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2022年フェイバリット・フィルムズ

 新型コロナウイルス感染症の猛威は衰えることを知らないし、その時点ではたかだかひとりの国会議員ではあるものの、首相経験者が、呆気ないほどに容易く殺害されてしまうのだから、底が抜けてしまったような恐ろしさを感じる。ふとヨーロッパに目を向ければ、武器を取り合う両国の為政者は、(正しいとか正しくないとかはべつに)それぞれにきな臭い連中ばかりだし、それは日本の岸田某も例外ではない。ことによると、政治家であることの条件は、きな臭さなのかと思われさえする。そのきな臭さは、紛れもなく政治的祭典にすぎないサッカーワールドカップにも陰を落としているが、そのことに言及しようとしない日本国メディアの自堕落さもまた、底の抜けた恐ろしさといえるだろう。
 私自身は、年度はじめにコロナに罹り、その後、体調は大きく崩してはいないものの、暗いムードの影響か、決して万全を自覚することはないまま年を終えようとしている。映画を見る本数は年々減りつつあり、見た映画より見逃がした映画、見られない映画のほうがよっぽど多いのだから、ここに挙げようとする映画が2022年を代表することなどありはしない。
 そして今年この世を去った多くの映画人のことを考えずにはおれない。
 青山真治 Shinji Aoyama 、ジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godard 、ジャン=マリー・ストローブ Jean-Marie Straub 、吉田喜重 Yoshishige Yoshida の不在は、今後ますます大きなものになっていくことは間違いない。

[2022年FAVORITE]
『ゼロズ・アンド・ワンズ』(アベル・フェラーラ)
『クライ・マッチョ』(クリント・イーストウッド)
『Actually…』(黒沢清)
『アネット』(レオス・カラックス)
『オフィサー・アンド・スパイ』(ロマン・ポランスキー)
『あなたの顔の前で』(ホン・サンス)
『ドン・ジュアン』(セルジュ・ボゾン)
『グリーン・ナイト』(デヴィッド・ロウリー)
『にわのすなば GARDEN SANDBOX』(黒川幸則)
『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱)
プラスワン「アメリカ映画史上の女性先駆者たち」

 ここでは、劇場で公開されていない2作品について触れておこうと思う。
 アベル・フェラーラ Abel Ferrara 監督の『ゼロズ・アンド・ワンズ』(Zeros and Ones, 2021)については、すでにnoteで記事にしている。そちらのリンクを貼っておこうと思う。

 私は、フェラーラの作品については、とりわけ『キング・オブ・ニューヨーク』(King of New York, 1990)や『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(Bad Lieutenant, 1992)、『ボディ・スナッチャーズ』(Body Snatchers, 1993)といった1990年代の作品を好んでいるが、近年も刺激的な作品を撮っていることは特筆すべきだ。近年は一般公開から遠のいているので、どこかまとめて公開する会社はないだろうか。(2022年も新作をヴェネツィア国際映画祭に出品している多作ぶりなのだ。)
 黒沢清 Kiyoshi Kurosawa 監督の『Actually…』(Actually…, 2022)は、乃木坂46 Nogizaka46 の同題の楽曲のMVとして制作された20分ほどの作品だが、メインキャストを齋藤飛鳥 Asuka Saito と山下美月 Mizuki Yamashita 、そしてこの楽曲でセンター・ポジションを務める加入まもない新人・中西アルノ Aruno Nakanishi に限定し、人物の動きと台詞の発声にすべてを賭けた映画だ。(ところで映画好きだという中西アルノは黒沢清のディレクションを受けたことをどう思ったのだろうか。)映画内でのやり取りが現実に起きた中西アルノ自身をめぐる一連の騒動(私個人の目にはほとんどどうでもいいことばかりに見えるのだが)を思わせるということもあってか、通例とされるYouTubeでのMVの公開は取り止められ、先に挙げた齋藤飛鳥と山下美月のふたりがセンター・ポジションを務める別バージョンのMVが撮りなおされることになった(こちらは黒沢清は関与していない)。黒沢清は令和日本においてもいまだ「呪われた作家」だというのかと驚かされるが、本人曰く「濱口竜介のスタイル」でさらりと撮り上げてしまう若々しさにもまた驚かされもする。

 プラスワンについても触れておこう。シネマヴェーラ渋谷が企画した「アメリカ映画史上の女性先駆者たち」は、特に女性映画監督の作品を中心に集めた特集上映で、2022年に、10年に一度行われるSight & Sound誌のオールタイム・ベスト選出企画でも批評家部門で第1位になったシャンタル・アケルマン Chantal Akerman 監督のような、戦後のしかもヨーロッパの作品に多く注目が集まる女性映画監督の活躍だが、戦前の合衆国でもその活躍があったことを確認できる稀有な機会だった。とりわけドロシー・アーズナー Dorothy Arzner 監督の作品に複数触れられたのは本当に嬉しかったし、こちらは戦後ではあるが、アイダ・ルピノ Ida Lupino の未見の監督作についても多く観ることができ、大変な感銘を受けた。

 2023年は、個人的に最も関心の高いプレ=コード期の映画について多少の記事が書けるようにしたいと思っているが、今私が思い描いていることがはたしてものになるかどうか、さっぱり見当がつかない。今はいくつかの書籍や論文をあたりつつ、プレ=コード期の映画を見続けている。

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