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「貧困と豊かさの反転」(2019年11月)

●11月1日/1st Nov
夜明けとともにこれから上海へ。最近ヨーロッパばかりだったので中国大陸へ渡るのは久しぶり。アジアは半年で状況が大きく変わるので、本当は定期的に訪れて見ておかないと把握できない。
二十世紀のアメリカはモダンという文化で世界を席巻した。21世紀の覇権国家は中国が最有力候補だが、普遍的な文化を築けるかどうかが鍵の一つかもしれない。

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●11月3日/3rd Nov
上海の中心部でフィールドワーク。上海は久しぶりだが、数年前とは既に色んなところが大きく変わっている。
一番大きく感じたのは、街が格段に綺麗になっていること。落ちてるゴミとホームレスをほとんど見かけない。EXPOの期間中ということもあり、ライトアップも半端ない規模でされている。
ジェントリフィケーションといえばそうだが、それだけでは片付けられない事情がありそうだ。

上海外国語大学でのシンポジウムで話す。
こちらからの報告だけでなく、中国の産業観光の状況なども聞く。
見かけ上は強烈な資本主義のようだが、やはり大前提として社会主義であるということが、日本とは様々な局面で異なる。
こちらからの話も随分と響いていたようで、僕の本の中国語訳についても申し出があったり、関心を持ってもらえたようで良かった。

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上海外大の前には魯迅公園があるが、物凄い数の高齢者達が日々集まって、学園祭のようにエンジョイしている。
日本では老人の孤独死の話が問題になるが、こちらではこうして社交しているので、あまり問題にならないと戴先生は仰っていた。
集まってとにかく皆で交わって楽しもうとするこのエネルギーの凄さに圧倒されるが、こうした現状をもっと日本人の高齢者が知ればいいのではないかと思うところあった。
ゲーテの像があったので、記念に撮影。

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●11月4日/4th Nov
三十年後の自分のような仙人に連れられて、一緒に百年前の街を闊歩する。まるで杜子春か邯鄲の夢、はたまた壺中天のよう。

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中国の大学を見ると、国家としての教育への力の入れ方に日本とはまるで異なる志を感じる。授業料の優遇や奨学金制度に応える形で、学生達のやる気の半端なさも感じる。
中国の大学生はアルバイトをする事は少ないそうだ。その代わりに勉学に専念する。日曜日にも関わらず、上海外国語大学の図書館と自習室には大勢の学生が勉強していた。
ここの日本語学科だけでも800名近くの、学生がかなりレベルの高い日本語を話す。大学院生が普通に谷崎潤一郎の「春琴抄」とか読んでいるのと聞いて、将来、日本語話者として世界に広がるのは日本人ではなくなるのかもしれないと本気で感じた。

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ファーウェーとアップルが南京东路の向かい合わせにある。現段階を見るか、20年後を見るかによって、商業的にどちらに軍配が上がるかの結果が変わるかも知れない。
それよりも気になるのは、ファーウェーがアップルの美意識を追いかける形で同じようなブランディングされていること。中国あるいは東洋独自の美意識を打ち立てるのではなく、モダンデザインの延長線上から逃れていないようにも見える。
21世紀の中盤から後半にかけてもこのラインで進むのだろうか。それともこの先、西洋的価値観を乗り越えた新しい美学を打ち立てることが出来るだろうか。

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最近整備が進んだコロンビアサークルはじめ、上海で近年進んだいくつかの商業開発をフィールドワークする。権利関係や法規がグレーな部分もあるので、ゆっくりと進む開発も有れば、店舗がインスタレーションのようにたちまち入れ替わるケースもある。
上海で分散配置型の建物をリノベーションした商業開発が可能なのも、やはり社会主義ゆえの特殊事情が効いていると分析する。
中国では土地の賃借権や使用権は一度手放すと再度入手するのが困難な状況がある。そのため、本来ならば採算的に全て古い建物を壊して大きな箱物をつくるところ、既存のリノベーションという形で用途転換をはかっている。
それ故に奇しくも結果的にヒューマンスケールの気持ちのいい空間が残っている。政治システムの違いがあるので、日本のケースと単純には比較出来なさそうだ。

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色鮮やかな夜の魔都・上海の陰を選んで歩く。開発が進み、見かけ上では光輝き豊かになった上海。その表の顔からは見えない、裏の顔の痕跡を求めて彷徨い歩く。
光を強く当てるほど、陰は濃くなり、闇の深さが浮かび上がる。だが、その闇こそが本当は様々な色彩を帯びている。こうした闇が無くなった時に街は死んでしまうのだろう。
放浪しながら頭にふとよぎる。ひょっとすると僕が愛する上海は、記憶の中にしかないのかも知れないと。敬愛する考古学者のヘンリー・ジョーンズ・Jr.博士がヌルハチを持って逃げ惑った1935年に、上海の闇は既に追いやられることが宿命づけられていたのだろうか。

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●11月6日/6th Nov
先日の撮り残しのカットの撮影が無事に終了。
良い形で世に出るかどうかは不透明だが、ひとまず静かなクランクアップを迎えて良かった。
ようやく髭が剃れるのだが、似合っているという声が結構あるので、剃ろうかどうか考え中...。

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●11月7日/7th Nov
本日は堺市文化芸術審議員として、堺市の山口家住宅へ視察。もちろん外から眺めたことはあったが、中へ入るのは初めて。
国の重要文化財で街中にある町屋で江戸期から続くものはここだけという。空間的には素晴らしいが、使い方にはまだ工夫が出来そうなので、そのあたりを課題としてあげる。
百舌鳥八幡古墳群が世界遺産になったこともあり、連携施設の整備と合わせて、使い方と発信の仕方を総合的に考える必要があるだろう。

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●11月8日/8th Nov
ある写真集に文章を寄稿せねばならないので、この数日は射影幾何学の本を読んでいる。植物を撮影した写真集なのだが、なぜ植物があのような形態をするのかを理解するためには、通常のユークリッド幾何学の範囲で考えていてもたどり着けない。
生命は生命の法則に応じた論理で考えねばならないのだが、射影幾何学はユークリッド空間をべースしながらも、我々のまなざしを全く反転して向けねばならない。
この数年ぐらい神聖幾何学の勉強も密かに続けているが、今のデザイン教育に全く欠けている部分なので、来るべき日のためにしっかり勉強しておく。しかし射影幾何学はかなり専門性が高いので、数学の感覚を取り戻さないと。
写真はロンドンのデートモダンで展示されていたエリアソンのスタディ模型。彼の仕事を単なる美の問題に回収してしまうのは、愚かな見方だ。核心に近づくために芸術をするスタンスであり、そのプロセスの中で作品が生まれてくる。

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●11月9日/9th Nov
ここ数日は少々気が立っていたせいか、身体がかなり緊張していたようだ。今日少しほぐしてもらうと心が随分と軽くなる。
心の緊張が身体の緊張を生み、身体の緊張がまた心の緊張を生む。ということは心の緊張を取るためには身体の緊張をほぐすアプローチが有効か。
全ての失敗は身心の緊張から来ると、ラスペチアで多田先生に教わったが、最近瞑想が足りていないので、明日はしっかりやろう。

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●11月10日/10th Nov
生きとし生けるものが幸せでありますように

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●11月14日/14th Nov
徳島で打ち合わせした帰りの風景。
夕焼けの中、神戸の街が迫ってくる。

●11月16日/16th Nov
本日は午後から2006年度のノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス博士とのセッション。ユヌス博士はバングラデシュの貧しい女性への少額融資の仕組みマイクロクレジットを創始したグラミン銀行の産みの親。その功績でノーベル平和賞を受賞した。
今回の博士の来日に合わせて京都のインパクトハブにて「ユヌス博士と語り合うわたしたち高校生の未来」という会が設けられ、そのファシリテーションとして呼ばれた。
二ヶ月半前に急遽決まったこの企画。僕は以前にバングラデシュで作った作品のこともあり、京大の塩瀬先生からお声がけ頂いた。京都の高校生がユヌス博士と貧困について語り合う会で何かアイデアないかと問われ、晴天の霹靂だったが、そこで僕が思いついたアイデアが、高校生に「貧困」というまなざしを与えて、二ヶ月間毎日「貧困とは?」を考えて、それを投稿しアーカイブするというプログラム。
塩瀬先生には面白い!とその場で採用になったが果たしてやり切れるのか心配だったが、塩瀬先生とインパクトハブの皆さまが上手に導いて下さり、高校生たちも素晴らしいアウトプットを出した。500枚近くの貧困についてのカードには、どの生徒も貧困の仕組みや豊かさの意味について深く哲学している。
プレゼンテーションも素晴らしく、僕らが介入する必要もないぐらいスムーズに会が終了した。ユヌス博士もとても真剣に高校生たちに向き合ってくれた大満足の会となった。
僕個人としても控室でバングラデシュで作った僕の作品の話も共有できたし、終了後に高校生たちに少しだけ「まなざしのデザイン」の話をしてメッセージを投げれた。
終わってから興味津々に集まってきた高校生たちに、大人が作った不公平な今の世界のルールに取り込まれない勇気の大切さを伝える。そしてその武器として「想像力」を鍛えることを伝えた。
奇しくもユヌス博士も最後に「想像力」の重要性を説いたので、その話を芸術から補う形で話をする。僕が考える貧困とは"想像力を奪われる"ことだ。想像した方向へ人間は進んでいく。今の状況への想像力が貧困で、次の状況への想像力が貧困だと、その結果ももちろん貧困になる。だからより良く、より高い理想を常に想像しておくことが大切だ。そんな話を高校生たちに確認のために再び話した。
Today we had a session with Dr. Muhammad Yunus, the 2006 Nobel Peace Prize winner, from the afternoon.
Dr. Yunus is the creator of Grameen Bank, the founder of micro credits, a mechanism for making small loans to poor women in Bangladesh. He received the Nobel Peace Prize for his achievements.
A meeting called “The Future of High School Students Talking with Dr. Yunus” was established at the Impact Hub in Kyoto in conjunction with this visit to Japan, and was called as a facilitation.
This project was decided suddenly two and a half months ago. I had a work I made in Bangladesh before, so I received a voice from Dr. Shiose from Kyoto University. For the program of high school students in Kyoto talked with Dr. Yunus about poverty, he asked me if I had any idea, share it For me it was sudden but I came up the idea with gave the task that the high school student think of "poverty" and wright it and post it in every day for two months.
It is a program that archives thinking about "What is poverty?"
Mr. Shiose was interested in my idea and picked it. However I was worried about whether it could be done completely. But Mr. Shiose and all of the impact hub led me well, and all students created great output. These are deep philosophy about poverty and rich.
The presentation was wonderful and the meeting ended so smoothly that we did not need to intervene. Dr. Yunus was also very satisfied with the high school students.
As an individual also, I was able to share the story of my work made in Bangladesh in the waiting room, and after the end I was able to talk to the high school students about the “design of perspective” and send a message.
I told the high school students who have gathered with interest since the end of the event the importance of courage that is not incorporated into the rules of the unfair world that adults have made. And he told them to train their imagination as a weapon.
Strangely, Dr. Yunus finally explained the importance of "imagination", so I will talk about it in a way that complements the story from art. Real poverty is the loss of imagination. And humans move in the direction of imagination. That's why I told them it was important to always imagine better and higher ideals.

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●11月17日/17th Nov
久しぶりに江之子島文化芸術創造センターで講演。Hospital artの枠組みでの講演だったので、いつものセットから変えて、病院三部作を中心に話した。
それに加えて、7月まで福島の「はじまりの美術館」で展示していた拙作インスタレーション「半透明の福島」の話をする。
この作品は初めて人前で話をしたが、今日のような場ではとても良かった。ある意味で死と記憶をテーマにした作品でもあるので、ターミナルケアという枠組みで理解して頂いたようだった。
来ていた方々は美術の作家に加えて、医療看護関係の方、福祉関係の方が目立ったが、質疑もその関連のものをいくつか頂く。
僕が病院の中で取り組み始めた10年前ぐらいは、まだホスピタルアートなどという領域などなかった。しかし今では随分と増えているようだ。僕もあちこちで話していることが、こうした気運が高まるきっかけになっていたら幸い。
関西は講演が一巡したので、最近話す機会はめっきり減ったが、まだ聞いておられない方もおられるようだ。もういい加減聞き飽きたという声も飛んできそうだが、またお声がかかれば話しても良いかな。

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●11月19日/19th Nov
Wireless Wire Newsでハナムラが連載中の「ネガティブの経済学」に新しい記事を投稿しました。最近取り上げられがちなバックキャスティング思考に対して、「アウトキャスティング思考」という概念を新たに提唱してます。
ご関心ある方は是非。

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●11月20日/20th Nov
本日は跡見学園女子大学で講演のため埼玉は新座まで来た。美学者の要先生からのご依頼。大阪大学CSCD時代に、同じアートユニットだったが、久しぶりにお会いした。
大学教育の中に「まなざしのデザイン」の考え方を取り入れたいので、教員向けに是非ご紹介頂きたいというお願い。それでいつもの講演後の質疑で僕の授業のやり方について少し紹介した。文学部、マネジメント学部、観光コミュニティ学部、心理学部から大勢の教員が聞きにこられていた。
今回は聴衆の中に話を聞いたことのある方が0人で、しかも全員が教員か研究者。具体例と抽象的な理論の調整をしながら話を進めたが、皆さま非常にたくさんのメッセージを受け取ってくれたようで本望。特に笠原学長と曽田副学長は終始激しくうなづいてお聞きになられ、たくさんコメントも頂いた。
私学の女子大学の教育の現状に一石投じられるのかは分からないが、今大学はどこも総じて「学ぶ準備の出来ていない学生」が増えている。そのまなざしをどのように学ぶモードへ切り替えるのかのヒントを少し話した。今日ご参加の先生方の何かの気づきになれば幸い。

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●11月21日/21th Nov
河出書房で出版企画の打ち合わせ。オリンピックスタジアムが目の前に見える会議室だが、出版社の方々は当たり前の風景になっているようだった。ハラリの新刊が数日前に出た所で、これもタイムリー。

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東京で、講演、調査、打ち合わせなどのいくつかのミッションを終えて関西へ戻る。東京駅の新幹線券売機で先程あった出来事。
チケットを買おうとしていたところ、スーツ姿の若い男が近づいてきた。
男「すみません、どちらまで行かれます?」
ハナムラ「新大阪まで」
男「チケットの回数券が余っていて一枚買ってくれませんか?」
ハナムラ「うーん、どうしようかな...」
男「グリーン車も一枚あって普通なら2万円ぐらいするところを、現金だと1万円で譲ります。」
ハナムラ「...」
男はちょっとチャラい普通のサラリーマンのような感じでチケットも見せてきたが、怪しさ満載だったので、
ハナムラ「うーん買いたいけど、現金持ち合わせないので結構です」
と言って窓口に向かった。
窓口でチケットを購入後、JRの窓口の男性に言う。
ハナムラ「先程、券売機付近で怪しい人がチケット売ってましたよ」
窓口の方は少しニヤリとして(というように見えた、というより僕はニヤリを見逃さなかった)
窓口の方「あれね...。買わない方がいいですよ。あれは違法なんです。白髪の男じゃなかったですか?」
ハナムラ「いや、普通のサラリーマン姿でしたが...。」
窓口の方「ありがとうございます。現行犯でないと逮捕出来ないので、なかなか捕まらないんですよ」
ハナムラ「そうですよね、あそこで今売ってますよ」
窓口の人は身を乗り出して向こうを見始めたので、僕はそこをそそくさと立ち去った。
あのスーツの男の行く末も気にはなるが、個人的に面白かったのは、窓口の方のモードが一瞬にして変わってしまったこと。風景異化の瞬間である。
通常の接客モードではない。彼という個人が見えた瞬間だった。
もちろん窓口の彼は仕事の一環として対応したのだろうが、不意を突かれたあの瞬間だけは、職業の仮面が一瞬剥がされたように思える。
しかし、もう少し時間が有れば、あのスーツの男とやりとりしながら、色々と精神分析してみたかったが、残念。
僕は意地悪なので、そんな状況が楽しくて仕方ない。どういう条件を出せば、売るのをやめるのかとか、こちらから逆に交換として何かを売りつけてやればどうなるのか、自分もダフ屋という設定で行けばどうなるか、説得の仕方によっては改心するのかどうか、など妄想は膨らむ...。

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●11月23日/23th Nov
能勢伊勢雄さんに会いに岡山まで。今回が実質今期の最後になるが、ゲーテ形態学、神道形態学に続いては「龍の現象学」として道教へと繋がる。古来からその存在が言われてきた龍というものが一体どういうものなのかを、人間の経験から紐解く。
2000年に尾道市立美術館で能勢さんがキューレーションされた展覧会「龍の國・尾道」の展示内容からスタート。Organixの龍をモチーフにした映像、出口王仁三郎が一筆で書いた大龍図、柴川敏之が尾道の道の舗装を拓本した龍の道プロジェクトなど、龍にまつわる様々な展示が集められた。
その中に写真家石川昌文が撮影した竜巻の連続写真があり、そこから自然現象の中に人々がどのように龍の存在を感じてきたのかを読み解く。竜巻や雲の流れなどの中に、人間の感性が龍の存在を見出してきた。
人間はこうして読み取った自然現象の紋様を、芸術の中に刻みこんできた。それが図象的に豊かに読み取れる作品ほど価値が高い。キリンビールのロゴにいる麒麟も龍の一種だが、いつのヴァージョンからかそのタテガミから尺木紋が失われた。紋様は意味が分からないと単なる飾りだとされてしまう。
蜃気楼という自然現象も龍と関係しており、空中に出現する有り得ない風景に人は龍の国を見る。
到達できない場所への憧憬を抱くようになり、天界の存在や蓬莱山などのイメージが創造されていく。
それらに続く後半のタオイズムの話は、陰陽合一という道教のセントラルドグマに基づいて、様々な美術を読み解いていく。陰陽合一とは男女のまぐわいのことであり、道教美術の読み時には欠かせない補助線。日本では卑猥としてあまり紹介される事がないが、この補助線がないと読み解けない。
僕自身は風水を少しだけかじっているので、自然の形象を陰陽読み解いていく感覚は理解できる。
しかし「道蔵苻」に示されているように、水の流れの中に実際に文字を読むという訓練をすると、さらに道教美術の読み解きや、自然現象の読み解きが豊かになるというのは驚き。古来より人々は本当に自然を「読んで」きたのだろう。
最後はヴァーベラの話につながり、先日、越谷で実物を見てきたばかりなので、再度確認する。終了後はいつものようにお越しなられていたドクターの中山先生に加えて、臨床心理士の五味さんもお越しなられて30分ほど能勢さんも交えて皆で語り合う。
この10日間ほど実は体調が最悪で、立っているのも辛い。そんな中で講演が続いていて休みがまるでない中だが、やはり遥々岡山まで出向いて大正解だった。能勢伊勢雄さんはじめ皆さまに心より感謝を。

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●11月24日/24th Nov
本日は映像のアフレコ。各国の方々に順番にお越し頂き、台詞を入れてもらう。どの言語もその音の流れが本当に美しい。演出をつけながら、皆さんが懸命に読む姿に幾度となく感動した。
僕自身は立っているのもようやくという体調だったが、演出つけている間はずっと元気だった。
音が入ればいよいよ大詰めだが、まだアフレコが一部残っている。本日ご協力頂いた皆様、またご紹介頂いた皆さま、そしてテクニカルのスタッフと寄り添っていただいた皆さまに心より感謝。

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●11月25日/25th Nov
日本空間デザイン協会が発行の「空間デザイン帖 リアル⇄バーチャル」が手元に届いた。
僕も「霧はれて光きたる春」という病院のインスタレーションで見開き1ページ書かせて頂いたが、他の皆さんも空間デザインの事例を掲載されており、どれも素晴らしい。もし書店で見かけられれば是非。

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●11月27日/27th Nov
大阪府立大学の学部後期で受け持っている「地域価値創造論」も三分の一が過ぎた。哲学者の原一樹先生による観光と哲学の講義5回を終えて、今回から実業家の谷垣雅之先生へバトンタッチ。
前半の原先生の話は観光の理論面や倫理面などをしっかり身につけてもらい、それを踏まえた上で、具体的な実践展開を学生に聞いて欲しかったので、実務の第一線で活躍する谷垣さんを先生としてお呼びした。
谷垣さんは酔虎伝や八剣伝などを始め全国規模で飲食チェーンを展開するマルシェグループの会長だが、当学の大学院で数年前に経済学の博士号を取得された方。今は食への経験を活かして、北海道の北竜町をはじめ、デザイナーの原研哉さんや建築家の隈研吾さんらとともに全国の小さな集落や自治体で様々な地域ブランディング活動の支援に携わっておられる。
事例紹介だけでなく、学生が実際の地域ブランディングへ関わる課題なども盛りだくさんで、学生たちにはとても良い刺激になるのではないかと思っている。最強の布陣を固めて頂いている先生方には心より感謝。

●11月29日/29th Nov
本日は経済学研究科の社会人大学院生の後期の講義「都市文化デザイン演習」。この授業は決まったことを教えるのではなく、どのようにすれば学生がクリエイティブな思考法を学ぶのかを、毎年僕が実験する場にもなっている。
今年は僕のオリジナルワークショップの「DATASCAPE」と、これまでにこの授業でも何度か試した「URBAN DATA STUDIES」を組み合わせた「URBAN DATA SCAPE」をやってみようと。
都市に住む人々は、1800年の世界には3%しか居なかった。それが1900年には14%になり、2020年現在では55%を超えている。このまま行くと2050年には世界人口の70%近くの人々が都市居住者になる。
人が集まる都市とそうでない都市は明確に差が出るだろう。その際にキーワードになるのは、「文化力」だというのが2000年以降の都市論の認識になる。クリエティブで寛容性の高い都市が人を魅きつけるが、文化力はどのように測ればいいのだろうか。
R.フロリダは、都市文化の成熟と人々の寛容性に相関があり、寛容性はゲイとボヘミアンの数で測ることが出来るのではという指標を挙げて、一躍脚光を浴びた。その他、森記念財団はじめ、世界中で都市の総合力を測るインデックス(指標)が様々な形で発表されている。
この演習でもそうした都市の文化力を測るのにどのような指標があり得るのかを、一緒にスタディする。都市の文化を測るための新しい指標を是非見つけられればと思う。
データが実際にないような指標もあり得るかもしれない。その場合はある情報をもとに推定していく。そのためのレッスンとして、物理学者のエンリコ・フェルミが得意とした推定方法を学生たちにトライしてもらう。
「大阪府下にピアノの調律師が何人居るのか」というフェルミ推定では典型的な問題。論理的な根拠を積み上げるプロセスに意味があるが、学生達は苦労しながら取り組んでいた。

●11月30日/30th Nov
半年に一度の博士論文の指導。本日は7名の経済学研究科の博士課程の社会人大学院生が発表した。研究テーマは例によってバラバラ。
“個人による地域の場づくりに関する研究”
“宿坊の研究”
“風景への関わり方に関する研究”
“地域活性化に必要な機能の研究”
“メディアイベントと観光に関する研究”
“都市魅力向上の政策に関する研究”
“フィルムコミッションの国際比較に関する研究”
これだけ見ても、観光・地域創造研究の幅の広さが分かる。当然博士レベルの論文なので、幅広いだけでなく専門的な知見が求められる。これをほぼ初見で的確に指導していかねばならないので、こちらも良い頭のトレーニングになる。
指導する教員では僕が一番若いので、大体最初に僕が口火を切る役なのだが、議論の取っ掛かりが実は最も大事だ。最初の質問でその議論のクオリティが導かれるからだ。全体の構造を掴んで、論理的な矛盾や不足した知見などを即座に分析して、指摘だけでなくどうすればいいのかまで含めて、毎回コメントを返すようにしている。
だから終日、常に頭をシャープにしておかねばならないので、終われば少々疲れる。僕はアートなどをして右脳を使うおかげで、まだバランス取れている方かもしれない。
ただ一方で、感情にまかせて物事を見るよりも、分析的に見る方が、疲れる度合いは少ないというのも事実。
今の時代は自分の見方や個性が大事だというのが強調される傾向にだんだんなりつつあるが、自分の都合を外してニュートラルに物事を見る方が実は軽やかに、正しく生きることが出来ると思う。


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