病気との闘い④~私の高校生活~
前回の「病気との闘い③~裏切り~」で最初にお世話になった(?)B医師との決別をした私は国公立の医学部附属病院の整形外科医C医師と出会うところまでは前回お話ししました。
装具をつけた生活
私がC医師と出会い、行った治療と言えば医療用の青いサポーターに、悪い方の左足にはさらにゴツゴツとした装具をつけて生活するのみでした。
B医師との過去があったため、さすがにすぐに手術したいという気にはなりませんでした。
しかし、かわいいと言われている制服のスカートの裾から見える装具は年頃の私、いいえ、もしかしたら今の私でも受け入れがたい事でした。
装具をつけている人を否定する気は微塵もありませんが、やっぱり女性だからでしょうか...
ね?目立つでしょ?
これではさすがに他校の男子高校生に、「ロボットみたいだな」と言われても仕方がなかったのかなと今の私ならそう思えるようになってきましたが、当時の私にはとてもショックなことでした。
私が自分を嫌いになりかけたのにはもうひとつ原因がありました。
それは毎朝絶えなかった、祖母との喧嘩でした。
昔の人間の祖母には、両親が教員という仕事をしている中こんな格好で出掛けていく孫が見苦しく、私の家に泥を塗り歩いているのと同じように感じていたのだと、その頃の私には感じられ、
「私はこの家の恥さらしでしかないのだ」
と卑屈に思う一方、こんな私をただの同じ同級生として向かい入れてくれた高校のともだちのおかげで、
「この姿が私なのだ」
という、新しい考えが私の中に芽生えてきました。
それは、当時のともだちがいたからだと私は思っています。
祖母なき今思うと、祖母は必死になって私を守ってくれたんだなと思っています。
聖書との出会い
私の叔父家族がクリスチャンファミリーだったので、高校に入って聖書に触れる生活は私の中にスッと入ってくることができました。
他の高校の朝のホームルームの時間が、私の学校では礼拝の時間でした。
全校礼拝はチャペルで、学年礼拝は大きな教室で、そしてほとんどの礼拝はクラスで行われました。
当番で「証」という、自分の選んだ聖書の部分にちなんだ話など、ともだちの話を聞いていると
「大変なのは自分だけじゃないんだ」
と前向きになることができました。
どん底だった私を前向きにしてくれた聖書の御言葉です。
・あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる (詩篇55:23)
・わたしの目にはあなたは高価で尊い (イザヤ書43:4)
・私たちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます
私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。 (Ⅱコリント4:16ー18)
これらの御言葉に出会った時は衝撃でしたし、私のともだちに囲まれ幸せだと思っていたけれど、心のどこかで乾ききった心があり、その心に水を注ぐように、私の胸にグサッと刺さりました。
私はこれら多くの御言葉を食べるように身体に取り込んでいき、
「自分は1人ではない」
ということや、
「今私の目の前にある試練は、一時で私には栄光を受け取れるときが来る」
と思えるようになり、その後アクティブに活動することができました。
私を造っていったボランティア活動
私は今でも、私が将来これと決めた道に進む土台となったのは、私が高校生時代に行ったボランティア活動だと思っています。
先輩の紹介で私が患者として通っていた医学部の学生と、彼らの活動を支える医師や看護師、リハビリスタッフなど病院スタッフなどで構成されたボランティアグループに入りました。
そこでの活動は本当にアクティブで、当時問題となっていた血液製剤からHIVを発症してしまった「HIV訴訟を支える会」のお手伝いや、ハンセン病で実際に被害者の方に会いに行ったりと、学校が終わってから夜遅くなるまでその活動に没頭しました。
当時私の母が勤めていた小学校に「差別について知ろう!!」というコンセプトで、高学年はハンセン病の被害者の方にお話ししてもらい、私は低学年のこども達に紙芝居を作って差別のむごさを伝えました。
今思うとあの時は必死で走り回っていた気がします。
しかし、全然苦しくない爽快な走りだったことは心に残っています。
さて次は、再び私の2回目の手術について今度こそお話ししたいと思います。
つたない記事ですが、サポートしていただくと俄然やる気が出ます!!🙂🎶 私の"やる気スイッチ"も入りますので、あなたの心に響いたらぜひよろしくお願いします。