしてく上では、非常に大事です。

対応策1-2: 子供が学校で習っていることを現地語で聞く。

え?と思われるかもしれませんが、やはり、母国語の成長が、第二外国語の成長につながるものです。ですので、母国語でどれだけ理解しているのか、を確認することは大事ですし、母国語こそ伸ばして行くことは大事なのです。

言っていることがわかって、よく理解できていたら、褒めます。そして、日本語で、丁寧にそれを繰り返し言い返してあげてください。

「Antarctica、日本語では、北極ね。北極でBritish Naval Officer、日本語では、イギリス海軍将校ね、イギリス海軍将校のSir James Clark Ross、サー、ジェームズ.・クラーク・ロスさんが、Eighteen thirty one, 千八百三十一年にNorth Pole北極点にたどり着いたのねー」

と、学習言語(母国語)と日本語をすり合わせていくのです。くどいだろうがなんだろうが、日本語ではこういうということをしっかり聞かせる、のが目的です。

この際、わからない単語や状況は、親が学ぶのです。日本語で確認するのもよいですが、この時は、「現地語を子供から教えていただく」という態度が大事です

子供が、「親も学んでいる」「親に教えることができる」と思えることは、自尊心が高まり、学習意欲が高まります。これは、スポーツでもよいのです。子供が主導権を握っているかのような状況を時折作ってあげることは大事です。特に、主導権握りたがり屋さんには。

握りたくない子でも、やはり、親に教えることができる、と思うと、より理解しようとするし、学ぼうと思う意欲が高まります。理解するために学ぼうとするし、親に褒めてもらえるために理解を深めようとします。

教えていると思うと、不思議と、親から教えてもらう、ということにも抵抗がなくなるものなのです。(もちろん例外はありますが)

お互い様、の関係は、親子の間でもよりよい関係をさらに築いていく基盤となります。

子供から学んだことは、そして、日本語にします。日本語では、Recycleを再利用というよ、とか、Airは空気というよ、という感じで日本語のインプットをいれ、さらに、もし子供の雰囲気があるなら、大事なところだけでも日本語で説明をしたものを、繰り返してもらう、シャドウイングしてもらう、と更に良いです。

この方法ですと、自分のバイリンガル化にとても有効です。うちでは、スペルや、文法をまずは子供に聞きます。確認は、Googleや主人を使ってした上で、合ってたら、べた褒めします。間違ってたら、後でやんわり伝えます。

これをすれば、現地語の勉強も伸ばせますし、自分の勉強にもなるので、ある意味一石二鳥なわけです。

対応策1-3:自分の話をする。

今日はどんな日だったか、自分の話を日本語でします。子供の気を引くように、少し作り上げる必要はあります。年齢が上がるにつれて、話す内容は、作り上げなくても興味を引いてもらえるようになりますが、やはり、子供の目線で何が面白いか、気を引くか、というのを知るためにも、試行錯誤で子供の気を引く話を自分ができるようにしておくのも、今後の成長、変化を知っていくにも、親子関係の信頼性を強くするためにも大事と思われます。

私は、子供が幼稚園のころは、仕事で出会ったお客さんを動物に例えたり、通勤で見た出来事を、いつも面白くする方法を考えて観察して、考えて準備していました。

小学校に上がってからでも、似たようなものですが、基本、子供が話したがらないときは、こちらから話を提供しました。子供が話してくれた内容から、自分が子供と同じ年齢だったときの昔話を思い出しておいて、メモしておいたり、友人の年上の子供の話を聞いておいて、面白い話をメモしておいたり、記憶にとどめたり、といった感じです。

話題が盛り上がらない場合は、一緒に子供の好きなことをするのもよいです。ゲームだったら、ゲームの内容を実況中継日本語でしてみる。見えているものから親が感じたことを日本語で、聞こえるようにつぶやく、というのも、耳から日本語が入るので、よいです。


壁2: 母国語(学習言語)の成長に問題がある。

現地学校にあがるまでは、ほぼ日本語のみの生活をさせておくのも、子供によっては構わないのですが、現地学校にあがってから影響が出る場合が、子供によっては当然あります。

子供の能力は無限なのですが、子供の成長の速度は違います。他人と比べ過ぎて焦らないことは、大事です。基本、日本語に問題がないのであれば、現地語は必ず育ちます。逆もしかり。現地語に問題がないのであれば、日本語も、本人の意思がありさえすれば、必ず育ちます。

ですので、あまり心配しすぎないことは大切です。

ただ、やはり、学校では、学業と現地語ができてこそ、自尊心もつくものです。ですので、日本語よりも、友人関係、学業にも力を注ぐことは大事となってきます。

対応策2-1: 聞く、待つ。

まずは、状況を「聞く」ことに集中することが大事です。何が学校で起こっているのか、どんな先生で、どんな友人がいて、何を感じたのか。否定せずに、聞き役に回り続けることです。

聞き役に回っていると、そのうち、本人に必要だと思われるものが見つかります。その際、学校に相談できるならしたほうがよく、アドバイスも「聞く」方がいいです。

聞いた上で、そのアドバイスが有効かどうか、「試す」そして、「待つ」というのも大事です。

子供の立場にたてば、日本語(外国語)での会話にほぼ問題がない場合、現地語の環境に入ると、まず感じるのは、「劣等感」の可能性が高いです。特に、今までは、自分の言うことがわからせることができた環境から、まず、何もわからない、わかってもらえない状況に陥った場合、「萎縮」してしまうか、「行動」で感情を表すか、のどちらかになる場合がほとんどです。

この「劣等感」を感じない子供は、あまりいないでしょうが、それをどう処理するか、は子供によるのです。劣等感を感じていても、学校を楽しめる環境であれば、問題なく過ごし、自然と母国語を身に着けていく子供が多いですが、楽しめず、奥手(シャイ)になっていく場合があります。

学校では、友達関係で大きな影響を及ぼすことがよくあります。学校にいる間、集中できなくなり、しっかりしていて助けたがりの友達に頼り切ってしまう場合があるのです。この友達に悪い意図は一切ないのですが、過保護になってしまい、本人の言いたいことを想定して代弁してくれるまでになると、学習言語(母国語)を、他人に頼ってしまうのです。自分の意見に近いことを言ってくれる、自分のことを、きっとわかってくれている友達を頼りとし、友達に従っていれば問題ないと思ってしまう環境に陥る場合があります。

これは、大なり小なり、あるものですが、自分の意見を自分の言葉で言わなくてすむ状況はある意味、「らく」で、居心地がよいと感じる子供もいるものです。

この場合、学校に頼んで離してもらうことは大事です。学校側が気づく場合もありますが、そうではない場合もありますので、要注意です。

面倒見のよい友達と会えない場合は、自力でなんとかしようとします。なんとかしようとしても、やはり、仲間に入れてくれる、対等に話してくれる友達、先生との相性など、なかなか難しいこともあります。

ある意味、親からは完全に見えない世界の学校。友達関係は、やはり、他の親御さんからもいろいろヒアリングすることは大事です。ひたすら、聞き役になって、状況を冷静に把握して、どこまで子供にとって負担になっていて、どうしたらよりよいか、を、子供と状況に合わせて見つけていくことは大事かと思います。

早期決断よりは、子供が自分でなんとかできる状況かどうか、を把握することは大事です。

対応策2-2:一緒に現地語を日本語を通して学ぶ

親が子供に頼るのは、子供が自律できるようになってからです。それまでは、一緒に学ぶ。助け、助けられるという関係を保つことは、子供の自律を促すものであって、自尊心を保って、他人の自尊心を大事にできるようになれる大人になるのには必須です。

そして、対応策1-2に書いたような状況に持っていければ最高です。


壁3:補習校などの日本語教室に馴染めない。

壁2とは別で、日本語でスムーズに話せないで補習校などの第三機関の日本語教室に通った場合、現地校ではできるのに、そこではできないことが多いことに、嫌気をさす、ということもあります。特にこの嫌気は、小学3年生の授業に入ってからは強く感じるようになります。

現地語ではスラスラ読み書きが素早くできる場合、また、それもあまり好まない場合、双方でこれは感じるようになるのです。

補習校というところは、日本に帰国する予定のある子を対象にしているところが多く、やはり、日本人としての日本語の勉強か、外国語としての日本語の勉強か、というところに大きな違いがありますし、また、駐在員さんのお子さんも通う補習校だと、その差は歴然となり、やはり、「劣等感」を感じざるを得ない状況になります。

ちなみに、劣等感を、必要以上に感じない子供は強いです。親は、補習校をあくまでも、ペースメーカーの一つ、同じ年代の友達を作るチャンスの一つと捉えて、宿題もガチガチにやらせることはなく、かといって完全にやらせないわけでもなく、その子供の程々でやらせて提出、残ったものは、来週か再来週、できるときにやるくらいで続けている人は、やはり、間違いなく上達しています。

対応策3-1: 劣等感を、利用する。

補習校などの日本語教室に入る前の子供と、今の子供を比べるのです。: どれだけ日本語でわかるできることが増えているか。
漫画も読めるようになった、音読のスラスラ感もでてきた。作文の内容がテキトウでも、漢字が一つでも使ってあったら、それは成長というものです。汚い字でも、力強い字であれば、それを褒める。その子供の今を、続けていた成果として褒めます。ビデオを時折撮っておくのも大事です。自分の比較を自分でできるからです。

補習校では、小学校1、2年ではきれいに書くこと、止めはね等厳しいのですが、3年にもなると、先生にもよりますが、ゆるくなる場合が多いです。もちろんそうでない先生もおられるでしょう。しかし、現実問題、自分の子が、受験するわけでもないですから、そこまで徹底する必要性もないわけです。ですので、学校ではだめと言っても、家では丸にしてあげて、『努力を認める』という一番大事なところをしっかりしていき、『だめな自分』より、『努力する自分』、『今はだめでもすごい自分』という自尊心をつける助けをしてあげることに利用できます。

ちなみに、イギリスでは、早くてYear1, 遅くてYear2から筆記体を習い、単語のアルファベットをつなげて書けるようにするというのが国の指導要綱であります。その後、Year3からは、Pen Licence (米語スペルはLicense)といって、きれいに書けることに注力します。やはり、読める字を書く、というのは、大事です。

子供は、『できない自分』から、『できる自分』になる過程を好きになることを覚えると、将来強いです。コツコツすることの大事さ、だめな時期があってよいという感覚、他人と比べる必要は無いこと。それら大事なことを、体験して学べるので、子供の狭い視野を広げることができます。

対応策3-2:宿題の調整

宿題も、全部きちんとしようとしなくてよいのです。発表とかないのであれば、次の週に持ち込んでもいいのです。気が向いたときでも良いのです。

が、子供の気が向くのを待ってたら、たまるだけの場合は多いです。そこは、親の助けがいります。宿題を見て、漢字から短文を作る、とかであれば、その漢字を取り入れた子供の興味を引く会話をするのです。

「**には、この電車が大切なものだよね。大切って「大きく切る」って書くんよ。なんだかな。「親切」というのも、「親を切る」だって。こわーい」

と言った具合に、豆知識をひたすら入れていくのです。その漢字を習う、ということは、それを使った語彙を増やすチャンスなのです。一気に詰め込みではなく、一つの漢字に2、3の語彙を見つけてあげる。で、ヒントを上げる。ヒントをそうそう使えるわけではないですから、期待しすぎずに、助けながら書く、ということを、少しずつ、

そして、音読、読み聞かせを欠かさない。なかなかに大変ですが、それでも、続けていくうちに、意識しないで、つまり、苦にせずできるようになりますので、ここは、子供というよりは、親の頑張りどころです。

ただしやってはならないと、私が個人的に思うのは…子供の宿題を親が変わりにすることです。

どんな状況でも、親が子供がすべきことをしてしまえば、子供は自分でしなくなります。

幼少のころから、朝食後や、おやつの後、夕食後に日本語をするという習慣をつけておければベストです。なぜ、食事のあとか、というのと。。。実は、統計でも出ているのです。

裁判官でも、同じような犯罪でも、午前と午後では、判決の厳しさが異なるということです。「意思決定のノイズ」(ダニエル・カーネマン他著)より)

ですので、やはり、食後は気分が上昇するものですので、食べて元気になってから、日本語をやってもらうというのが、効率よいのです

対応策3-3:先生が、無意味に厳しい。

先生が、無意味に厳しい理由を伝えるとともに、その子供のレベルから、親の判断でそれは受容できるかどうか、を、親なりの判断で、丸を上げたり、褒めて上げたりすればよいのです。

例えば、テストで、「紙を  」とでて、埋める場合に、『Cut』と書いている場合、理解できていること、白紙で出さなかったことを褒めます。その後、日本語では、「切る」と言って書くんだということは、教えます。今はできなくても、後でできるように、時折、聞き返し、書いてもらいます。

白紙で出した場合は、どういう言葉が入ると思うか、口頭で聞き出します。字が読めないというのであれば、そこから一緒に調べて学びます。一緒に学んだことを褒めます。覚えていなくてよいのです。何回もやっているうちに覚えます。忘れる回数の分だけ記憶は深くなるものです。(笑)

何回も同じ漢字を書くのは、脳に叩き込むためには、有意義なのかもしれませんが、ある意味「苦痛」です。殆どの場合、学びに「苦痛」は、邪魔者です。楽しく学ぶためにも、日本の小学生がしているようなことをする必要性があるかどうか、を子供の我慢強さ、好みに合わせて変えることで、学びを続けることができるコツです。

間違った問題は、学びのチャンスと捉えて、親子共々前向きに捉えるようにしましょう。

対応策3-4:読み書きに抵抗がある。

書くのが苦手でも、読むのが好き。なら、レベルに合った本を一緒に読む。役割を決めて劇にする。もし、主人公が、実は勇気のない人だったら、どうなったか。。。等々設定を変えると、この話はどうなるか、などいろいろできることがあります。

読むのも書くのも苦手でも、聞くのがすき。では、音読とともに、伴読(いわゆる、シャドウウィングをする。漢字にふりがなを振っているものを、文字を指で追いながら読む。さらに、時々質問したり、豆知識を入れる。

この「たんけん」ってどういう意味かわかる?
探検か、短剣かで意味が違うんだよ。

たんけんを見つける
たんけんを始める

また、面白くない単元は、親が、子供が興味を持っていることを含めておもしろおかしくすることで、面白い単元に変える。などなど、親の工夫はいります。

こういうことは、現地校の読解や、文脈から理解する、ということ、また、子供の知識、興味を増やす、という観点からも、よいのです。語彙もどんどんこれらの方法で増えて行きます。

ちなみに、日本語の読み書きは、現地語の読み書きと同じレベルは求めなくても、理解力は求めてよいのです。ただ、はいはい、と聞かすのではなく、理解しているか、を確認するのを、楽しくやっていくことは、現地校の学業にもよりよい影響はあるものです。

バイリンガルの子供は賢い、ということをよく聞きますが、これは、もちろん、もともとの賢さはあるでしょうが、それ以上にバイリンガルにするために、どれだけ工夫して、親が子供にどれだけ寄り添い、向き合っているか、ということもかなり影響しているように感じます

いかに、子供の興味を引き出すか、子供の理解を確認するか、いかに子供からのアウトプットを否定することなく引き出すか、ということは、親子関係をよりよくするのにも、子供の学業に対する取り組みにも、いいことばかりです。

壁4:日本語教室で友達と現地語で話す。兄弟同士では、現地語で話す。

駐在員さんの子供も、補習校が唯一気楽に話せ、学べる場です。そういう場で、下手な日本語を話す子供相手に、我慢して付き合うということも、そうそうしないものですし、期待するのも酷というものです。

対応策4:日本語を使えることに自尊心をもたせる。

子供同士、日本語で話してくれれば、というのは、甘い考えで、子どもたちが日本語で話すくらいであれば、日本語がある程度高いレベルになっていないと、駐在員さんの子どもたちとも話せないのです…。その上、週に一回程度ですと、気の合う友達というのも、相当ラッキーじゃないと作れませんし、母国語の方が会話が楽なので、どうしても、母国語での会話になります。相当の強い意志、日本語に対する誇り、または、向上心を持っていない限り、子供同士で日本語での会話を求めるのは、難しいのです。

兄弟姉妹どうしでは、最初の子供の習慣づけと、日本語に対する誇りをもたせることができたか否か、で変わってきます。兄弟同士が母国語で話す事自体、特段悪いこととは思えません。双方現地語で話していても、日本語を話すときには話していればよいので、あまり、ガチガチにして自由と意欲を奪うのは、逆効果ではないかと思われます。

最初の子供が、家では日本語、と決めておいてそれでできているなら、それに下の子も続かせる可能性を大きく持つことはできますが、忘れては行けないのは、母国語の成長。母国語のレベルが高ければ、第二外国語のレベルも、学べば必ず高くなります。が、母国語のレベルが低いと、第二外国語のレベルにも影響がでますので、そこは、母国語中心の中に、日本語の時間を作って伸ばしていく、ということで良いように思います。

もちろん、もともと賢い子供は、何をやらせても、そつなくこなすということはありますが、そうでない場合も当然あるわけです。家庭のバランスは、その子供の資質と興味でバランスよく、皆が心地よくいられるようにそれぞれがとっていくしかないのです。

これは、日本語を使えることでいかに楽しい体験ができるか、日本語をものにすることへの意欲等々で変えていけばよいのです。

難しいのは、子供どうしの関係、ひとりひとりの意欲、タイプによって変わっていくこと、それに、もう片方の親の理解も加わってくるので、こればかりは、各家庭の状況に合わせて、家族全体が納得する形を、日々模索するしかないように思われます。

他にもあるかと思います。もしよかったら

fly.with.wind.note@gmail.com

こちらまでメールいただけたら、今後のNoteの記事で私の考えを書いていこうと思います。返信も時間のあるときにさせていただきます。もちろん、頂いたご質問に、個人情報は公開いたしません。

次は、9歳くらいまでの語彙の増やし方を書いていこうと思います。

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