見出し画像

あけました。そしてリセット

366分の1日だけど、特別な一日。
なんといっても、これだけ盛大にリセットされるのは今日のこの日なんだと思っている。

それは確実にじいさんのカテゴリーに入る、「66歳」のじいさんにとってもいまだに。

今までの人生を振り返ると、いったいどれだけのことを「リセット」してきたのか。同意してくれる人いるんじゃないかな。何人かは。

パソコンで印刷した年賀状にペンでひと言書き加えることをあいかわらずしてます。
でも、書いててイヤになることも多々あるんですよね。
それは、今年は会いたいね、とか、今年こそは会えるといいね、的なこと。

そう、去年もおととしも、前から書いてる人がいる。
でも、去年もおととしも会ってない。
去年一年間に、会う努力をしてないことに気付かされる。

そして、年賀状をまた書く時期になると、実行力も人情も足りない薄っぺらいやつなんだと思い知らされて嫌になるんだよね。

たかが年賀状のひと言でそんな気持ちになるやついないよ、
そんな気持ちになるなら年賀状なんて出すのやめたらいいじゃん、
お金も時間も無駄じゃん、

なんて誰かに言われているような気がする。
もう一人の自分の声かも(^◇^;)

今年も、
「今年で年賀状をやめることにしました」、という人がいる。

そうだよ、やめる人が増えているんだったらお前もやめたらいいじゃん。
って、いわれてる気がしてくる。

自分がそうしたらいったいどうなるのか。

年賀状を出さなくなること、
それは他につながる方法があって、それでつながっているのならその方が合理的だ。

しかし、いろいろなツールを使っている若い世代がそれをやるのと、
私みたいな中高年の世代に入っている人間がやるのとでは、
その意味がまったく違ってくるのだ。

若い頃から人付き合いが下手なせいで人との繋がりがただでさえ少ない私が、年賀状のやりとりだけでかろうじて繋がっている、はなはだ細いその糸を自分から切ってしまうこと。

それは、外部の世界との通信手段を自ら手放すことを意味するのだと思う。

そんな大袈裟に考えなくても(^_^;)
なんて思われるかも知れないけれどね。

何を言いたいのかわからなくなりそうだからここで改めて思っていること。

自分からは年賀状やめないよ(・o・)
年賀状をくれなくなってもこっちは出してもいいよね?
それと、今年はあいたい人には絶対に会うぞ!

それでは、今年も宜しくお願いします。

って、結局それだけか(^_^;)

#note書き初め

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?