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ダイナミズムと適確さ、またはカーク・ダグラスはなぜリッカルド・フレーダを怖れたか――リッカルド・フレーダ監督『剣闘士スパルタカス』(Spartaco,1953)

 移民の子として貧民街に暮らしたカーク・ダグラスKirk Douglasは、1960年に自らが主演と製作総指揮を兼ねる形で『スパルタカス』(Spartacus,1960)を製作する。この映画でハリウッド・テンHollywood Tenのひとりとして赤狩りの影響で排斥された脚本家ダルトン・トランボDalton Trumboを起用することで彼の表舞台への復帰を援助したり、当初監督にアンソニー・マンAnthony Mannを起用したりするなど、ハリウッド・フィフティーズに浅からぬ因縁を抱えることとなるこの作品はしかし、マンとカーク・ダグラスとの衝突によりマンが解任され、新たな才能を呼び寄せることとなる。のちに『2001年宇宙の旅』(2001:A Space Odyssey,1968)などのいわゆる「名作」を連発することになるスタンリー・キューブリックStanley Kubrickがその人であるが、当時のキューブリックは、低予算映画を何本か手掛けただけの若手にすぎない(ところで私個人はその「低予算映画」をより好む)。あるいはトランボの脚本も、製作の過程で何人もの筆が入ることとなり、また、製作現場に関与することを禁じられ、ハリウッド・フィフティーズはここでも不幸な事態に遭遇することを避けられない。いずれにせよ、カーク・ダグラスは並々ならぬ思いで『スパルタカス』の製作に臨むこととなる。

 カーク・ダグラスはかくして『スパルタカス』の製作を終えようとするとき、ひとつの映画がすでに存在することに驚愕することになる。『スパルタカス』が作られること7年前、遠くイタリアの地で、ひとりの映画監督によって同じスパルタカスを題材に映画が撮られていたことを知ることになったのだが、おそらく彼はその映画を観たのだろう。合衆国の市場からその映画を抹殺させることにする。『剣闘士スパルタカス』(Spartaco,1953)というリッカルド・フレーダRiccardo Freda監督によって撮られたこの映画は、それ以来ひとびとの視界から遠ざけられることになる。ところでリッカルド・フレーダ監督といえば、ジャッロ映画の祖のひとりであり、ソード&サンダル(あるいはペプラム)映画、いわゆるマカロニ・ウエスタンと呼ばれもするイタリア製西部劇といったイタリア的娯楽映画で縦横無尽に活躍した人物であるが、いまや誰も記憶していない名前かも知れない。

 時はローマ帝国がその権勢をふるい大国として君臨する時代。ローマに対抗するトルキア人により通行の禁止された道を通ろうとしたローマの部隊長が、トルキア人のひとりを刺し殺す。その事態に激昂し反抗を試みた殺された男の娘(リュドミラ・チェリーナLudmilla Tchérina)と、部隊長を叱責し殴ったマッシモ・ジロッティMassimo Girotti演じるスパルタカスは、ともに奴隷に身を堕とすこととなる。この後、映画は、マッシモ・ジロッティが先導する奴隷解放と、彼がリュドミラ・チェリーナと帝国の権力者クラッスス(カルロ・ニンキCarlo Ninchi)の娘サビーナ(ジャンナ・マリア・カナーレGianna Maria Canale)の間で演じることとなるメロドラマとが同時に展開されることとなる。日本で観られるソフトは英語版の短縮版しかないが(ちなみに画質もよくはない)、展開の理解に苦しむことはなく、そのいっぽうで70分少々というランタイムの短さは、物語る画面の適確さをじゅうぶんに示しているといってよい。
 その上で画面のアイデアの豊富さと、そのダイナミズムに注目せねばなるまい。マッシモ・ジロッティが先導し奴隷たちが一斉蜂起する場面では、奴隷たちはその手に松明を握って帝国の兵隊たちと戦うこととなる。陰影の濃い画面に火花が飛び散る様子は、鮮烈な印象を残す。マリオ・バーヴァMario Bavaが撮影を手掛けたライオンとの格闘シーンもそのひとつといってよいだろう。そしてその画面は、ダイナミックな仰角のキャメラポジションやクレーンショットを基調とし、しかもそれをスタンダードの画面サイズに素晴らしい構図で収まっている。たとえば追跡シーンの画面の連鎖は、ほとんど最良の西部劇といってよい(ところで、以前記事にしたヴィットリオ・コッタファーヴィVittorio Cottafavi監督の作品でも指摘しうるように、同じあるしゅの「時代劇」である古代史劇映画と西部劇は、その優れた作品同士が接近するという事態に気づかされるだろう)。この優れた作品を成立させたリッカルド・フレーダ監督の作品は、今回取り上げた『剣闘士スパルタカス』を含めても、片手で数え切れるくらいしか日本版のソフトのリリースがない。リッカルド・フレーダ監督の全貌はいまだ21世紀の日本において曝されてはいない。


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