ヴィットリオ・コッタファーヴィ監督による「古代史劇映画」についての覚書
われわれは、ヴィットリオ・コッタファーヴィVittorio Cottafaviと呼ばれるひとりのイタリア人について、ほとんど何も知ってはいない。なるほど確かに少しGoogleで検索すれば、ヴィットリオ・コッタファーヴィなる人物が王立陸軍の将校の息子という金銭的にも社会的身分の上でも恵まれた家系に属することはすぐに明らかになるだろう。だがそのことは、この人物を語る上でさしたる意味を持ってはいないと思う。終戦間近のイタリアで映画監督として表舞台に登場することとなるこの人物は、それ以前に、たとえばヴィットリオ・デ・シーカVittorio De Sicaの作品で助監督を務めてもいる。実際、私は観ることができてはいないが、コッタファーヴィの処女作にはデ・シーカが主演してさえいるから、彼らの間には友好的な関係があったことだろう。そうだ。今から語ろうとしているのは、決してすべての作品に目を通したわけではない、ある映画作家についてなのだ。しかもそのキャリアにおいては、後半期と呼んで差し支えないであろう一時期、テレビ映画を多く手掛けはじめ、スクリーンに映写される映画との関係が希薄になりはじめる時期にまとまって撮られた一群のいわゆる「古代史劇映画」についてなのだ。
『剣闘士の反逆』(La rivolta dei gladiatori,1958)
ヴィットリオ・コッタファーヴィは、1958年、はじめていわゆる「古代史劇映画」を手掛けることになる。『剣闘士の反逆』(La rivolta dei gladiatori,1958)と呼ばれるこの美しい作品は、ある瞬間にハワード・ホークスHoward Hawks監督の作品の最良の瞬間に、またある瞬間にはジョン・フォードJohn Ford監督の作品の最良の瞬間に接しさえする、真に傑作というべき作品であるが、シネマスコープで捉えられたカラーの画面がまず大変に素晴らしい。ところで、コッタファーヴィ監督は、私が観ることができたなかでも、『リラの死刑執行人-ミレディの冒険的人生-』(Il boia di Lilla - La vita avventurosa di Milady,1952)という、アレクサンドル・デュマAlexandre Dumasの『三銃士』(Les Trois Mousquetaires,1844)をミレディ・ド・ウィンターMilady de Winterの視点から語った大変な傑作をモノクロ・スタンダードにおいてものにしている。
『剣闘士の反逆』は、古代史劇ならではの小道具の、あるいは豊かで喚起的な色彩の、そしてなにより登場人物の活劇的というほかない身振りの舞踏とでもいうべき作品であり、荘厳ささえ帯びているだろう。
たとえばラファエル・カルヴォRafael Calvoが牢獄に捕えられたエットレ・マンニEttore Manniを救い出すシークエンスの、小気味よい寡黙なアクションの連続とそのシークエンスの最後の抒情のほどよい湿りは、単に「良質な娯楽映画」というものを超え、映画がもつ根源的な輝きをたたえているといってよい。
『クレオパトラ』(Le legioni di Cleopatra,1959)
続いてコッタファーヴィ監督は、『クレオパトラ』(Le legioni di Cleopatra,1959)を手掛けることになる。先に手掛けた『剣闘士の反逆』と同様、コッタファーヴィの手腕は快調というほかない。実際、冒頭から海岸を舞台に馬上で剣を交え弓矢を射る活劇的な場面から始まり、映画はいっさい静止しない。ここまで観てきて、コッタファーヴィの映画とは止まることをしない、絶対的なまでに活劇的というか、動く画=モーション・ピクチャーであることでゆたかな映画的「世界」というべきものの魅惑をたたえているといってよい。
またこの映画は、先に挙げた『リラの死刑執行人-ミレディの冒険的人生-』のあるしゅの姉妹篇のようにも思われる。
その理由のひとつは女性像の多面性とでもいうべきものである。『リラの死刑執行人』におけるミレディ・ド・ウィンターが、ハリウッド的ファム・ファタールのような男を手玉に取るような人物像に見えつつも、その実必ずしも環境に恵まれなかった彼女がそのような選択を取らざるをえなかった、たくましく人生なるものを送る手段としていくぶんの同情的な眼差しをこめつつ描いていることは、注目に価するように思う。『クレオパトラ』においても事態は同様で、クレオパトラCleopatraの政治的人物像と、男性を慕う女性的人物像とが互いを浸食しあうような複雑な人物を描いており、クレオパトラを演じるリンダ・クリスタルLinda Cristalがそれに見合う演じぶりかどうかというと首肯しかねるが、たとえばオクタヴィアヌスOctavianusとの面会場面でのライティングなど、そのような複雑な人物を描くことに貢献しているといってよいのではないかと思う。
また、『リラの死刑執行人』がミレディ・ド・ウィンターの視点から『三銃士』を語り直していたように、『クレオパトラ』もまた、エットレ・マンニ演じる、争いを未然に防止しようとするフィクションの人物であるクリディオの視点からアントニウス=クレオパトラAntonius=Cleopatra連合軍とオクタヴィアヌスとの闘いとそれによるローマ帝国建国を語り直すものであったといえる。ある物語を正面切って描くというよりは、第三の視座というべき目線からの語り直しという側面がある。
『美しき女帝メッサリーナ』(Messalina Venere imperatrice,1960)
そのように女性を描くことに長けるヴィットリオ・コッタファーヴィ監督が、いよいよ古代史劇映画で女性を中心にした映画を撮ることになる。『美しき女帝メッサリーナ』(Messalina Venere imperatrice,1960)は、まさに歴史上に残る悪女として知られるメッサリーナMessalinaなる女性を中心に据えた映画で、冒頭のカリギュラCaligula暗殺を描いた画面がまず素晴らしい。白の石段の上の月桂樹の冠を捉えた画面の右上には何者かの手が伸びている。そこに真赤な血がどろりと画面上から流れてくる。その画面にナレーションが被さるが、やや無粋とさえ思えるほど簡潔で見事な画面だ。
その後は、メッサリーナが自身の美貌を武器に、色欲を満たしつつ権勢を誇るさまが描かれることになる。ここでは、これまで描かれてきた複雑な女性像というよりは、自らの欲望に率直な女性像を描いており、そのような女性像というよりは、美しい女性に翻弄される男性たちを描くことに力を注いでいるといってよい。
ここでもコッタファーヴィの映画の画面のゆたかな運動感というべきものは健在であり、およそ止まっているものは存在していない。いや、正確には死んだものを除いてはあらゆるものが動き続けており、画面内のアクションが完結しない、つまりアクションの途中で画面をカットして次の画面に切り替わることで、常に画面の運動感が停滞することなく展開してゆくのだ。
『ヘラクレスの復讐』(La vendetta di Ercole,1960)
いよいよヴィットリオ・コッタファーヴィ監督の一連の古代史劇映画群も終わりに近づこうとしている。コッタファーヴィ監督は、その最後に2本の「ヘラクレスもの」を監督している。『ヘラクレスの復讐』(La vendetta di Ercole,1960)は、日本でも『豪勇ゴライアス』のタイトルで公開された作品で、マーク・フォレストMark Forestなる肉体派を迎えて撮られている。(今回は「日本におけるイタリア年」においてフィルムセンターで開催されたアドリアーノ・アプラAdriano Aprà監修の『イタリア映画大回顧』におけるタイトルに準ずることとする)
冒頭、電子音をバックに、マーク・フォレストが岩場を登ったり下りたりしている。あたりには赤や緑のスモークが焚かれており、サイケデリックなムードが高まる。1960年だから、マリオ・バーヴァMario Bava監督が『血ぬられた墓標』(La Maschera del demonio,1960)を公開させたのと同じ年である。史劇映画のキャメラマンとして、コッタファーヴィやリッカルド・フレーダRiccardo Freda監督らとともにこの「古代史劇映画」の中興の祖というべきバーヴァの単独での監督デビューであり、「ジャッロ」と呼ばれる独創的なホラー映画の誕生までもう間もなくである。やがてマーク・フォレストは、岩肌を命綱なしで地下深くへ降りてゆく。このあたりは肉体派俳優の魅力が炸裂しており、危なげに筋骨隆々とした肉体を震わせながらゆっくりと岩肌を下るさまは、なるほど見応えがある。
さて、地下に降りた先には、2体の化け物が待ち受けている。ほとんど犬みたいなケルベロスと蝙蝠の怪物で、この特撮シーンのチープさというか、編集でどうにか乗り切ってはいるものの技術的限界が否定しがたいシーンではある(だがなんとこの特撮を手掛けているのは、後にダリオ・アルジェントDario Argento監督の『サスペリアPART2』(Profondo Rosso,1975)やリドリー・スコットRidley Scott監督の『エイリアン』(Alian,1979)、スティーヴン・スピルバーグSteven Spielberg監督の『E.T.』(E.T. The Extra-Terrestrial,1982)といった作品を手掛けることとなるカルロ・ランバルディCarlo Rambaldiである)。コッタファーヴィ監督は、ここまでの一連のシークエンスで肉体派俳優マーク・フォレストの魅力を描くと、ヘラクレスの怪物じみた腕力や肉体といったものが、戦闘シーンにおいて輝きを放つといったところから遠ざかろうとする。コッタファーヴィ監督が描くのは、その怪力が、たとえば大木を引き倒すことに使われたり、家の柱を鎖で引き倒すことに使われたりという、神話的というよりむしろ人間的な場面においてである。コッタファーヴィ監督は、ヘラクレスをきわめて人間くさい人物(何という日本語!)として描くことに心を砕いているといってもよいかもしれない。
映画自体はきわめて図式的で、これまで複雑な人物や関係性を描いてきたコッタファーヴィ監督と比べると、とても単純化された作品といってよい。だが、それはこの映画をこれまでの作品と比べて退屈であることを意味してはいない。コッタファーヴィ的活劇的画面といったものは健在であるし、先のケルベロスや蝙蝠の怪物のみならず、ケンタウロスや蛇の穴の拷問、象で踏み潰すという刑罰などの視覚的アイデアも楽しいし、随所のロングのショットも決まっている。映画において重要であるのは題材ではなく、ある題材をいかに処理するかという問題であって、『ヘラクレスの復讐』がきわめて重要な作品であるのは、およそこの題材の処理という点からしてほぼ完璧というほかなく、このような作品、つまり子どもじみた題材を映画的に処理した娯楽映画こそ本当の意味で広く観られるべきという思いを強くさせるからだ。
ところでこの作品は、2004年の第61回ヴェネツィア国際映画祭において開催された「イタリアB級映画の王様たち~イタリア映画の知られざる歴史~」という、クエンティン・タランティーノQuentin Tarantino監督がセレクションした特集上映で上映された1本でもある。このあたりは、さすがにタランティーノ監督のセンスというか、雑食ぶりが光っている。
『アトランティス征服』(Ercole alla conquista di Atlantide,1961)
ヴィットリオ・コッタファーヴィ監督の古代史劇映画の掉尾を飾るのは、前作『ヘラクレスの復讐』と同様に「ヘラクレスもの」である。図式や人物の描きぶりも同様に単純化されたものにすぎない。アイデアも同様に豊富で、爬虫類の怪物や12頭の馬に引かれる馬車、同じ顔をした近衛兵、ウラヌスの血という設定(ところでこの「ウラヌスの血」は明らかにウランひいては核兵器を連想させる描かれ方である。1961年だから、時代は東西冷戦。キューバ危機を翌年に向かえることになる)など、設定や道具立てのみならず、画面のアイデアも大変にゆたかだ。
そしてこのアイデアあふれる古代史劇を、神殿の崩壊という描写でコッタファーヴィは終えることとなる。日光と「ウラヌスの血」が反応し、アトランティスの火山が爆発、激しい噴火と地震により、アトランティスは見るも無残に消滅することとなる。イタリア製古代史劇映画といえば、その歴史のはじまりのひとつを、「ポンペイ」に持っている。1908年に製作されたアルトゥーロ・アンブロージオArturo Ambrosio監督の『ポンペイ最後の日』(Gli ultimi giorni di Pompei,1908)やそのリメイクであるマリオ・カゼリーニMario Caserini監督の同題作品など、「ポンペイ」はイタリア映画の黎明期にあまりに多くの霊感を与えてきた。コッタファーヴィは、このイタリア製史劇映画の原初の記憶に立ち返ろうとする。噴火と地震で逃げまどう人々、激しい災害で消滅する繫栄した都市の姿、「ウラヌスの血」という核兵器のメタファーでアップデートしつつ、コッタファーヴィは原初の記憶に立ち戻ることで、彼自身の古代史劇映画の一連の作品を終えることとなる。
21世紀の日本において、ヴィットリオ・コッタファーヴィなる名前は決して知られてはいない。この不当な無視により、コッタファーヴィの名前は映画史の中に埋没しようとしている。だが、このあまりに優れた活劇監督の存在を視界から遠ざけてはならぬ。なるほど決して高尚な題材などではなかろう。ヨーロッパの一部では、古代史劇を「下品な趣味」とさえしているようだ。だがそのような下品さというか、低俗な題材を真摯にそして才気あふれる手腕によって映画的というほかない輝きをまとわせ魅惑への誘う傑作群を前にこの湧き上る興奮を抑えることなどできるはずがない。
なお、本稿を書くにあたり、日本でヴィットリオ・コッタファーヴィとまともに向き合った唯一の書物といってよかろう、二階堂卓也氏の『剣とサンダルの挽歌』なる労作を参照している。2段組み479頁の大著は目下絶版だが、これもまた「古代史劇映画」への不当な無視によるものだろうか。
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