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2021年フェイバリット・フィルムズ

 2022年を迎えるにあたり、昨年一年を振り返ってみたい。
 2021年という年は、世界的には2020年初頭から続く新型コロナウイルス感染症に苦しめられた一年であり、度重なる「変異株」とやらの出現により、いまなお終息を見通せない状況下にある。日本という国では、オリンピック及びパラリンピックが開催され、それなりのひとびとの関心を集めたようだが、わたし自身は、あの愚かな祭典にささやかな関心ひとつ抱くことはできなかった(ひとついいそえておくと、わたしはスポーツ選手――ここに種目や競技による区別はない――と呼ばれるひとびとには、少なくない敬意を抱いている)。
 わたし個人はというと、年頭に住まいを移し、まさにそのオリンピックとやらが開催される前後に、3週間にわたる入院を迫られた。あの感染症のためではなかったが、この入院と手術により、右目はじゅうぶんにものを捉えることができなくなり、現在は専ら左目にその機能を委ねている。その後も体調を崩すこともあったが、なんとか生き延びることができたというところだろうか。そのようにしてわたしは20代最後の一年をすごし、先日30歳を迎えることになった。
 かくもさまざまなことがあった一年であるが、シネフィルあるいはムーヴィー・ゴアなるひとびとの関心は、その年のベストないしフェイバリットを挙げる試みだろう(わたしはシネフィルでもムーヴィー・ゴアでもないが)。とはいえ先に書いた通り、わたしは自身の体調や身体機能の失調、あるいは新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、映画館に足を運ぶ機会がぐっと少なくなった。たぶんこの傾向は2022年以降も続くのだろう。そのような身でありながら「ベスト」などというものは挙げようもない。だから、あくまでわたし個人の「フェイバリット」として書きつけておこうと思う。

[2021年FAVORITE(公開順)]
『水を抱く女』(クリスティアン・ペッツォルト)
『楽園への道の上で』(ジェームズ・ベニング)
『こどもが映画をつくるとき』(井口奈己)
『アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ』(ラドゥ・ジュデ)
『見上げた空に何が見える?』(アレクサンドレ・コベリゼ)
『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』(トッド・ヘインズ)
『愛のまなざしを』(万田邦敏)
『偶然と想像』(濱口竜介)
プラスワン「オスカー・フィッシンガー、初期モーショングラフィクスとヴィジュアル・ミュージック」

 たぶんフレデリック・ワイズマンFrederick Wiseman監督による『ボストン市庁舎』(City Hall,2020)を観れば、上のリストに真っ先に書きつけることになったのではないかと思うが、目の手術に伴い、長時間スクリーンを見つめることが、かなりきついことになってしまった。4時間を超えるワイズマンの作品をひといきにスクリーンで観ることはとても難しいのだ。

 さて、2021年のリストに触れておこうと思う。振り返ると、ベルリン国際映画祭に関係する作品の存在感が高いことに我ながら驚かされる。2020年のコンペティション部門に出品された『水を抱く女』(Undine,2020)を撮ったクリスティアン・ペッツォルトChristian Petzold監督は、現在の映画シーンでもっとも注目に足る作品を撮る作家のひとりといってさしつかえないように思う。いっぽうでラドゥ・ジュデRadu Jude監督による『アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ』(Bad Luck Banging or Loony Porn,2021)は、2021年のベルリン国際映画祭で最優秀作品賞である金熊賞に輝いた作品だが、ラドゥ・ジュデ監督は、フィクションにおいても画面上に表象されるもののドキュメント性というべきものにきわめて自覚的に思える。この作品は「コロナ禍」を映した、現状もっとも優れた作品のひとつであり、「コロナ禍」をはじめとし、性差別、人種差別、家庭・教育問題、歴史修正主義などの現在の実際の「問題」を、ポルノグラフィをとおして描くというユニークな獣道を歩んでいる。今年もっともすばらしい作品のひとつであることは疑いようもない。
『アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ』と同じく2021年のベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品された作品ふたつにも簡単に触れておこう。濱口竜介Ryusuke Hamaguchi監督の『偶然と想像』(Wheel of Fortune and Fantasy,2021)は、審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞しているが、今年カンヌ国際映画祭に出品され複数の賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』(Drive My Car,2021)より遥かに素晴らしい(『ドライブ・マイ・カー』は目下さまざまな映画雑誌や映画賞で注目されているが、なぜ『偶然と想像』への注目度はそれに劣るのだろうか)。現在日本では映画館で上映中なので、未見であればすぐに駆けつけていただきたい。また、『見上げた空に何が見える?』(What Do We See When We Look at the Sky?,2021)は、2021年の東京フィルメックスのコンペティション部門にも出品された作品であり、150分という長尺が気にならぬ優れた作品なのだが、この作品はアレクサンドレ・コベリゼAlexandre Koberidze監督にとって2作目の長篇にすぎないということにも驚かされる。グルジア(今はジョージアというのだったか)にはまだまだ知られざる才能が眠っているというのか。
 ところでここで東京フィルメックスの話題が出たが、2020年のフィルメックスで上映された万田邦敏Kunitoshi Manda監督の『愛のまなざしを』(Love Mooning,2020)が2021年一般公開されたが、おそらく2021年で公開された日本映画でもっともすばらしい作品のひとつではないか。アクションが映画を作るという確信のもと撮られる映画のいかに少ないことか。もちろんこれは単に役者が画面上で動くことのみをいっているのではない。役者の動きをどのような画面で捉えるのか、それをどのように連鎖させるのかという問題にほかならない。

「#Me too」とか「女性活躍社会」とかそんなこととはいっさい関係なく、しかしすばらしい女性映画作家が、ただ女性という理由だけで不当な無視をされているような状況があるのだとすれば、それは一刻も早く打破されてしかるべきと思うが、子どもたちが映画を撮るワークショップのドキュメンタリーである『こどもが映画をつくるとき』(When Kids Make Movies,2021)は、日本の才能豊かな女性映画作家のひとりである井口奈己Nami Iguchi監督によって撮られ、わずかな期間YouTubeで無料公開された作品なのだが、子どもたちは映画を撮るという行為を厳しい労働ではなくあくまで遊戯として楽しんでいるように見える。この真剣に遊戯する子どもたちを観ているだけでも楽しいが、時折はっとするようなショットや会話が紛れ込んでもいる。
 同じく自宅での鑑賞となったジェームズ・ベニングJames Benning監督の『楽園への道の上で』(On Paradise Road,2020)にも触れたい。ジェームズ・ベニングの風景映画は、何も変化がないように見える風景が、風が吹いたり画面外から車や飛行機が現れたりすることでもたらされる――われわれが一般に映画を観たり日常生活を送ったりする中においても見過ごしがちな――視覚的・聴覚的変化による驚きに満ちた作品と考えているが、本作は「コロナ禍」中のため、ベニングの自宅内で撮られている。ベニングは何を撮っているというのか。それはとりもなおさず「時間」にほかならぬ。変貌することのない風景には、時計や映画が映っており、不変の中でもなお時間が流れていることが常に示されている。それは、これまでの風景映画の視覚的・聴覚的変化による驚きが、時間の経過の中でもたらす時=空間の裂け目のようなものであったと思うと、屋内という外的要因による視覚的・聴覚的変化による驚きが起こりようのない時=空間において、そのような驚きを発見する試みであったといってよいかもしれぬ。ベニングは、オンライン上で特集上映が組まれ、その他複数の作品を観ることができ、大いに刺激を受けた。
 トッド・ヘインズTodd Haynes監督の『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』(The Velvet Underground,2021)にも触れたい。ルー・リードLou Reedのバックグラウンドを導入に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドThe Velvet Undergroundとその周辺のアートシーンを豊かな画面と音響でコラージュして描く。ここでは、アンディ・ウォーホルAndy Warholはいわずもがな、ジョナス・メカスJonas Mekas(映画は彼に捧げられている)、ジャック・スミスJack Smithそしてバーバラ・ルービンBarbara Rubinの名前も召喚される。単に好みというだけであれば、今年もっとも好きな映画のひとつである。最高の音楽(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなのだから当然といってよい)、最高の画面(すばらしい実験映画の引用!)で描くこの作品が退屈であろうはずもないが、唯一不満があるとすれば、この作品がスクリーンにかからず、Apple TVの配信によってのみしか観られぬという事実である。
 最後に、プラスワンで挙げた「オスカー・フィッシンガー、初期モーショングラフィクスとヴィジュアル・ミュージック」は、「第13回恵比寿映像祭 映像の気持ち」の上映プログラムである。恵比寿映像祭は、日本ではなかなか観られない実験映画を観ることができる有意義な機会だが、オスカー・フィッシンガーOskar Fischingerやノーマン・マクラレンNorman McLarenらの作品をスクリーンで観ることができたのは本当に嬉しいことだった。個人的には、フィッシンガーの作品はすべて観たいが、その中で殊に愛する『モーション・ペインティングNo.1』(Motion Painting No.1,1947)がスクリーンで観られたら嬉しいと思う。

 なお、本来ならば挙げるべき小森はるかHaruka Komori・瀬尾夏美Natsumi Seo共同監督の『二重のまち/交代地のうたを編む』(Double Layered Town / Making a Song to Replace Our Positions,2020)とホン・サンスHong Sang Soo監督の『逃げた女』(The Woman Who Ran,2020)は、昨年のリストに挙げているので、ここでは見送った(前者は恵比寿映像祭、後者は東京フィルメックスで鑑賞した)。
 2022年は年初からクリント・イーストウッドClint Eastwood監督やウェス・アンダーソンWes Anderson監督、スティーヴン・スピルバーグSteven Spielberg監督、アピチャッポン・ウィーラセタクンApichatpong Weerasethakul監督らの作品の公開が予定されているし、レオス・カラックスLeos Carax監督の新作も間もなくである。もちろんオンラインでもすばらしい出会いがあることに期待したい。

 また2021年における古典映画での最大の発見は、ヴィットリオ・コッタファーヴィVittorio Cottafavi監督の作品だった。これは過去にnoteにまとめたので、リンクのみ貼らせていただく。


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