見出し画像

「意図とは違うことが起こる」(2023年7月)

●7月1日/1st Jul
ヒトは「正しい動機で正しい行動をし」、「間違った動機で間違ったことをする」。それはある意味で原因と結果が直線的な因果法則で結ばれている場合だ。
それに対して、自然界には運動方向に対して90度の方向に働く"プリセッション"という力があるため、直線的な因果関係で物事が進んでいかないことがある。それが未来を予測することを困難にし、物事を計画通りに行かせない要因になったりする。
このプリセッションが働くので、ヒトは「間違った動機から正しいことをする」場合があるし、その逆に「正しい動機から間違ったことをする」ケースもある。だから実際には最低でも四つの因果パターンが混在しているのだろう。
件のパンデミックにもプリセッションが作用しているとすれば、必ず予想しないような90度の副産物が生まれているだろうし、計画したことと90度異なる結果も生まれる。
その結果として何が間違いで、何をが正しいのかを判断するのは一概には出来ないし、本来は相対的な問題でしかないのは言うまでもない。だが、それすらもプリセッションが働くことで、物事の価値判断はより複雑にはなる。
一方で、人間に進化があり得るとすれば、正しい行為というのがプリセッション的な副産物として現れることではなく、正しい動機のもとで意識的に実行されることを通じてしかあり得ない。そのために克服すべきものこそ「無明」なのではないか。

●7月1日/1st Jul
フラーの共鳴テンセグリティを実際に作ってみる経験がどうしても必要だったので、フラーの共同研究者でデザインサイエンティストの梶川さんに教わりながら作ってみた。シナジェティクスという概念を実際に体験として一発で理解するには最適な方法だ。
テンセグリティ構造については世間的には全然理解されていないが、加えて表に出てくる類似の構造はテンセグリティの本質を理解していないように思える。形だけ真似ても意味がないし、その奥にある自然が採用するデザインから学ぶ必要があるのだろう。
テンセグリティがもたらす共鳴のついて興味深い話もいくつも教わったが、なぜそうなるのかのメカニズムはまだまだよく分からないところがある。先に結果があって理論が追いつくのはいつでも後だ。頭よりも先に手が試行錯誤して、身体が経験することの方が研究でも教育でも重要なのだが、そこは軽視されがちだ。

●7月2日/2nd Jul
気がつけば7月に入っていた。ここのところパリが燃えているように、今月くらいからまた世界情勢的に荒れそうな嫌な予感はある。せねばならない目の前のことにフォーカスしがちだが、自分が予期しない角度からの不意打ちに備えておくことも必要だろう。
拙著「まなざしの革命」でもかなりの紙幅を割いて書いたが、本当の感染とは"恐れと怒り"だ。起こった出来事に反射的に反応するでもなく、見ないようにやり過ごすのでもなく、見ながらも簡単に何かを信じないというスタンスが大事になってくるのではないか。

●7月4日/4th Jul
長老との対談本、能勢さんとの身の丈の科学と並行して、ポッドキャストで一年ほど配信していたラジオ、「まなざしの革命放送」を書籍化すべく手を入れている。調べねばならない重たい2冊と比べてこちらは少し軽めに出来る。
今回は原稿は自分で起こしていなくて、編集がある程度入った状態での初見なので随分と新鮮だ。自分が話した内容ではあるが、改めてこんなこと話していたのかと発見が多い。
基本的にはその時に自分がリアルに考えていたことを話していただけだが、文字にするとまた違った手触りになる。人生に意味はあるのか、人には個性が必要なのか、人はなぜ働くのかなど、割と哲学的な内容が多いが、これまでの本よりもエッセイ的な感じで読めるような気がする。

●7月4日/4th Jul
本日の大学院講義のデザインサイエンス特論では、せっかくなので週末に梶川さんのご指導で作ってきた共鳴テンセグリティを見せながら、バックミンスター・フラーの思想と取り組みを解説しようと思ったが、病欠した学生がいたので次週に送ることにした。
バルセロナから帰ってきてからの数年間はフラーの研究をしながら、せっせとスライドを作っていたが、なかなかまとまって話す機会がなかった。なのでちょうど良い機会かと思ったが、フラーの思想や活動はあまりに膨大すぎて、まだ全てをスライドにまとめ切れていない。
ただスライドよりも、実際にテンセグリティを眺めながら色々と話す方が学生にとってもリアルに響くのではないかと。学内にもテンセグリティのような彫刻があるが、おそらくテンセグリティ構造としては成立していないように思える。そのあたりを比較してみるのも面白いかもしれない。

●7月5日/5th Jul
子供たちの純粋な悲しみを拾い上げて、大人たちがプロパガンダの道具にしているのを見るたびに悲しくなる。本当にその子の後の人生を考えるならば、単純化した社会問題を設定して、甘言を弄してそそのかし、その気にさせて拳を振り上げさせるべきではないだろう。
ポッドキャストで配信していた「まなざしの革命放送」の原稿をいま整理しているが、その中に「子供を教育してはならない」という回がある。そこでも述べているのは、子供には大人を否定する特権があるし、大人の嘘を見抜く能力があること。それを大人の常識とやらで鈍らせるようなことなどあってはならない。
もし周りの大人の言うことが本当に正しいのならば、今の社会はもっと素晴らしい場所になっているはずだ。だがなぜそうなっていないのだろうか。それを考える権利が子供にはある。我々はその言葉に真摯に耳を傾けるべきなのに、その子供の声を自分の主張に都合よくすり替えて利用することは、全く正反対の態度ではないか。子供こそ子供扱いしてはいけない。

●7月9日/9th Jul
S地点は電波が届かないので、逆に手と頭と心を使った研究が進む。都市にいると様々な物理的・電磁気的ノイズですぐに思考が中断されるが、森の中の生命たちの声はノイズではなく、思考を進めてくれるエネルギーになる。昨夜はノートを書いていると、森の妖精がような姿をした大きな蛾が網戸に貼り付けて見守ってくれていた。雨の中なので休みに来ていた蜂も大人しくジッとしている。生命について思考するには、生命力が溢れるところにいた方がいいのだ。

●7月11日/11th Jul
後期の講義のために、これまでの「風景進化論」のスライドを一新して「Design Chronicle」へとリメイク中。4回分の追加が出来るので、「Generation」の回の後に、地球環境時代のデザインの話も交えて、自分のこれまでの作品の話も散りばめようかと。
導入部分で拙作「地球の告白」がちょうど当てはまりそうだが、古代から中世にかけても言いたいことがかなり出てきたので、ちょっと頭の生理が必要。原稿を何本も抱えているが、こちらも夏いっぱいで頑張らねば。

●7月11日/11th Jul
今日の講義では、これまでほとんど話したことがないイノベーションの話をしてみた。スティーブ・ジョブズを切り口にしてイノベーターとデザイナーの違いや、ジョブスが影響を受けたホールアースカタログの話から、フラーのダイマクシオンにまで話をつなげる。
造園まで含めた広義の建築分野で教えるのは、一品生産もののデザインの話ばかりだ。それはそれで大切な話ではあるが、宇宙視野で捉えたデザインの話をどこかで伝えたかった。最も効率的で経済的な構造とデザインを模索する自然や宇宙は最も優れた教師。

●7月12日/12th Jul
拙著「まなざしの革命」が、また昨年度の大学入試で使われていたようだ。立命館大学らしく、これで把握しているだけでもう10校は超えたが、毎回著作物使用の許諾でしか出題されたかどうかが分からない。立命館では「広告」の章からの出題のようで、経営学部系の問題集に掲載されるようだ。マーケティングはまなざしのデザインと相性がいいが、この領域でも評価されるのはちょっと嬉しい。

●7月13日/13th Jul
久しぶりに従姉妹のELLIと話す。彼女は小さい頃にソウルから米国に移住して、今はサンフランシスコに住んでいるので滅多に会えないが、近頃はFacebookでコンタクト取れるので、僕らのようなディアスポラな血筋には有難い時代だ。
数日前にアメリカから国際電話が何度か入っていたので、怪しいと思って取らなかったが、どうやら彼女であったことも分かって笑い話に。反面、電話が信用できないような時代でもあるなと。
寝起きから英語だったので、あんまり上手く言葉が出てこなかったが、彼女の息子のJaxonも一緒に映っていたので、初めて挨拶する。7歳で韓国語も出来ないらしく、可愛い英語と知っている数少ない日本語の挨拶がたどたどしくてたまらん。
母のジェネレーションで兄弟がみなアメリカに移住してしまったので、僕らのジェネレーションは韓国語では話さない。日本移住はうちの母くらいなので日本語は皆マイナーな言語のため共通言語がどうしても英語になる、僕の場合は韓国語も中途半端なので、ちょっとブラッシュアップしないと。

●7月14日/14th Jul
個人を名指して批判することには相当な覚悟が必要だ。批判する相手のことは部分的にしか理解していない状態で、何かを結論付けてモノを申してしまうと、引き返せなくなる。その覚悟がないならやたらに誰かを攻撃するべきではないのだろう。
人は変わるし自分も変わる。もし、その人の新たな側面や考え、心情を理解すると、自分の認識もアップデートされるはずだ。その可能性に思い至らずにを勢いに任せて誰かを批判してしまうのは先が見えていない愚かな態度になるだろう。
人間は概して愚かなので、批判すべきはその場その状況で人間がしてしまう愚かさであるが、それを特定の個人に帰着させてしまうことこそ愚かなことになってしまう。

●7月17日/17th Jul
バックミンスター・フラーを仏陀の視点から読み解いているのは、おそらく僕が世界で唯一人ではないかと思う。デザインサイエンス特論の終盤に一気にフラーの全てを紹介する。
学生はこんな話を聞きたいと思ってはいないだろうし、これまでは学生が聞きたい話にはこれまで対機説法として応じて来た。残りの回はこちらから伝えたいことを話す。

●7月18日/18th Jul
今日のデザインサイエンス特論では、フラーの全生涯の変遷をレビューしながら、主要な発明としてどのようなものがあり、その狙いは何だったのかを解説。後半はそのデザインサイエンスの背後にどのような概念と理論体系があるのかを解説する。
フラーを理解するにはひとまず発明品と概念を分けて説明する必要がある。発明品はわかりやすいが、それがなぜ導かれているのかは裏側の概念を理解せねばならない。ただ、今日の授業の感触では、概ね発明品は理解できるが、概念や理論はついてこれてる学生とそうでない学生が見られた。
学生の理解度や持っている知識がどの程度なのかが掴みかねているので、ひとまずそれが分かっただけでも収穫か。フラクタルという言葉すら知らない学生には、シナジェティクスやベクトル平衡体は一回の講義では厳しいことも分かった。ホバーマンモデルの映像も見せたが、どこまで理解していたのか。
おそらく学生の中には、宇宙を動かす原理なんかより、どうすればカッコいいデザインが出来るかとか、プレゼンテーションうまくなれるのかとか、自分の関わるコミュニティや街をいかに他所よりイケてるものにするのかとか、そういうメソッドや必勝パターンが聞きたい人が居るのだろうなと。
そう思うと気が萎えるが、彼らが今の社会を乗り切るメソッドやチープな必勝法に敗れて、この話をもう一度聴きたくなった時に僕はもうそこにいない。だからこの一期一会の中に伝え切る。

●7月20日/20th Jul
あれほどメディアが叩いていたMMT(現代貨幣理論)が、だんだん理解され始めている風潮があるので、潮目が変わってきたのかもしれない。一方で、何かに光が当たると、より影は濃くなる。
拙著「まなざしの革命」の「貨幣」の章は丸々経済のことを書いていて、注釈にしかMMTという言葉は出していないが本文で数行説明している。ただ、その懸念事項は大いにあるので指摘もしておいた。BRICsの新通貨の話も含めてどうなることか。

●7月20日/20th Jul
ちょうど四年前の日経新聞らしい。投稿の直後に上がってくるとはタイムリー。

●7月21日/21st Jul
朝からエジプトの宇宙論の文献に始まり、アリストテレス以降の虹の研究の系譜を一通りデータベース化し、ジョージ・フィールドのメトロクロームと格闘し、スクリャービンの四度堆積和音を理解し、合間に現代システム科学研究科のフレームを作文し、錐体細胞と錯視の関係について確認して、電磁環境のデザインについてディスカッションし、チェキのフィルムの原理について調べて、シャーマニズムの本を掴んで帰り道。隙間が全然ない。

●7月23日/23rd Jul
シャーマニズムについて考えるのには、生命の声が強い森の中の方がいい。パイプを燻らせながら木々や虫や風たちに尋ねていると、環境を学ぶ学生たちにどういうメッセージを持つべきかが見えてきそうだ。
文明のオルタナティブは常に各地で存在し続けている。離散集合としてそれを見せれれば、自ずと今とは全く別の学問体系の必要性に気づく若者も現れるだろう。

●7月24日/24th Jul
もう5年も経つのか。このあと拙作の「地球の告白」で本当にお世話になった。最近会えてないけど、元気に活躍している様子を見るたび嬉しくなる。

●7月24日/24th Jul
教育新聞でのハナムラの連載「現代アートの見方を知れば世界の見方が変わる」の7月の4回分が届く。
第9回は"能動的に関わる"というタイトルで、作品はマリーナ・アブラモビッチの「Rhythm0」。
第10回は"タブーを明らかにする"で作品はアンドレアス・セラーノの「ピスクライスト」。
第11回は"アイデンティティと向き合う"でルイーズ・ブルジョアを取り上げた。
第12回は"言葉にだまされない"で、ピエロ・マンゾーニの「芸術家の糞」の写真。
並べて見返してみると、何とも強烈な作品や作家ばかりを取り上げているなと。これらは決して自分の美意識に基づいてピックアップしたわけではない。むしろなぜこんなモノが作品になるのかという、多くの人が疑問を抱くであろう観点から取り上げている。教育新聞をご購読されている先生方は是非お読みくだされば幸い。

●7月25日/25th Jul
本日で大学院の現代システム科学域の「デザインサイエンス特論」が終了。この研究科の学生は問題解決型の指向性があるので、真理探究型の領域の意味が今ひとつピンと来ていない感じがある。なので、基礎科学がなぜ大事で、それを応用科学にどう繋げるのかを伝えるのにフラーの話は最適だ。
宇宙船地球号、デザインサイエンス革命、ジオデシックス構造、テンセグリティの話から、かつての聖地や教会などのデザインに用いられていた「神聖幾何学」まで繋げて話をする。学外で話すとなれば大金を積んでも聞きたい人は居るだろうが、ピンと来ていない学生たちにはあまり価値がない話なのかもしれない。
ただこんな世界もあることを知っているのとそうでないのとでは、問題解決のスケールが変わってくるであろうかと。フラーの言う多国籍企業の"アブノックス"については、拙著「まなざしの革命」で散々触れたことでもあるので、流石に少し理解し始めていた。
学生の中にはソノケミストリー(超音波化学)専攻の学生がいるので、ベクトル平衡体と多面体モーフィングの話を少し交えた。逆に複素平面での多面体変形の質問が来たので、もう少し突っ込んで話をしても良かったかと。この研究科ではあまりに専門的になりすぎると他の学生がついて来れないのでバランスが難しい。

●7月26日/26th Jul
モエレ沼公園で花火のプロデュースさせていただいたのがもう10年前か。この時は物語花火「モエレ星の伝説」という13000人のインスタレーションを試みたが、本当に色んな方々のお世話になった。あの頃のアーカイブ映像とアニメーションを組み合わせた映像の制作に向けて、素材は全部揃っているが、10年の節目なのでちょっと時間取らねば。

●7月26日/26th Jul
来週のオープンキャンパスに向けてとっても忙しいが、何本もある原稿整理も少しずつでも進めねば。スマナサーラ長老との対談は数万字単位で削らねばならないので、どこを残すかが悩ましいところ。全部大事だし全部面白いので、出来るだけ残す方向で整理したい。

●7月28日/28th Jul
ここ最近、亡くなる人が周りに増えてきた。高齢なので寿命を全うしたという場合が多いが、今生に残された時間というのがどれくらいあるのかは、常人には分からない。だから享楽的になることもあるのも理解はできるが、もし、あとどれくらいか分かっていると心の準備に時間を使うこともできる。どんな過ごし方をしたとしても、最後の瞬間に悔いなく息を引き取れるかが本当に大事だと感じる。

●7月28日/28th Jul
大阪公立大学の社会連携科の枠組みで「ヒトの学校」を本年度の後期にトライアルで始めます。対象は10歳から19歳までのヒトで、ハナムラや参加した他のヒトとの対話を通じて、日常の素朴な疑問を深めたり、常識にまなざしを向けなおしてみる機会になればとの思いです。
月に一度で土曜日の午後に、I-siteなんばで行います。3回で一つのテーマで行います。参加費は無料ですが、出来るだけ3回通して参加してくれる方を優先します。オンライン配信などはありませんし、初回のテーマはオトナは参加頂けません。
10代は小学生から大学生まで含まれていて、物事の善悪や常識や価値観の変化がとても気になる移行期なのだと思います。そんな時に決まりきった大人の常識を押し付けるのではなく、自分で問いを深めていける機会を共有出来ればと思っています。
僕も10代のヒトとじっくり話し合うのは初めてで、何が起こるか分かりませんが、真摯にこちらが学ばせてもらう感じで出来ればと思います。親御さんや先生方で、周りにおられる10代のヒトの中でも、こうした対話に必要性を感じると思い当たる方がおられれば、是非おすすめ下されば幸いです。

●7月29日/29th Jul
ここのところゲーテの色彩論について調べているので、光と色に対してまなざしが向いてしまいがちだが、素晴らしいティンクトゥーラに出会った。夕陽の残光が差し込んでいる箇所と雲に遮られている箇所でくっきりと分かれ、まるでカスパー・ダーヴィッド・フリードリヒの絵画のような光の筋となっている。
虹と同じで、太陽と雲との関係、見る人の位置、時間帯、大気の状態などの条件が重ならないと現れない現象。色温度計や数式で物理的に把握出来ず人間の知覚の中にしか現れない色彩があり、かつての人々はそんな色彩についての感受性がかなり高かった。そういうところから環境問題を考えねば結局また間違えるだろう。身の丈の科学の重要性を改めて意識する。

●7月30日/30th Jul
邪見が最も良くないのは、何を伝えても自分の見方で捻じ曲げて見てしまうので、治しようがないことにある。邪見は邪見を強化してループに入ってしまうので抜けれない。そこから脱出する唯一の方法は、自分が邪見を持っていることに気づくことなのだが、ループに入っていた時間が長いほど気づくのが難しくなる。

●7月30日/30th Jul
本日は経済学研究科の社会人大学院、博士後期課程の合同ゼミ。リーチの人が多くなって来ている。文化的景観、宿坊、歴史的市街地、国際映画祭、ラグジュアリーホテルと研究対象は様々。個別の指導とは別で全体講評としてコメントもする。
その中で、博士論文としての研究の大きなフレームワークを構築出来る能力が問われること、いくら貴重なデータでも羅列では意味がないこと、独自性と新規性は自らが自覚するだけでなく客観的に示す必要があることなどを伝えた。

●7月31日/31st Jul
色彩論について三万字くらい文字が溜まってきたので、赤入れを進める。原稿のチェックは、ある程度書き進めると必ず打ち出して反射光ですることにしているが、こうしないと全体像が俯瞰できない。まなざしと色彩とは切っても切れない関係だが、色彩論は奥が深すぎて何を取り上げないのかが難しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?